稲垣さんは夫が阪神淡路大震災の被災者だったことから、「被災地で役立ちたい」との思いがあった。2011年3月の東日本大震災では岩手県、18年の西日本豪雨では岡山県でボランティア活動をした。今回は、日本栄養士会派遣チームの県内第1号として金沢市に入った。
空港到着後、すぐに訪ねた避難所のいしかわ総合スポーツセンター内にはテントが張られ、高齢者を中心に50~90代の200人が相部屋で生活していた。
食中毒は気温に関係なく発生するため、弁当を配る際は雑菌の混入防止のために手袋をし、髪の毛はネットで押さえる衛生管理の基本を徹底。食べ物を飲み込む力も人によって異なるため、医師や介護士と情報交換して提供に当たった。
被災者は被害の激しい珠洲市など、能登半島北部から避難していた。「能登はもう少し雪が降って寒い」「故郷では山が見える」と懐かしむ声が聞かれた他、地域の情報を求めて地元の新聞を隅々まで読むお年寄りもいた。明るいニュースを読んで「きょうは夕食を全部食べられる」と安心して話す人もいた。
被災地で印象的だったのは、避難者の体調や家族といった情報を管理するITチームが支援に当たっていたことだ。「医師や介護士だけでなく、人のために役立つ能力はさまざまある。みんなで力を合わせれば、災害を乗り越えられる」と力を込めた。