沖縄戦と基地を日程に組み込んだ沖縄独自の平和教育に、萎縮の動きが出始めている。
 辺野古沖での船の転覆事故後、県立学校の平和学習で、嘉手納基地が一望できる「道の駅かでな」を訪れる予定が管理職から止められ、中止した事例があったという。
 
 県高教組、沖教組など4団体が記者会見で明らかにした。
 県内外で平和教育の出前授業などを行う企業には、複数校から基地問題には触れず「沖縄戦に特化してほしい」との要望が寄せられているという。
 転覆事故を受け文部科学省は、同志社国際高校の平和学習の取り組みが政治的中立性を定めた教育基本法に反すると断定した。文科省が乗り出したことで、平和教育に対する萎縮ムードが広がることが懸念される。
 平和教育は沖縄戦に特化し基地見学は避ける、という取り組みが一般化すれば、沖縄の平和教育が持つ「独自性」が半ば失われ、沖縄戦から現在に至る歴史的視点を欠いたものになりかねない。
 「道の駅かでな」で基地の広さや離着陸する軍用機を肌で感じ、近くの町役場で町長から基地行政の説明を受け、北谷町の砂辺まで足を延ばし住民からも生の声を聞く。嘉手納基地一つをとっても、そういうプログラムによって問題を多面的に学ぶことができる。
 萎縮するのではなく、平和教育の在り方を改めて検証し、さらに充実させていくことが求められる。  ■    ■
 平和教育がさまざまな課題を抱えていることは、事故の前から指摘されてきた。
 沖縄戦について体験者の話を聞かせ、授業の後で感想文を書かせる。戦争の悲惨さ、醜さを学んだ子どもたちのほとんどは「平和が大切」だと書いてくる。
 受け身になりがちな平和教育から脱却しようと、近年は、なぜそうなるのかを自分で考え、グループでの討議を通して異なる意見と出合い、問題を多面的に論じる。
そんな試みが増えている。
 平和教育にとっての最大の試練は、戦争と平和を巡る時代環境が激変したことだ。
 「平和を欲すれば戦争に備えよ」という有名な格言があるが、世界各地で軍備増強の動きが止まらない。平和教育は何をなすべきなのか。
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 1997年、国連総会で「平和の文化に関する宣言」が採択された。
 戦争と暴力の文化から、人権の尊重や対話を大切にする「平和と非暴力の文化」への転換を呼びかけたものだ。
 アジア太平洋地域の平和構築に貢献した個人や団体に贈られる「沖縄平和賞」は、その趣旨と重なる。
 こんな時代だからこそ、意識的に平和教育を充実させ、守り育てていくべきだ。
 沖縄にとって平和教育はこの島が歩んできた歴史を学び、「平和の文化」をこの島に根付かせていく試みでもある。
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