北欧・フィンランドは「教育大国」として知られてきた。OECDが15歳(日本では高校1年生)を対象にした学習到達度調査「PISA」でいつもトップクラスだったが、2009年以降、一変した。
前内閣府参事官で、現在は東京科学大学執行役副学長の白井俊さんの著書『』(中央公論新社)から、フィンランドの実態を紹介する――。(第1回)
※本稿は、白井俊『世界の教育はどこへ向かうか』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■“ゆとり教育批判”でフィンランドへの注目が集まった
フィンランドは、ノルウェー、スウェーデンと並んでスカンジナビア半島に位置する国である。人口は約556万人(2023年)と、日本と比べるとかなり小規模である。歴史的には、スウェーデンやロシアによる支配を受けてきた経緯があり、とりわけ、ロシアとは1340キロメートルにも及ぶ長い国境線を挟んで接していることもあり、これまでは政治的に中立的な立場をとってきた。しかし、2022年にロシアがウクライナに侵攻して以降、その方針を転じて、2023年にはNATOに加盟するなど、西側諸国への接近を明らかにしている(図表1参照)。
フィンランドの教育が注目されるようになったのは、比較的最近のことである。PISA(OECDが実施する「生徒の学習到達度調査」)初期の2000年に行われたPISA2000から、PISA2003、PISA2006と、連続して世界でも最高水準のスコアを誇った。折しも、その時期の日本では「ゆとり教育」批判や「学力低下論争」が盛んになっていた。とりわけ、PISA2003、PISA2006の結果が芳しくなかったことから、「PISAショック」とも呼ばれる状況が生じていた。
■「学力世界一」はすでに過去の話
そのため、世界各国がフィンランドに注目する中でも、日本のフィンランドに対する関心は格別なものだったようで、あまりにも多くの教育関係者がフィンランドの学校を訪問したことから、「フィンランド詣で」なる言葉まで登場したほどである。
フィンランド側も、PISAによって教育に注目されたことを好機と捉えて、フィンランド式の教育モデルを国外に輸出する取り組みも行うようになった。
例えば、教師向けの職能開発プログラムや学校向けのICTソリューション事業を提供する会社や大学などによるビジネスを、国として後押ししている。そして、その際に謳(うた)い文句となっているのが、国際的な学力調査における好成績なのである。
しかし、フィンランドの教育が世界的に注目を集める一方で、図表2に示すとおり、実は、フィンランドのPISAスコアが国際的にトップクラスにあったと言えるのは、PISAが開始されて間もないPISA2003やPISA2006の時期にとどまっている。
確かに、この時期のフィンランドは「学力世界一」の名に値する結果を残しているのだが、その後は徐々に下降しており、とりわけ、最新のPISA2022では、参加81カ国・地域中で、読解力が14位、数学的リテラシーが20位、科学的リテラシーが9位である。
■日本のほうが、はるかにスコアが良い
近年、PISAには途上国も多く参加するようになっており、参加国数が増えているため、順位だけ見ると上位のように見えるかもしれない。しかし、先進国を中心としたOECD加盟国の中で見れば、フィンランドは平均よりやや高い程度の、ごく平凡な参加国の一つに過ぎなくなっており、直近のPISA2022では日本の方がはるかに良いスコアを出している(図表3)。
どうやらフィンランド自身も、PISA2003やPISA2006におけるPISAの好成績に戸惑いを見せていたようだ。同国政府や教育産業がフィンランド式の教育モデルを世界中に売り込む一方で、フィンランドの教育関係者の何人もが、世界中の教育関係者から好成績の理由について尋ねられて、返答に困っていると語っていた。
私自身も、そうした質問を何人かのフィンランドの教育関係者にぶつけてみたことがあるが、彼らからは口々に、「正直に言って、そこまで世界から注目されるほどのことはやっていない」「なぜ好成績につながっているのか、明確な理由はわからない」「むしろ、日本などアジアのPISA上位国から学ぶ必要があると思っている」といった戸惑いの声を聞いてきたのである。
■“好成績”の理由がわかっていなかった
もちろん、日本とも通じる謙虚さを持つ北欧の国らしい側面もあるだろうし、あるいは、筆者がPISA上位国である日本人であることから、社交辞令として言った部分もあるかもしれない。しかし、今から考えれば、彼らのこうしたコメントは、本音を吐露したものだったとも思う。つまり、彼ら自身にも、好成績の理由がよくわかっていなかったということなのだ。
もし、PISA好成績の理由について的確に分析できていれば、直近のような低迷した状況にはならなかったはずだ。
PISAスコアの低迷については、フィンランド国内でも、かなりの議論を惹起(じゃっき)しており、中には「外国からの視察団ばかり受け入れていたから、本業である授業がおろそかになってしまったのではないか」といった意見も出ている。
PISA2022の結果公表後まもなく、フィンランド教育省の大臣が出したコメントでは、「フィンランドのPISAの結果は低下傾向が続いています。重要なのは、スキルの深刻な低下です。だからこそ、結果については重く受け止めなければなりません」としており、大臣自ら反省の弁を語っている。
■フィンランドの子供たちは「学習への不安が少ない」
また、フィンランドには教育省以外に国家教育庁という執行機関があるが、その事務総長は、学習成績が悪化した理由について、例えば、家庭の社会経済的不平等の拡大、教育に対して配分される資源のレベル、子供及び若者のリテラシーの二極化、モティベーションの欠如、教育に対する信頼の欠如、ソーシャル・メディアの影響、メンタルヘルスの問題など、様々な社会的変化を挙げている。
そのうえで、例えば、国が定める教育課程の見直しや、自治体や学校に対してどのように支援できるかを考えるなど、学校制度全体の効果について批判的に見直すことが必要と述べている。
フィンランド政府として、PISAの低迷に反省を示しながらも、その要因については、やはり現時点では十分明らかにできてはいないようだ。もちろん、様々な要因が複合的に、あるいはボディーブローのように一定時間が経過してから作用したのかもしれない。ただ、いくつか気になることがあるので指摘しておこう。
はじめに、フィンランドの子供たちについて、OECD加盟国の中で最も数学に関する不安が少ないというデータが出ていることだ。PISAでは毎回3つの分野の中で中心分野を決めているのだが、PISA2022は数学的リテラシーが対象だった。
そのため、調査項目に「数学に対する不安」があり、具体的には、「数学の問題を解こうとすると不安になるか」、「数学で失敗することが心配であるか」といった質問をしているのだが、フィンランドの子供たちは、OECD加盟国の中で最もこうした不安が少ないという結果が出ている(図表4)。
■肯定的に評価してよいのかどうかは疑問
OECDは、学習に対する不安と数学のスコアには負の相関関係が見られるとしており、フィンランドで学習に対する不安が少ないことを肯定的に受け止めている。
確かに、メキシコやブラジル、アルゼンチンなど中南米の国を中心に、「不安が強く、スコアも低い」という国もあり、これらの国と比べれば、フィンランドは相対的に「不安が少なく、スコアも高い」と言える。しかし、その理屈が正しいのであれば、フィンランドよりも好成績の日本や台湾、シンガポール、香港、マカオなどでは、学習に対する不安がより少なくなるはずだが、実際にはそうなってはいない。
もちろん、不安が少ないことは、必ずしも悪いことではないだろう。しかし、東アジアの国・地域のように「反例」とも言える事例が見られる中で、フィンランドの子供たちの間で数学に対する不安が少ないということを、手放しで肯定的に評価してよいことなのかは疑問がある。
■“教室の規律状況”にも課題がある
数学に限ったことではないが、どの学問も簡単ではない。学ぶ過程で多くの疑問が出てきたり、より深く学べば学ぶほど、わからないことや自らの限界も明らかになってくるはずである。
数学に対して不安が少ないというフィンランドの子供たちは、果たして本当に数学の学習に真剣に取り組めているのだろうか。もちろん、不安が強すぎても良くないかもしれないが、その意味では、不安が中程度となっている日本やシンガポール、台湾などが、最も優れたスコアを出していることは示唆的である。
さらに、PISA2022の結果に関連して、フィンランドについて、もう一つ気になることがある。それは、教室での規律状況(disciplinary climate)に課題があることだ。
ここでいう規律状況とは、例えば、教室内が騒々しくて教師の話が聞こえない、勉強に集中できない、といった状況のことである。当然ながら、これについてはOECDもそうした状況は望ましくないとしている。
しかしながら、PISAの結果では、フィンランドはこの点でOECD加盟国平均よりも劣っていて、「すべて又は多くの授業で十分に学習できなかった」とする生徒の割合は28%と、日本の12%と比べて高い(OECD平均は23%)。また、「教師の話を聞いていなかった」とする生徒の割合も35%と、日本の6%よりかなり高い(OECD平均は30%)。フィンランドと比べると、日本の規律状況の良さが際立って見えてくる。
■「幸福度」と「学力」は相関するのか
ちなみに、フィンランドが国際的に注目されてきたのは、教育の分野だけではない。「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」という国際的なネットワークが公表している「世界幸福度調査(World Happiness Report)」という有名な報告書があるのだが、フィンランドは6年連続で世界1位となっており、「幸福度世界一」の国としても知られている。
幸福度が高いことで知られるフィンランドがPISAで好成績を出したことは、日本や中国、韓国、台湾、後述するシンガポールなどに象徴される、入学試験を一つの頂点としたアジア型の教育に対する強烈なアンチテーゼとして受け止められた。
確かに、辛(つら)い勉強を乗り越えて、頑張って入試を突破するために勉強するよりも、不安や心配を抱えることもなく、緩(ゆる)い規律状況で学習した方が成績も良いということであれば、後者の方が魅力的に映るのは当然だ。だからこそ、かつてはフィンランドの教育が注目を集めたわけだが、今や状況は変わってきている。
日本が今後どの方向に向かうべきか、第2回で述べるシンガポールの事例と合わせて、一つの大きな示唆になりそうである。

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白井 俊(しらい・しゅん)

前内閣府参事官

1976年生まれ。
埼玉県出身。東京大学法学部卒業。コロンビア大学法科大学院修士課程修了。2000年文部省(現・文部科学省)に入省し、同省生涯学習政策局(現・総合教育政策局)、初等中等教育局、高等教育局、国際統括官付等で勤務。その間、徳島県教育委員会、OECD(経済協力開発機構)、独立行政法人大学入試センター、内閣府科学技術・イノベーション推進事務局に出向。2025年8月より現職。

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(前内閣府参事官 白井 俊)
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