※本稿は、細田千尋『幸せを手にできる脳の最適解 ウェルビーイングを実現するレッスン』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■なぜ他人と自分を比べてしまうのか
自分の長所や短所を正しく理解しようとするなかで、人はどうしても周囲にいる他人と自分とを比べてしまうものです。他人と自分を比較する理由のひとつは、自己評価のためです。これはなにもおかしな状態ではなく、むしろ人のなかに根づいている、極めて普通の状態といえます。
わたしたちは、社会生活にうまく「適応」していく必要があります。そのためには、まず自分の能力や、置かれた環境、そこにおける立場などを、自分でよく認識しておくことが欠かせません。
■人は「自分と同じランクの人間」と比較する
そこで、常に「果たして自分は正しいのか?」「自分の能力はどの程度なのか?」ということを確認するために自分を他者と比較すると、研究上説明されています。これを「社会的比較(Socialcomparison)」として、アメリカの心理学者であるレオン・フェスティンガーが提唱しました。
ただし、人が社会的比較をするときには、より自分と近い、同じカテゴリに属する他者と比較する傾向があります。一般的に、「自分と同じ土俵」「自分と同じランク」などという言葉が使われますが、要は、境遇や能力、見た目などが自分と似ている人と比較するわけです。
その理由は、自分と似たような立場にいる多くの他者と、自分の考えや行動が一致すると、自分の意見や能力の正確性や妥当性を感じやすく、その一致によって「自分の確かさ」を得ることができるからです。
■芸能人の不倫が許せない本当の理由
例えば、日常的に見受けられる現象として、よく芸能人やスポーツ選手の不倫など、倫理上不適切とみなされるような行為がネット上で叩かれることがあります。しかし、海外の著名人やハリウッドスターがそのような行為をしたとしても、多くの日本人はさほど叩きません。
なぜなら、同じ著名人でも日本人だと、ある種の「同族」とみなされるからです。すると、攻撃対象や比較対象にもなり得るし、自分の感情を喚起させる相手になり得るのです。逆に、それこそハリウッドスターのような自分と違い過ぎる相手だと、怒りを感じるどころか比較する気も起きません。
また、同族とみなすのは、「同じ集団の人間」だと感じているからであり、その「集団の規範から外れた人は叩くべきである」と容易に考えることにつながるのです。
■「応援していたのに裏切られた」という悲しみ
そもそも、自分たちとはまったく関係性がない存在なのに、遠いようでいて身近な存在である気がしてしまう。だから、「応援していたのに!」「好きだったのに!」というように、勝手につながりを感じてしまい、そのつながりを裏切った存在として立ち現れるのでしょう。
逆もまた然りで、まったく関係性のない著名人やスポーツ選手、政治家などを、あたかも自分の意見や存在の正当性を証明してくれる存在であるかのように、熱心に応援・支持する姿勢にも関連しています。
別の観点からは、類似他者との比較が、自己評価を行う際に有意義だとする研究も数多くあります。例えば、テストで80点の評価を得たときに、受験者全体と比べるのではなく、自分と同じカテゴリに属している(と思っている)人の評価と比較できると、自分の能力や立ち位置をより客観的に知ることができます。
■良いライバルがいると自分も向上する
さらに、人が幸せを感じて生きていく上で、「ソーシャルキャピタル(人と人とのつながりや信頼関係から生み出される価値)」というものが、かなり重要になるといわれています。
すると、ある集団に帰属している人には、各々同じ集団に帰属する他者に対して「自分と同列である」という意識がどうしても生まれてしまい、相反する作用として、他者と自分との比較が起こるともいえるのです。
他人と自分を比較するもうひとつの理由は、「セルフエスティーム(自尊感情、自己肯定感)」を高めるためです。他人と自分とを比較するときには、自分より少しだけ優れた他者と比較する「上方比較」と自分より不運や不幸であるような他者と比較する「下方比較」があります。
上方比較については、自分より少しだけ優れた他者に対してライバル心などを持つことで、自身の向上につながるという良い側面があります。
他にも興味深いのは、他者の優秀な要素を自分自身と結びつけ、それらと同一視するプロセスがあるためとする説も存在することです。みなさんの周囲には、身近に高学歴、高収入、美男美女、有名人などの知り合いがいることを誇らしく話すような人はいませんか? このような人の感情には、同一視の部分があると思われます。
■「他人の不幸は蜜の味」の正体
逆に、下方比較は、自分より下だと思う相手と比較し、慰めや快楽などを得るために行う比較です。とりわけ自分より優れている点が多いと思っていた相手が失敗したり、自分より不幸になったりするほど喜びを感じやすく、そうした心理状態や感情は、「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」と呼ばれています。
このとき脳内では、「報酬系」と呼ばれる領域が活性化することが研究で示されており、これは、他人の不幸が、一時的に自分の地位や状況を優位に感じさせるためと考えられています。そして、この下方比較が度を過ぎると、中傷や社会的偏見、敵意を含んだ攻撃行動などの非社会的行動に結びつくのです。
つまり、他人の不幸を機にして、客観的な自分の立ち位置を認識することなどが目的ではなく、他人をおとしめて不幸に陥れることによって、自分の幸福感や自尊感情を高めようとするわけです。
■人の不幸を喜んでも問題ない
「なぜあの人だけがいい思いをしているのか」という嫉妬の感情や、「いや、わたしだって」というマウンティングの感情が引き起こされ、そのような感情を晴らすために極端な攻撃に向かってしまう。これは、SNSやネット空間などで日常的に起こっている現象といえるでしょう。
ただし、下方比較によって起こるのは、脳の報酬系が活性化する「喜びの反応」であり、程度の差こそあれ誰にでも起こり得る感情です。そのため、仮に他人の不幸を聞いて少し安心するようなことがあっても、自分を過度に卑下したり、強い罪悪感を持ったりする必要はありません。
特に、重い病を抱えた人などが、より悪い状態の人と比較することで自身の心の安定を保つことも研究で示されています。自分の症状が軽いことや、家族や友人の支えがあることを思い出すことで、状況を受け入れやすくする心理的防衛機能として働いているのです。
また、「自分にはまだできることがある」と考えるきっかけにもなり、自己効力感や前向きな姿勢をつくることも可能です。下方比較を、一概に悪いものとして扱う必要はないのです。
■マウント気質の人は自尊感情が低い
では、特にどのようなタイプの人が、「優劣をつけるための比較」を行う傾向があるのでしょう。
まず、自分の内面や外見に注意を向けるときに、自分の考えなどに基づいて判断を下すよりも、「他者から見られる自分」に対して高い注意を払う人や、うつ傾向が高めの人ほど、他者との比較をしがちです。
なぜなら、主に前者は自己概念が不安定であるために、「他者比較」によってはじめて、「自分は○○さんより頭がいい」「○○さんよりいい生活をしている」などと考えることで自己を確立でき、それにより自尊感情を保てるからだと考えられます。また、他者と比べて評価することでしか自分の価値を見出せないため、そもそも自尊感情も低いといえます。
「マウントを取る」といわれる行為がありますが、その背景には下方比較を利用した自尊感情の保持が考えられ、結局は自尊感情の低い人による行為とみなすことができるでしょう。逆に、うつ傾向が高めの人は、「なぜわたしはこんなに駄目なのか」という、上方比較による自尊感情の低下がありそうです。
■人のランク付けをする人の脳内構造
もうひとつ、「社会的支配志向性(Social Dominance Orientation:SDO)」という、社会心理学の概念があります。アメリカの心理学者であるジム・シダニウスとフェリシア・プラットによって提唱された社会的支配理論(Social Dominance Theory)に基づくもので、個人が「社会階層や集団間の不平等をどの程度支持する傾向があるか」を表す指標です。
この「社会的支配志向性」が高い人は、社会における階層構造や権力の不平等をむしろ肯定的に捉え、それを維持または拡大する行動を支持する傾向があります。反対に、この値が低い人は、平等主義や集団間の公正さを重視します。
すると前者の場合は、そもそも人を階層構造で捉えてランキングをする志向があるため、「社会的支配志向性」が高い人ほど、おそらく他者との比較などもしやすくなると推察できます。また、「社会的支配志向性」との直接的な関連性を示す明確な研究は現時点ではないものの、脳内物質「ドーパミン」が社会的行動や社会的地位の形成に関与していることは、研究によって示されています。
具体的には、ヒトを対象とした研究で、大脳基底核(だいのうきていかく)の一部で、運動機能や意思決定などに関わる「線条体(せんじょうたい)」におけるドーパミンD2受容体の可用性(継続稼働できること)が、社会的優位性や社会的地位と関連していることが示されています。これらの研究は、ドーパミンが社会的階層や支配行動に関与している可能性を示唆しています。
■欧米人よりも周囲の目を気にする日本人
さらに視点を変えて、文化的観点から見てみると、自己を他者から独立したものとして捉える西欧文化と比べ、日本人は全般的に人とのつながりや調和を大切に考える傾向があるといえます。それにより、日本人は概して「社会的比較」の志向が強くなっていることがわかっており、多くの人にとっての悩みにもつながっています。
ただし、人生の多くの時点で「他者比較」を行うことは、ほぼすべての人の経験的事実であり、程度の差こそあれ、人種や性別、年齢に関係なく普遍的に起こっている現象であると考えられます。つまり、「自分と似た他人」と自分とを比べる社会的比較は、もともとネガティブな現象というわけではなく、周囲の状況や社会生活に適応するために必要な機能だということです。
他者と比較することが一概に悪ではないからこそ、人間の本能として備わっている面があると推察できます。また、集団という視点から見ると、ある特定の集団のなかで規範が守られ、その集団が発達繁栄していくための重要な要素でもあるといえるのです。
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細田 千尋(ほそだ・ちひろ)
東北大学 大学院情報科学研究科人間社会情報科学専攻 及び 加齢医学研究所脳科学部門認知行動脳科学研究分野 准教授
東京医科歯科大学大学院医歯学総合博士課程修了。博士(医学)。JSTさきがけ研究員、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員などを経て現職。内閣府ムーンショット型研究目標9プロジェクトマネージャー、ウェルビーイング学会理事、Editorial bord member of Frontiers in Computational Neuroscience、仙台市教育局学びの連携推進室学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト委員会委員、日本ヒト脳マッピング学会広報委員、国立大学宮城教育大附属小学校運営指導委員などを務める。
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(東北大学 大学院情報科学研究科人間社会情報科学専攻 及び 加齢医学研究所脳科学部門認知行動脳科学研究分野 准教授 細田 千尋)