家族のいない“おひとり様”は、どのようなリスクを抱えているのか。むさしの救急病院理事長で救急科専門医の鹿野晃さんは「医療の現場では、身寄りのない患者は『扱いやすい患者』と見なされることがある。
家族がいる人と、いない人では、命の扱われ方に違いが出てくる」という――。(第4回)
※本稿は、鹿野晃『救急医からの警告』(日刊現代)の一部を再編集したものです。
■「おひとり様」が抱える思わぬリスク
あなたは「おひとり様」の生活に憧れを抱いたことはありませんか?
自由気ままで、誰にも縛られない生活は、多くの人にとって魅力的に映るかもしれません。しかし、その選択が自分の命の価値を左右する可能性があることを、どれだけの人が知っているでしょう。
医師として日々の診療に携わる中で、私は「おひとり様」が直面する厳しい現実を目の当たりにしてきました。それは、一般的には見過ごされがちな課題かもしれません。医療や介護の現場で働く者として、率直にお伝えする必要があると感じています。
「おひとり様」の思わぬリスクと向き合うべき現実、そして社会全体で考えるべき問題について、ここで深く掘り下げてみたいと思います。
今、結婚しないことを選択する人が増えています。個人の自由を尊重する風潮は、とくに若い世代にとって魅力的に映ります。若いうちは、病気のことをあまり意識しないのと同じように、結婚や家族についても深く考えることが少ないものです。
費用対効果を重視する「コスパ」や時間の使い方の効率を重視する「タイパ」という言葉が流行っているように、自由や時間、お金の使い方を優先しがちです。
とはいえ、いざ自分の体が弱り、高齢になったとき、この選択を後悔することはないのでしょうか。「おひとり様」が将来の人生にどのような影響を与えるのか、とくに人生の最期を迎えるときに何が起こり得るのか、慎重に考えてみる必要があります。
「おひとり様」の最期とは、どのようなものなのでしょうか。
■「扱いやすい患者」だと思われている
近年、いわゆる「おひとり様」として人生の最期を迎える高齢者が増加しています。在宅医療が充実している地域では、独居高齢者の看取りにも取り組んでいますが、そこには避けられない現実があります。
病院や施設に行くこともなく、家族もいない、あるいは音信不通の状態で、アパートの一室ですでに冷たくなった状態で一人、発見されるケースです。これは決して稀なことではありません。私たち医療従事者がよく目にする「おひとり様」の最期の姿であり、社会が直面している重要な課題なのです。これを「幸せな死」と呼べるのでしょうか。
家族に囲まれ、感謝の言葉とともに旅立つ人生の終わりと比較せずにはいられません。たとえ本人の意思を尊重した結果であっても、医師として看取る側にとっては複雑な感情を抱かざるを得ず、どこかやりきれない思いが残ることは否めないのです。
この問題を考える上で、医療現場から見た「おひとり様」の実態についても触れる必要があります。
多くの人は考えたことがないかもしれませんが、医療現場には「扱いやすい患者」という意外な視点が存在します。
■「命の価値」に差が生まれてしまっている
そして「おひとり様」、つまり独居で身寄りのない患者は、医療者にとって扱いやすい存在となることがあります。治療がうまくいかなくても、クレームを言ってくる家族がいないからです。
批判を恐れずにいえば、「命の価値」に差が生じているのです。家族がいる患者と、家族がいない患者では、命の扱われ方に違いが出てきます。この違いは、医療の現場で具体的にどのように現れるのでしょうか。
たとえば、生存率が50%の治療を行う場合を考えてみましょう。家族がいれば、その家族にしっかりと説明し、治療のメリットとデメリットを話し合います。患者本人が発症前にどのような考えを持っていたかなども、家族を通じて知ることができます。そうした情報を踏まえて、できる限り本人の意思を反映し、手を尽くして治療を行うのが基本的なスタイルです。
一方、「おひとり様」の場合はどうでしょうか。同じ生存率50%の治療であっても、状況は大きく異なります。
患者本人の意思確認が難しい場合、医療従事者は限られた情報の中で判断を下さなければなりません。本人の過去の希望や価値観を知る手がかりが少ないため、治療の選択肢が狭まる可能性があります。「おひとり様」には、手術の内容を説明する人も、発症前の本人の意向を確認する人もいないのです。
五分五分の確率で亡くなるか生存するか、さらには合併症で人工呼吸器が外せなくなり植物状態になる可能性もあります。
■決定的な医療判断を下せる人がいない
週3回の高額な透析治療を続けたり、食事ができない状態になり、胃ろうをつくって5年、10年、20年と医療機関で過ごすことになったりするかもしれません。
とはいえ、おひとり様の場合、万が一、植物状態になっても、誰もその状況を歓迎しませんし、見舞いに来る人もいないのです。こうした状況は、「おひとり様」の患者にとってとくに厳しいものとなります。
家族がいれば、長期的な視点で患者の意思を推し量り、生活の質を考慮した判断ができる可能性があります。しかし「おひとり様」の場合、そのような判断を代わりに行う人がいないのです。
「おひとり様」がこのような状況に陥ったとき、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの多職種チームで、その患者にとって最善の治療方針を相談して決めます。ただ、この問題は個人の範疇を超え、社会全体に関わる課題となるものです。なぜなら、「おひとり様」の治療費は誰からも払われることなく、国民の税金で賄っていくことになるからです。

「おひとり様」の選択にはさまざまな理由があり、その生き方自体を否定するものではありません。しかし、社会保障制度の持続可能性という観点から見ると、複雑な問題が浮かび上がってきます。
生活費を削り、子育てなどにお金を使って社会に貢献してきた人々の立場からすると、自身のためにお金を消費し続けてきた「おひとり様」が最期に多くの公的資源を使用することに対して、違和感を覚えることもあるでしょう。
■「親密な友人」がいても権限はない
「おひとり様」の増加は、医療制度や社会保障制度にも大きな影響を与えかねません。社会としてどのようなサポート体制を構築できるか、真剣に考える必要があります。個人の選択の自由を尊重しつつ、同時に社会全体の持続可能性も考慮しなければならないのです。
「おひとり様」の状況をさらに厳しくしているのは、法的な側面です。多くの人は、親密な友人がいれば大丈夫だと考えがちですが、現実はそう簡単ではありません。
緊急時、本人の意思確認ができない状況で、治療方針を決定する権限を持つのは家族のみです。友人はどれほど親密であっても、法的には一般人と変わらないのです。本人に意識があり、医師から治療方針を聞いて友人と相談し、最終的に自分で決断を下すのであれば問題ありません。
しかし、本人が意思表示を書面に残していても、今の日本では法的に完全には保証されていない状況です。
突然急病で倒れて治療方針を決めなければならないとき、友人が来ても延命処置の是非を法的に決める権限はありません。決められるのは、やはり家族なのです。
後見人制度もありますが、基本的に財産管理が主で、医療方針を決める権限はありません。さらに懸念されるのは、「おひとり様」の場合、医療現場での不利益が表面化しにくい点です。
家族がいないことで、万が一医療ミスが起きた場合でも、それが表沙汰にならず、闇に葬られてしまうケースが少なくないと考えられます。これは決して望ましい状況ではありませんが、現実として認識しておく必要があります。
■「家族の価値」は医療や介護の場面で明確になる
医療現場や高齢者施設では、全ての権利が完全に平等というわけではありません。
自分の命の価値を高め、権利をより確実に守るためには、家族や子どもの存在が有利に働くことは否めません。もちろん、いつも喧嘩ばかりしている親子関係ではよくありませんが、お盆や正月には顔を出してくれる程度の関係でも、それは十分に意味があるのです。
家族の存在は、単に幸せをもたらすだけでなく、自分の権利を守ることにもつながります。「おひとり様」の生き方や、コスパ・タイパの価値観、多様性の尊重など、現代社会ではさまざまな考え方や生き方が注目されています。
しかし、これらの流行や概念だけでは捉えきれない現実が、医療や介護の現場には存在するのです。
最終的に直面する現実を考えると、本当の幸せとは何か、自分にとって大切なものは何かを、一人ひとりがじっくりと考える必要があります。
現代社会では多様性が尊重され、おひとり様が「普通」とされる風潮が広がっています。しかし、これを十分な検討なしに社会の新たな標準として受け入れることは、国家としてあまりに無責任ではないでしょうか。
個人の選択の自由を尊重しつつも、長期的な視点から見た幸福とは何かを、社会全体で考えていくべきなのです。

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鹿野 晃(かの・あきら)

むさしの救急病院 理事長・院長

医療法人社団 晃悠会 ふじみの救急病院 名誉院長2002年藤田医科大学医学部卒業。救急科専門医。青梅市立総合病院(現・市立青梅総合医療センター)救命救急センター医長などを経て、医療法人社団晃悠会を設立。2024年にはむさしの救急病院を開院し、院長に就任した。「すべては患者さんのために」を理念に掲げ、医療における理想のスピード、コンビニエンス、コミュニケーションの実現のために、24時間365日、誰でもいつでもためらわずに受診できる体制や専属の救急車の活用などを通して、訪れるすべての方に、信頼され、心温まる病院づくりに尽力している。著書に『救急医からの警告』(日刊現代)がある。

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(むさしの救急病院 理事長・院長 鹿野 晃)
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