なぜ“生きづらさ”を感じるのか。心理学者の根本橘夫さんは「子どもの頃から完璧であることを求められて、大人になっても特別な人間であろうと苦しむ人は少なくない。
解放されるためには、『◯◯してはならない』『◯◯せよ』といった無意識の呪縛を自覚することが大切だ」という――。
※本稿は、根本橘夫『新版「自分には価値がない」の心理学』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■「あなたは特別な子」と言い聞かせられて育った人
他の人と同じように行動できない。あるいは、他の人と同じでは自分に満足できない。こうした心理の背後に「自分は特別でなければならない」という意識がある。なかには直接に特別であることを求められて育てられるケースもある。
「親が医者で、母親は家柄にプライドを持っていたため、小さいときから“あなたは特別な家の娘で長女なのだから、他の子とは違うのよ。しっかり勉強して、医者になって家を継いでね”と言われていた。」
子どもに「特別でなければならない」という意識を持たせる親は、社会的地位へのこだわりが強い。このために、小さいうちから越境入学させたり、私立学校に通わせたりすることがある。子どもは地域の子どもたちから切り離されることになり、学校での限定的な交友関係しか体験できない。
このために、集団のなかで楽しむ能力が発達せず孤立しがちになり、自分は他の子と違って「特別だ」と感じる。平等であることを楽しむのではなく、孤立した特別な存在であることで自分を誇示しようとする。

特別を求める親は子どもに高い達成基準を課す。並の成績では満足せず、より高みを求める。これが子どもに定着すると、完璧主義的傾向になる。なんでも、いつでも、完璧を求め、完璧でないと失敗した気持ちになる。
■自意識過剰とは裏返せば自己中心性である
特別な存在でなければならないとか、完璧でなければならないという意識があると、常に自分を他者との比較でチェックすることになる。こうして他のすべての人が自分を見て評価している、といった自分を中心に置いた自意識過剰状態になる。次のように書いた学生がいる。
「資料を読んで最も印象的だったのは“自意識過剰は尊大な自己中心性”という言葉でした。今まで私は他者の視線を気にしてしまい自分に対し生きづらい、かわいそうだ、などと感じていて、自分を中心に世界をとらえている自己中心的な人間だと感じたことはありませんでした。この資料を読んで、“そうか、そういう考え方があるのか”“そんな風に周囲の人は思っているのか”と、気づかされ、少し恥ずかしい気持ちになっています。」
■進学・就職でアイデンティティが脅かされる
子どもの頃から優秀であったがために「特別に優れた自分にならなければ」という呪縛にとらわれてしまう人もいる。
たとえば、勉強がよくできてその県の最上位のランクの高校を卒業し、有名大学に入学したとする。大学では、同様なレベルの人たちの中に置かれるので、凡庸な位置しか占められない。
このことで、優秀な自分というアイデンティティが脅かされ、自信が揺らぐ。
ここで現実的な自分を受け入れてアイデンティティを修正できればよいが、そうでないと「皆と同じ自分では価値がない」「周囲の人より優れていなければ」という思いにとらわれる。
こうした人のなかには、就職しても周囲が自分に寄せているだろう特別な期待を想定して、それにふさわしい能力があることを見せなければと、躍起になる人がいる。
あるいは、仕事上で自信を得られないために出身大学のブランドによって自信と優越心を維持しようとする人もいる。このように、「特別でなければならない」という意識は、優秀であるという子どもの頃の自己イメージを、現実的な自己イメージに転換できないことに原因がある。
■「特別でなければ」という呪縛を解く
自分を特別視する心理特性で想起されるのは自己愛性人格である。この人たちは、なんら裏付けがないのに自分は賛美されるべきであり、特別に遇されるべき存在だという意識で行動する。
これに対して、これまで述べてきたような人たちは「特別な存在にならなければならない」という意識で行動する。自己愛性人格を喜劇的存在ととらえるなら、こうした人たちは「ねばならない」の呪縛に苦しめられる悲劇的存在といえる。
この「特別でなければならない」という呪縛は多くの青年を苦しめ、青年期の精神障害に少なからずかかわっている。このために、青年期の心理療法はこの呪縛を解いて、「特別でなくていいのだ」という自己受容をもたらすことが重要な課題になることが多い。
特別でなくてもいいとは、自分に満足できることである。

そのためには、外的自己への過度のこだわりを捨てて、内的自己に比重を置くことである。
自分が気持ちよいこと、楽しいこと、満足できること。これらを大事にすることである。
特別を求める心は完璧主義的傾向につながると先に指摘した。完璧を求める姿勢は、たった一つの正解(ベスト)があるとして、その正解を求める姿勢である。たった一つの正解があるのは学校の勉強くらいなものであり、現実社会においてそんなものは存在しない。「ベストなんて望まない。グッドで十分、ベターなら最高」、このくらいの姿勢でいいのである。
■“とらわれ”を自覚するセルフチェック
過去からのとらわれにより反射的に感情が喚起され、無意識のうちに行動が規定される。したがって、そうしたとらわれを卒業するには、自分の心と行動がどのようなとらわれにより反射的に動いているかを自覚することが出発点になる。
この自覚のためには、禁止令という観点からチェックするとやりやすい。禁止令とは、「◯◯してはいけない」という呪文の形で私たちの心に埋め込まれ、無意識のうちに心と行動を束縛してしまうものである。
図表1に挙げるのは代表的な禁止令とその表れである。自分に当てはまるものはないだろうか。
図表1‐1の禁止令は、「◯◯であってはいけない」という禁止の形で私たちを束縛するものであった。逆に、「◯◯であれ」とか、「◯◯せよ」という形で私たちを束縛するものを拮抗禁止令という。無価値感の強い人は、むしろ拮抗禁止令に強くとらわれていることが少なくない。(図表1‐2)
■意識するだけで気持ちが軽くなる
自分を呪縛している禁止令を知ると、より意識的に思考し行動するのに役立つ。
禁止令が非常に強固に埋め込まれている場合は、完全に抜け出すことはたやすいことではない。また、短期間で脱却できるものでもない。だから、必死になってこれから抜け出す努力をすることは、必ずしも賢明ではない。さしあたり、禁止令にとらわれている自分の心と行動を意識すればよい。
たとえば、作業をやり終えたのに不全感が湧いてきたら、「今、“完全であれ”の禁止令にとらわれているな」と意識する。そうすると、「この不全感は不条理なものだから、そんな気持ちになる必要はない」と、自分の気持ちを切り替えることができる。
こうしたことを日々繰り返していくことで、自分を不当に貶めることから脱却できる。

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根本 橘夫(ねもと・きつお)

心理学者

1947年、千葉県生まれ。東京教育大学心理学科卒業。同大学院博士課程中退。千葉大学教授、東京家政学院大学教授を歴任。東京家政学院大学名誉教授。専攻は教育心理学、性格心理学。著書に、『人と接するのがつらい』(文春新書)、『なぜ自信が持てないのか』(PHP新書)、『「心配でたまらない」が消える心理学』(朝日文庫)などがある。

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(心理学者 根本 橘夫)
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