よく「日本人が長生きなのは、高齢者に無駄な延命処置をしているから」と言われがちだ。しかし、内科医の名取宏さんは「じつは高齢者への延命処置と平均寿命は、ほぼ関係ない。
延命処置については、本人の意思表示が大切だ」という――。
■日本人の平均寿命や健康寿命が長い理由
先日、日本人女性の平均寿命が40年連続で世界一になったと報じられました。その背景には、健康的な食文化、肥満の少なさ、平等でアクセスのよい医療制度、清潔で安全な生活環境などの要因があります。
一部には「日本の高齢者は、胃ろうや点滴で不自然に延命されているから、平均寿命が伸びている」といった誤解も見られます。しかし、高齢者に対する延命処置では、平均寿命を大きく変えることはできません。なぜなら平均寿命とは「ゼロ歳児が将来どのくらい生きられるか」という指標であり、余命の短い高齢者の死亡を減らしてもその影響は微々たるもので、幼児や若年層の死亡が減ることの方が全体の平均寿命に大きく影響するからです。
そもそも平均寿命だけでなく、健康寿命においても日本は世界トップクラスです。もし延命処置だけで寿命を引き延ばしているとしたら、健康寿命までが長くなるはずがありません。
ここでいう延命処置とは、「老衰の過程にある高齢者を対象として寿命を延ばすことを主な目的とした医療」を指します。代表的な延命処置は、口から十分な食事ができなくなった患者さんに対して、胃に穴を開けて栄養剤を入れるチューブを通す「胃ろう」の造設です。
■無理な延命処置を受けたくない人は多い
延命のために栄養を補給する手段としては、他にも鼻からチューブを通す経鼻栄養、首や鎖骨の下の大きな静脈にカテーテルを入れ高カロリーの点滴を行う中心静脈栄養もあります。さらに、人工透析、人工呼吸、心肺停止時の心肺蘇生も、状況によっては延命処置とみなされます。

人は誰しも死を迎えるため、広い意味ではあらゆる医療行為は延命処置といえます。本来それは医療の使命であり、多くの場合は望ましいことです。しかし、老衰の過程にある高齢者に対して行われる延命処置については、本人の生活の質や尊厳をどこまで守れるのかという問題もあり、必ずしもすべてが望ましいとはいえません。
実際、「自分は無理な延命処置を受けたくない」と考える方は少なくありません。回復の見込みがある場合は別ですが、ただ寿命を延ばすためだけの医療は望まないという気持ちは自然なものです。そのような希望は、特別な法律がなくても実現することが可能です。
私自身、勤務医の頃には毎年10人以上の患者さんを延命処置はしないという方針で看取りましたし、在宅医療に熱心な先生方とのご縁もあって、義母と義父は自宅で最期を迎えることができました。一般的に、医師がお金目当てで延命処置を勧めることはありません。胃ろう造設の診療報酬は引き下げられ、長期入院も医療機関の利益にならない仕組みになっています。
■高齢者に延命処置が行われがちな理由
では、なぜ高齢者に対する延命処置が行われるのでしょうか。状況によっても異なりますが、多くの場合は本人の意思が確認できない状況で、ご家族が希望したときに行われます。典型的には次のような流れです。

施設に入所中の高齢者が、誤嚥性肺炎を起こして入院します。肺炎自体は抗菌薬投与で治ったものの、食事が十分にとれなくなります。誤嚥しにくいようトロミを付けるなど食事の形態を工夫したり、飲み込みの訓練(嚥下リハビリテーション)を行ったりしますが、思わしくありません。このままでは亡くなってしまう状況です。
こうした場合の選択肢はいろいろありますが、大きく分けると、胃ろうなどによって十分な栄養を入れるか、お看取りするかの二択です。ご本人の意思が確認できなければご家族が決めることになりますが、「考えたこともなかった。他の家族とも相談しないと決められない」と迷われます。
この決断までに与えられる時間は限られているため、結果として「胃ろうをお願いします」という判断に至ることが少なくありません。「胃ろうは造らず看取る」という決断が、親の命を縮めてしまうかもしれないという罪悪感も影響しているのでしょう。
■医師1000人に行われたアンケート調査
また、親が少しずつ衰えていく姿を目にしてきた身近な家族が、延命処置は行わず自然にお看取りする覚悟ができていても、久しぶりに顔を合わせた遠方の家族は、元気だったころの印象が強いため、弱りきった姿にショックを受けて「できる限りの治療をしてほしい」と方針をひっくり返すこともあります。無理もありません。
しかしながら、こうした延命処置が患者さん本人のためになるかどうかは別問題です。
参考になる調査があります(※1)。2012年に医師1000人を対象に行われたアンケートでは、「万が一先生ご自身が事故・病気などで判断力・意思疎通能力を喪失し、回復が見込めないとされた場合、延命治療についていかがお考えですか」という質問に、70.8%の医師が「延命治療は控えてほしい」と回答しました。一方で「積極的治療をしてほしい」と答えたのはわずか1.3%にとどまりました(残りは家族や医師の判断に任せたい、など)。
つまり、患者さんを日常的に支えている医師自身の多くは、延命治療を自らには望んでいないのです。事前に患者本人が延命治療を望んでいたのであれば別ですが、そうではない場合、延命処置をしないという判断にご家族が罪悪感を抱く必要はありません。
※1 CareNet「もしも先生自身に“万が一”のことがあったら…延命治療、どうしますか?
■何より重要なのは患者さん本人の価値観
もちろん、「胃ろうを造ってでも延命したい」という患者さん本人の意思があれば、それは尊重されるべきです。大切なのは、あくまでも本人の価値観。また、これまで述べてきたのは、老衰の過程にあり回復が難しい場合を想定した話です。
実際には、高齢者であっても胃ろうから栄養を補うことで病状が改善し、最終的に胃ろう栄養から脱却し、口から十分に食事がとれるほどまで回復するケースもあります。要するに、延命処置をめぐる判断はケースバイケースで、状況に応じて個別に検討されるべきものです。
一方で回復可能かどうかの判断が難しいケースもよくあります。一つ言えるのは、すべてのケースで延命処置を行うのも、「高齢だから」といった理由だけで一律に胃ろうを否定するのも、望ましい姿勢ではありません。

臨床の現場での問題の多くは、患者さん本人の意思がはっきり示されていないことが原因です。これからのことを考えるなら、ぜひ事前の意思表示をしておきましょう。難しく受け止めず、できることから始めればよいのです。
■元気なうちに家族と話し合うことが大切
まずは、ご家族と話し合ってみましょう。病気が進んだり、介護が必要になってからでは、自分の気持ちをうまく伝えられなくなることもあります。だからこそ、元気なうちから「どんな治療を受けたいか」「どんな生活を大事にしたいか」を話しておくことが大切です。延命処置に限らず、将来どんな医療を望むのかを共有しておくことで、いざというときに自分の思いと違う医療を受ける可能性を減らせます。
かかりつけ医がいる方は、ご自身の思いを伝えておくと安心です。私自身、外来で患者さんとお話しするときは、折に触れてご希望をうかがい、カルテに記録するようにしています。もちろん、その後に考えが変われば撤回することも可能です。
ACPという取り組みもあります。ACPとは「アドバンス・ケア・プランニング」のことで、将来どんな医療やケアを受けたいかをあらかじめ考え、家族や医療者と話し合って共有しておくことをいいます。
相談の場は、かかりつけ医の外来や病院、地域包括支援センターなど身近なところにあります。「事前指示書」として文書にすることもできます。
本人の考えが明確で、家族もよく理解し納得しているなら、文書がなくても問題はありません。ただ、ご家族が延命処置をしないことに罪悪感を抱きやすい場合には、文書が支えとなり、迷いや後悔を減らす助けになるでしょう。
■病院か自宅か…最期を迎える場所の選択
日本では依然として病院で亡くなる方が多いですが、在宅で最期を迎えるという選択肢もあります。近年は訪問診療や訪問看護の質が高まり、自宅でも安心して療養を続けられる環境が整いつつあります。
ただし、病院と在宅にはそれぞれ利点と不便さがあります。病院なら常に医師や看護師が対応でき、夜間も含めて手厚い医療や看護を受けられること、家族の負担が少ないことが強みです。しかし、住み慣れた自宅から離れなくてはいけませんし、いつも家族や友人と面会できるわけではありません。
一方、自宅では患者さんご本人が慣れた環境で家族とともに穏やかに過ごすことができ、新型コロナ流行時に病院で面会が制限されたような状況も避けられるのが強みです。が、病院のように医師や看護師が常駐しているわけではありません。
ただ、病院であっても死亡の瞬間に主治医が枕元にいることはむしろ稀で、多くの場合は看護師が状態の変化を確認し、その後に医師が呼ばれて死亡診断を行います。
つまり、いずれにしても「最期の瞬間に医師が必ずそばにいる」というイメージは現実的ではありません。
■在宅で延命処置を望まない場合の注意点
自宅で延命処置をせずに看取る場合の注意点としては、呼吸が止まったときなどにご家族が気が動転して救急車を呼んでしまうと、救急隊員によって本人が望んでいなかった心肺蘇生処置が始まってしまうことがある点です。
もしも自宅で急変された場合、亡くなられた場合は、慌てず在宅医療の主治医に連絡しましょう。夜間だった場合は、翌日の訪問で主治医が死亡診断を行うことがありますが、それで何の問題もありません。大切なのは、そうした状況に備えて十分な説明を受け、ご家族も心構えを持っておくことです。覚悟といってもいいでしょう。
結局のところ、人生の最期をどこで、どのように迎えるかに「正解」はありません。延命処置を受けるかどうか、病院か自宅か、選択肢はさまざまですが、何より大事なのは「どう生きたいか」「どう終えたいか」というご本人の思いが尊重されることです。あらかじめ考えを整理し、家族や医療者と共有しておくことで、迷いや後悔を減らすことができます。
元気なうちに死について語り合うのは、決して後ろ向きな行為ではなく、むしろ残された時間を自分らしく生きるための力になるのです。

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名取 宏(なとり・ひろむ)

内科医

医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は福岡県の市中病院に勤務。診療のかたわら、インターネット上で医療・健康情報の見極め方を発信している。ハンドルネームは、NATROM(なとろむ)。著書に『新装版「ニセ医学」に騙されないために』『最善の健康法』(ともに内外出版社)、共著書に『今日から使える薬局栄養指導Q&A』(金芳堂)がある。

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(内科医 名取 宏)
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