もし恐竜と遭遇したら、どう逃げればいいのか。最新研究をもとに、歴史の「もしも」をシミュレーションした『とんでもないサバイバルの科学』(コーディー・キャシディー著、梶山あゆみ訳、河出書房新社)の第1章「恐竜時代をどう生きのびる?」より、一部を再構成し紹介する――。
(第1回)
■「最大級の恐竜=危険」ではない
2017年、ドイツ統合生物多様性研究センターで動物の動きを研究する生物学者のミリアム・ヒルトとそのチームは素朴な疑問を抱いた。
スピードを出すのに最適なサイズというものはあるのだろうか。研究チームはあっけないほど単純な答えを見出した。「イエス」である。
走ったり泳いだり飛んだりする地球上のさまざまな動物について、体重を横軸に、動く速度を縦軸にとってグラフを作成したところ、動きの種類が何であれサイズとスピードの関係は山なりのカーブを描くことがわかった。
つまり最もスピードが速いのは一番小さい動物でも一番大きい動物でもない。ヒルトの結論によると、走る速さに主眼を置いて動物を設計するなら体重はだいたい100キロ程度が望ましく、泳ぐ速さならそれより少し重く、また飛ぶ速さならそれより少し軽いほうがいい。
だとすれば、一番警戒すべきは中くらいの恐竜ということになる。でも、たぶんそれ以上に大事なのは最大のものを恐れる必要がまったくないことかもしれない。
体がどういう構造になっていて、どれだけ力が強くても、最大級の恐竜が身体状態の良好な人間より速く走るのは物理的に無理である。力と加速と、その両方にエネルギーを供給する代謝機能とがどう作用しあうかに目を向ければ、そういう結論になるのだとヒルトは私に教えてくれた。
■加速に必要なエネルギーは基礎代謝で決まる
動物のトップスピードがどれくらいになるかにはふたつの要因が絡みあっている。
ひとつは総合的な筋力であり、これは質量に比例して高くなる。もうひとつはその質量を加速させる力であり、こちらは質量につれて増えていくわけではない。
加速するための筋肉は酸素を必要とせず、ATP(アデノシン三リン酸)という貯蔵燃料を使ってすばやく収縮している。これらは速筋(そっきん)とも呼ばれ、加速のための強力で迅速な収縮力を生む。だが、ATPの貯蔵量は有限なのでたちまち使いつくされていき、その貯蔵量は基礎代謝量で決まる。
まだ完全には解明されていない理由により、動物のエネルギー生産量――つまり基礎代謝量――は体重が増えるにつれて減少する(正確には体重の4分の3乗に比例する)。
言葉を換えるなら体の大きい動物のほうがエネルギー効率はいい。仮にヒトの代謝量がハツカネズミ並みだとしたら、1日に11キロ程度の食物を摂取しなければいけなくなる。このように効率には優れているわけだが、その分、加速に必要なATPエネルギーの貯蔵量は減っていく。
■体重3トン以上の恐竜なら、若者でも逃げきれる
ヒルトは力の強さと加速の兼ねあいを表す単純な式を編みだし、体重だけをもとにして動物のスピードを予測した。
代謝量と質量の制約があるおかげで、体重が3トンを超える恐竜に捕食されるリスクは排除できる。それくらいのサイズかそれ以上の動物が相手なら現在はもちろん過去のどの時点であっても、体調のいい若い人間が走って負けることはなさそうである。

あいにく、それよりかなり体重の少ない動物に捕食される危険は山ほどある。最大級の恐竜のスピードに限度のあることはヒルトの気づいたとおりでも、その限度を下回るレベルになるとスピードを決める要素はサイズだけではない。
たとえば人間とチーターのように体重がだいたい同じ2種類の動物を比べた場合、体がどういう設計になっているかに応じてスピードには天と地ほどの違いが現れる。だから、ランニングシューズのひもを締める前に敵の正確な速さを把握しておかないといけない。命がけの競走になるわけだから、相手がアニメ『ルーニー・テューンズ』のロード・ランナーばりの速さで走ってこないかどうかを見極める必要がある。
とはいえ、絶滅した動物の正確な速度だなんてどうすればつきとめられるだろうか。手がかりはいくつかの足跡の化石と骨しかないのに。
■最新研究で71種類の恐竜のスピードを推定できた
幸い、イギリスの動物学者ロバート・マクニール・アレクサンダーが1976年に、あらゆる動物(フェレットからサイまで)は「力学的に相似な」足取りで走るという驚くべき見解を発表した。「力学的相似性」は工学の分野で使われる用語であり、縮尺を変えても同じ動作をさせられることを指す。サイズの違う振り子のようなものだ。
この発見のおかげで、恐竜の腰の高さと歩幅さえわかれば走る速度を推定できるようになった。これは振り子の長さと振れ角がわかれば振れ幅を予想できるのと同じ理由によるものである。

残念ながらアレクサンダーの編みだした式は相当に粗く、大きな誤りにつながりかねないものだと2002年の『ネイチャー』誌の論文「ティラノサウルスは足が速くなかった(Tyrannosaurus Was Not a Fast Runner)」の筆頭著者ジョン・R・ハッチンソンは教えてくれた。
たとえばアレクサンダーの式でいくと、体重3トンの肉食恐竜アルバートサウルスは時速およそ35キロのスピードということになる。それくらいの速さであればあなたが逃げおおせる見込みが多少は出てくる。しかし、この恐竜がチーターみたいにして走った可能性もあり、その場合は……運を天に任せるしかない。
2020年に古生物学者のトマス・アレクサンダー・デチェッキはヒルトの式とアレクサンダーの式を組みあわせ、恐竜化石に関する近年の発見も加味しながら71種類の恐竜のスピードを推定した。
■自分の足の速さを算出する方法
中くらいのサイズで足が速く危険な肉食恐竜をぜんぶ並べたらたいへんな数にのぼるので、いくつかの事例に目を向けたい。もしもあなたの遭遇する恐竜が図表1に示したものと大きさが近いなら、同程度の運動能力をもつと考えてくれればいい。
注意――いうまでもないが、恐竜との競走をどれくらい心配するかはあなた自身の足の速さにかかっている。自分のスピードを把握する際に、私は単純な式(※1)を使って時速およそ24キロという答えを弾きだした。あなたも同じようにしてみたらいいのではないかと思う。
でも、参考までに大まかな目安を示しておく。陸上競技の男子100メートルで金メダルを争うレベルは時速およそ37キロ。
優秀な男子高校生の短距離選手なら時速36キロくらいは出せる可能性がある。私のようなごく普通の人間はというと、必死にならざるを得ない状況であれば時速24キロ程度を期待してよさそうだ。速めのジョギングは時速11キロ前後である。
あなたが金メダルを狙えるだけの実力をもっているか、せめてアマチュアの短距離選手として好成績を残しているのでない限り、図に示した恐竜のなかに歯が立つ相手はいない。それでもただ競走するのではなく、向こうが攻撃してくるのならまだ望みはある。

(※1)簡単に計測できる電子機器が手元にあるなら話は別だが、そうでないなら次の式を使って自分の走る速さを推定するといい。歩幅で60メートルと100メートルをそれぞれ測り、そのふたつの距離をどれだけのタイムで走れるかを計る。それから両者の差で40を割る。つまり、40メートル÷(100メートルのタイム−60メートルのタイム)=メートル毎秒で表したトップスピード。秒速1メートル=時速3.6キロ。
■シマウマがライオンから逃げきれるワケ
チーターがインパラを、さらにはライオンがシマウマを狩るときにどう追うかを調べた研究からは、あなたのような被食動物にもいくつか大きな強みのあることが明らかになっている。
ロンドン大学傘下の王立獣医科大学で教授を務めるアラン・ウィルソンは運動生体力学を研究しており、こうした捕食動物とその獲物に加速度計を取りつけて正確な速度・敏捷性(びんしょうせい)・戦術を割りだした。

すると、じつに心強い結果が得られた。
測定結果によると、チーターは最低でも時速85キロ程度で走れるのに対し、獲物のインパラは全速力でも時速64キロほどにすぎない。同様に、ライオンは時速74キロに達するが獲物のシマウマはたったの時速50キロだ。
これだけの差がありながらインパラもシマウマも3回中2回はライオンから逃げきることができる。また、ライオンはインパラよりスピードが少し速いにもかかわらず、ひらけた草原ではインパラを追うそぶりすら見せないことがわかった。
ウィルソンの発見を踏まえるなら恐竜があなたを追いかける場合にも、速度の差が相当に大きいのでない限りつかまえることができないように思える。
■逃げるには「予測のつく動き」をしてはいけない
ただしそれはあなたが逃げ方のコツを知っているなら、の話。
ただ全速力で走るだけなら、あなたは恐竜に食われて糞化石(要は恐竜のウンチの化石)となって現代に戻ってくるしかない。かなり運動能力の高い捕食動物を振りきるには戦術を用いて賢く逃げる必要がある。何より大事なのは予測のつく動きをしないことである。
チーターに追われたインパラのスピードをウィルソンが加速度計で測定したとき、思いがけない事実に気づいた。インパラは時速64キロというものすごいスピードで走れるにもかかわらず、生死を賭けた逃走のさなかにはせいぜい時速50キロ程度しか出さないケースがほとんどだったのである。

どうしてかというと、全速力の状態では機動性が損なわれるからだというのがウィルソンの答えだ。鋭角な方向転換ができなくなるために、走っていく道筋の予測がつく。足の速い相手に行き先を知られてしまったら当然ながら命はない。
捕食動物と獲物の運動能力に関するさまざまなパラメーターをウィルソンがコンピューターモデルに入力してシミュレーションしたところ、追われる側の用いるべき戦術がふたつ浮きぼりになった。
■恐竜に追われたときの逃げ方
ひとつは、恐竜がこちらをめがけて走りはじめたがまだ遠くにいる場合、スピードは落とさずに頻繁に方向転換すること。もうひとつは、恐竜にあと数歩のところまで迫られたときには唐突に減速して鋭角に向きを変え、それからまた加速することである。
こうして絶妙のタイミングで方向を変えれば、相手のほうが速度が出ているせいで小回りが利かずに1~2歩分をロスする。追いついてきたらまた同じことをくり返せばいい。
あなたが目指すのは時間を稼ぐことだ。持久力なら人間のほうが上である。デチェッキをはじめとする近年の研究からは、恐竜のなかにもサイズの割には持久力に優れた種がいたらしきことが判明してはいる。
それでもあなたは弾力のある臀部(でんぶ)とよく伸びるアキレス腱(けん)を備え、効率よく体温を下げる仕組みももっている。おかげで、持久走であなたにまさる動物は自然界にそうはおらず、追われる時間が長くなればなるほど生きのびる確率は高まる。
とはいえ、不幸にも運動能力の差が一線を越えると、どれだけタイミングよく方向転換を決めてもそれだけでは足りなくなる。こういう事態に陥るとすれば、オクラホマ州立大学で恐竜の生体力学を研究する生物学者のエリック・スナイヴリーがいうところの最も危険な恐竜に目をつけられたときだ。
■若いティラノサウルスが最も恐ろしい
それは誰あろう、あのTレックス(ティラノサウルス・レックス)。ただしスナイヴリーがいうには、怖いのは成長しきった大人のTレックスではない。若いやつだ。
たいていの動物と違って、Tレックスが一番速く走れるのは大人になってからではない。スピードは若い頃にピークを迎え、以後は途方もない巨体のせいで落ちていく。
人間の10代に相当するTレックスは体重が900キロほどと比較的動きやすいので、最高速度は時速およそ53キロに達する。しかもあごはすでに強力で、あなたの骨くらいは嚙(か)みくだける。
若いTレックスは攻撃してくる可能性も高い。というのも、大人の狩るのが体重3トンのハドロサウルスや5トンのトリケラトプスなのに対し、若いTレックスが獲物にするのはたぶんあなたくらいの大きさの動物だからである。
そういうTレックスが襲ってきたときに当たり前のやり方をしていたのでは命がない(あなたが短距離走のオリンピック選手なら話は別で、逃れられる見込みがインパラ並みには出てくる)。
運よく小さな洞窟が見つかったら体を押しこみ、イバラの茂みがあったら頭から飛びこもう。運任せにせずに自分の才覚で道を切りひらく手もある。走りながらうまく相手を罠(わな)へ誘いこむのだ。ヘビのひしめく穴や動物の水場の上にカムフラージュ用の小枝をかぶせておくのはどうだろう。

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コーディー・キャシディー
著述家

サンフランシスコ在住の著述家。科学や歴史のユーモアあふれる解説に定評がある。『WIRED』誌や『Slate』誌に寄稿。著書に『とんでもない死に方の科学』(共著)、『人類の歴史をつくった17の大発見』。

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梶山 あゆみ(かじやま・あゆみ)

翻訳家

翻訳家。東京都立大学人文学部英文科卒業。訳書に『さぁ、化学に目覚めよう』『LIFESPAN』『とんでもない死に方の科学』『サイモン、船に乗る』『ハキリアリ』『自分の体で実験したい』など多数。

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(著述家 コーディー・キャシディー、翻訳家 梶山 あゆみ)
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