現在50代の女性の生い立ちは目を覆いたくなるものだった。覚せい剤を常用する父親によって4の頃から性加害を受けていたが、母親はそれを見て見ぬふりをした。
父親から逃げて母子で暮らしたが、母親は異性にだらしなかった。きょうだいとともに何とか生き延びて大人になった女性は最初に結婚した相手が浮気をして離婚し、48歳の時に再婚。ようやく幸せな時間を送るが、同居する87歳の義母が変調をきたす――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
■反社会的勢力の父親
関東地方在住の知立(ちりゅう)瑠美さん(仮名・50代)の両親は、母親が16歳、父親が25歳の時に結婚。母親が17歳の時に知立さんが生まれた。
「私は生後2カ月で母に祖父母の家のソファに置き去りにされ、5歳くらいまで祖父母に育てられました。
私を置き去りにした母が何をしていたのかは知りません。ただ、父はその時、刑務所に入っていたと聞いたことがあります。祖父母の家には当時、まだ中学生だった叔母(母親の妹)と叔父(母親の弟)が住んでいて、私を可愛がってくれました」
知立さんが5歳の時、祖父が事故で亡くなってしまう。以降、知立さんは両親と暮らし始め、その時初めて自分に3歳違いの妹がいることを知った。
しかし知立さんの生活は安定せず、小学校2年生の時には叔母(母親の妹)の家で暮らし、4年生になると再び両親の家へ。5年生になると今度は伯母(母親の姉)の家で暮らした。知立さんは小学校の6年間に同じ学校への出戻りも含めて5回転校した。
そんな不安定な幼少期を送った理由を、知立さんはこう話す。
「父は暴力団員で、母は水商売をしていました。夜、母がいないため、小4の時から、私は父に性加害を受けていました。起きている時は襲って来なかったので、朝まで必死に起きていた覚えがあります。私が寝ないため、『風邪薬』と言って睡眠薬を飲まされたこともあります。
覚せい剤を使用していた父は、時々私に打つ手伝いをさせ、『元気が出るからお前も打て!』と言われたこともあります。さすがに強要はされませんでしたが……。小5のはじめには、父から逃れるために自分で叔母の家へ行きました」
母親も父親から暴力を受けており、母親からも「お前なんか産まなきゃよかった!」と口癖のように言われながら暴力を受けていたため、母親に性加害のことは相談できなかったという。
ところが、知立さんの中学校入学を機に再び両親と暮らし始めると、父親から耐え難い暴力を受ける。堪忍袋の緒が切れた知立さんは、初めて母親に、これまで父親から受けてきた性加害についてぶちまけた。
「ぶちまけながら母の顔を見て、母は知っていたのだと、知っていて助けてはくれなかったのだと分かりました。その時から私の中に母は存在しません」
それでも母親は叔父に相談し、叔父の助けを借りて、父親が留守の間に家を出た。
■異性にだらしがない母親
夜逃げ同然で家を出た知立さんたち母子は、自分たちを探し回る父親に見つかることを恐れ、祖母や叔父にも居場所を知らせなかった。
母親はこれまで同様、水商売で生計を立てるようになったが、まもなく年下の男性と交際を開始する。
「当時私は中3、妹は小6、弟は小3。母はお金も置いていかず、平気で家を空けるようになりました。家中の食べ物がつきたときは、水を飲んでお腹を満たしました。
『おなかがすいた』と泣く弟の声がつらかったです」
父親に見つかることを恐れていた知立さんは、祖母や叔父の家に行くことを躊躇した。
しかし母親が年下の交際相手を家に連れ込むようになると、知立さんは母親との生活に嫌気がさし、1人祖母宅へ移った。
「母にとって私はお荷物だったのだと思います。弟と妹は母の元に残ったのですが、妹が中2になった頃、泣きながら私に助けを求めてきました。母の交際相手が妹に手を出したのです。祖母宅へ追いやられてから初めて母に電話して、事の次第を訴えましたが、母の答えは、『妹が挑発したんだ!』の一言でした」
母親は頼りにならないと判断した知立さんは、叔父に頼んで妹を引き取ってもらった。幸い父親は、祖母や叔父の家に来ることはなかった。
それから間もなくして交際相手が弟に手を上げるようになると、母親は弟を連れて地方へ逃げた。
「地方に逃げた後、生活が落ち着いたのか、母は叔父の家にいる妹に『一緒に暮らそう』と電話をかけてきました。それをきっかけに、祖母、叔父、母、妹、弟、私の6人で、2年ほど一緒に暮らしました」
知立さんが二十歳になると、「もう1人で暮らせるだろう」と母親に言われ、強制的に外へ出された。
■バツイチ同士の出会い
家から出された知立さんは、喫茶店や本屋などでアルバイトをして生計を立てた。やがてゲーム機会社に就職すると、27歳の時にゲーム機を修理する10歳年上の男性と出会い、交際が始まる。

同じ年に結婚し、しばらくは幸せな新婚生活が続いたが、3年目に夫の実家で同居することになると、生活が一変した。
「同居当時、家には夫の両親、出戻り子連れの妹、妹の3歳の娘、夫の前の妻との間にできた小5の娘がいました。義父はとても優しい方でしたが、義母と義妹はキツイ人たちでした。盆暮れは決まって分家の家族たちが集まるため、女は台所で料理、酒の支度。男たちは続き間で宴会。私が実家に帰るときは、三つ指ついて『出かけて参ります』と許可を得てやっと家を出られるという感じでした」
それでも耐えた知立さんだったが、33歳の時に夫の浮気が発覚すると、翌年離婚した。
離婚した年、港湾関係の仕事をする31歳の男性と出会い、交際が始まると、彼の会社の同僚家族と家族ぐるみで付き合うように。
それから数年して知立さんはその彼とは別れたが、家族ぐるみで付き合っていた彼の同僚の男性とは連絡をとり続ける。
そして47歳の時に、その男性から食事に誘われると、交際に発展。翌年にプロポーズされ、2012年に48歳で再婚した。
「夫の初婚は10代で、離婚は38歳。原因は妻の浮気だったと聞いています。
息子と娘が1人ずついて、現在息子とは絶縁状態。娘は離婚して子ども2人を連れて戻ってきていました」
知立さんより3歳年下の夫は、自身の母親と娘と孫2人の5人で暮らしていた。
知立さんが再婚した時、義母は75歳。義父は義母が63歳の時に心不全で亡くなっている。64歳まで義母は夫の姉夫婦と暮らしていたが、姉夫婦は義父の死後、義母の年金を使い、毎晩飲み歩くように。「どうせ歯がないんだからお粥でも食べてろ」と言ってろくに食事を与えなかったため身体が痩せ衰え、骨粗鬆症とうつ病を発症。64歳の時に脳梗塞を起こし、左半身に麻痺が残った。
義母は1年ほど入院し、退院後「家を出たい」と夫に電話したため、夫が引き取ることに。
38歳で離婚して一人暮らしだった夫は、義母の食事管理を行い、なんとか杖をつけば自力で歩ける程度まで回復。
しかしうつ病がひどく、夫が仕事で不在の間に、安定剤と酒を一緒に飲み、夫が帰宅すると何もかも垂れ流し状態で寝ていたり、勤務中の夫に何度も「死にたい」と電話をかけたりするように。
「もう母を殺して自分も死にたい」とまで追い詰められた夫は、役所に行って相談。するとケアマネジャーを紹介され、要介護認定を受けた。
約1カ月後に出た結果は要介護1。週1でデイサービス、週2でヘルパーを利用し始めると、少し楽になった。
■嵐の前の静けさ
夫の仕事は日勤と夜勤があり、日勤の場合は6時~19時。夜勤の場合は16時~の仕事終わりはまばらで、深夜2時くらいの時もあれば、朝4時終わりの時もあった。
知立さんは、夫が日勤の時は、毎朝4時に起きて夫の弁当を作り、夫が夜勤の時でも寝ずに待っていて、「帰るコール」があってから、お風呂や食事の準備をした。
要介護1の義母は、8時半~17時までデイサービスに週1で通っていた。週2で利用していたヘルパーは、知立さんが来てから断った。義母の朝食は、デイサービスがない日は義母の起床次第。左半身が不自由な義母の朝食介助をした後は、1時間間隔で水分補給。そのほかに知立さんは、義娘の子どもたちを保育園に送り迎えする役割も担っていた。
再婚から12年経った2024年7月8日。2013年6月に要介護2になり、デイサービスを週4日利用するようになっていた87歳の義母は、デイサービスからの帰宅の際、足がふらついている。心配した知立さんは、義母を夕飯の時間まで寝かせたが、夕食のために起こすといつも通りの様子で完食し、晩酌まで始めた。
仕事から帰宅した夫に義母の様子を話すと、
「なんだろうね、ご飯は毎日よく食べて、しかも晩酌もしてるしね?」
と首を傾げる。
「もう87歳だし、疲れやすくもなってるだろうし……。経口補水液渡してるし、熱中症とかじゃないよね?」

「とりあえず様子見だな」
その夜はそんな会話をしながら2人は眠りについた。
この日が嵐の前の静けさであることなど、当時の知立さん夫婦は知るよしもなかった。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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