秋篠宮家の長男、悠仁さまの「成年式」が9月6日、行われた。ヤフーニュースで皇室担当コメンテーターを務める、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「メディアの報道やそれに対するコメントからは、世論の風向きが変わりつつあると感じられた」という――。

■悠仁さまの成年式で感じた「これまでと違う印象」
今月6日、残暑というには厳しすぎる暑さのなか、秋篠宮家の長男、悠仁さまは、午前8時45分に始まる「冠を賜(たま)うの儀」から、夜の祝宴に至るまで、終日にわたる日程をこなされた。当日だけではなく、伊勢神宮や神武天皇陵への参拝など10日まで5日にわたる関連行事を終えられた。
こうした悠仁さまの姿を見て、神道学者で皇室研究者の高森明勅氏は、プレジデントオンラインで「皇室の将来を男子だけに託そうとする現在の皇位継承ルールが、いかに危ういかという現実を、改めて我々に突きつける結果になった」と述べている(〈「やっぱり“愛子天皇”を実現するしかない」皇室研究家が悠仁さま成年式を見てそう確信したワケ〉プレジデントオンライン2025年9月10日16時配信)。
高森氏の危惧に同意する読者は多いし、私も共有する。ただ、今回の「成年式」報道については、これまでと少し空気が違っている印象も抱いた。風向きがやや変わってきているように感じたのである。
単なる印象論ではない。たとえば、私がコメントを求められたヤフーニューストピックスのコメント欄、そして、その記事の扱い方が挙げられる。
■「愛子天皇」待望論が過熱するワケ
コメント欄では、たしかに、高森氏の意見と同じように、いまの皇位継承の流れへの危機感が広まっている。たとえば、「秋篠宮家で教育を受けてきて将来の天皇になると考えると素直に喜べない。個人的には愛子様こそが日本を代表する天皇に相応しい教育を受け知性や礼儀もあると思います」といったものである。
他方で、「成年式」関連の記事は、「ヤフトピ」と呼ばれる主なニュースには取り上げられたものの、「トップ」というYahoo! JAPANのトップページに表示される時間が短かったのである。
ここに変化を見てとれるのではないか。
皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳氏は、「悠仁親王が皇太子になるとしたら、それは秋篠宮が天皇に即位した時である。そうした事態がいつ訪れるのか、あるいは本当に訪れるのか、そこははっきりしていない」と指摘している(〈このままでは次代“天皇の母”は紀子さまになる…島田裕巳「愛子天皇待望論が過熱するもう一つの理由」〉プレジデントオンライン2025年9月5日午前6時配信)。
先に挙げた高森氏も島田氏も、ともに皇室典範の不備を的確に見抜いており、傾聴するほかない。彼らの記事が注目されるのも、まさに「愛子天皇待望論が過熱する」世論を反映していると言えよう。
■皇室典範では「想定されていない」事態
島田氏が言うように「皇室典範では、傍系の男性皇族しかいなくなる事態は明らかに想定されていない」。その未曾有の事態を前にしている以上、「愛子天皇」を期待する声が大きくなるのは、十分すぎるほど理解できる。
とはいえ、少なくとも現時点では、皇室典範の皇位継承に関する部分を変えようとする動きは、政治や行政の世界には見られない。皇室典範の第一条「皇位は、皇統に属する男子が、これを継承する」という条文を変えないかぎり、「愛子天皇」は実現しない。
もちろん、いまの法令が現状に合わない、つまり、「想定されていない」事態にある以上、ルールのほうを変える選択肢は、ありうるし、それこそが民主主義にほかならない。この事態は、ラテン語で、つまりは、古くから言われている法律についての格言に当てはまる。
その格言は、「Cessante causa cessat lex」、つまり、事実がなくなれば、法律もなくなる、というものである。
皇位継承は、「傍系の男性皇族しかいなくなる事態」。すなわち、直系の男系男子がいなくなる=事実が消えるのだから、格言に則れば法律(皇室典範)もまた消えなくてはならない。
果たしてそうだろうか。
■「悪法もまた法なり」
同じく古来の格言に「悪法もまた法なり」がある。これは有名だろう。皇室典範が、たとえ悪法だとしても、いや、悪法であればあるほどに、いまは守らなくてはならない。しかも、悠仁さまは今回、そして、愛子さまは約4年前に「成年皇族」になっている。法令で決められているだけではなく、すでにお二人とも、ひとりの成年として歩まれている。
である以上、いまから、おふたりの将来を大きく変えるべきなのかどうか。議論が分かれるのではないか。だからといって、いたずらに議論を封じるべきではないし、誰にも封じられない。あくまでも自由な意見交換は続けながら、他方で、現実を見据えた対応もしなければならない。

実際、先に述べたような、今回の「成年式」をめぐる変化は、日本国民の現実感覚をあらわしているのではないか。「愛子天皇」を望む人たちでさえ、今回の一連の行事を前にして、悠仁さまが「皇統に属する男子」だと認めつつあるのではないか。
■まるで韓国ドラマのような展開
たとえば、今回、宮内庁が公開した悠仁さまの「お写真」(出典=宮内庁ホームページ「悠仁親王殿下19歳のお誕生日に当たり」令和7年9月5日)と、「成年式」の姿を比べる声が散見される。その「お写真」は、大学生らしい、もっと言えば、筑波大学の、それも理科系の大学生らしい、淡いエメラルドグリーンのシャツとTシャツに、黒のパンツで自転車を漕ぐ姿である。
これに対して「成年式」では、モーニングコートに始まり、平安時代の装束「闕腋袍(けってきのほう)」から燕尾服まで、いかにも「成年男子皇族」としか言いようのないスタイルに身を包まれた。
普通の成年、そして、皇族、この2つのギャップは、しばしば韓国ドラマで用いられる設定と言えるだろうし、たとえば、「週刊女性PRIME」は、「ラノベのリアル版」という表現を使っている(「悠仁さま、成年式で見せた「寝ぐせの青年→神々しいプリンス」姿に相次ぐ絶賛とギャップ萌え、“ラノベのリアル版”と熱視線」「週刊女性PRIME」2025年9月9日配信)。
■蹴鞠で「先祖の血が騒ぐ」
写真のギャップだけで、悠仁さまへの好感度が高まったとまでは言えないかもしれないが、それでも、普段と儀式、それぞれの姿を目の当たりにして、もはやその存在を将来の天皇だと認識する人も増えたのではないか。
ほかにもNHKは、筑波大学附属高校の同級生から、次のエピソードを紹介している。
蹴まりをしていたとき「先祖の血が騒ぐ」って“皇室ジョーク”もありました。校庭でボールを蹴って「蹴まり」をしていたんです。「自分から言うんだ」と驚きましたし、おもしろかったです。実際話してみると、おちゃめで元気なほうで、結構感情を素直に表現するタイプです

(NHKニュース「WEB特集 成年式へ 素顔の悠仁さま」2025年9月3日17時33分配信)
普段着姿や、高校時代の逸話は、ひとつひとつは小さいものに過ぎない。
けれども、ひとつひとつが積み重なるにつれて、悠仁さまのイメージが世の中に徐々につくられていく。今回の「成年式」は、そのイメージ形成において、大きなターニングポイントになる可能性がある。
■「次代の天皇たることが確定している」
高森明勅氏は、先に触れた記事のなかで「直系の皇嗣が次代の天皇たることが確定しているのに対して、傍系の皇嗣はそうではない」点についても注意をうながしている。悠仁さまは、あくまでも傍系であり、生まれたときだけではなく、いまもなお「あくまでも暫定的なお立場にすぎない」ところを強調している。この点は、重々留意しなければならない。
それでも悠仁さまが生まれた19年前には、すでに「次代の天皇たることが確定している」ような雰囲気ではなかっただろうか。
実際、2005年には、小泉純一郎内閣のもとで、「皇室典範に関する有識者会議 報告書」が出されている。そこでは、皇位継承順位について「女子・女系への拡大は、社会の変化の中で象徴天皇制を安定的に維持する上で、大きな意義」とし、皇位継承順位について「『長子優先』又は『兄弟姉妹間男子優先』が適当」と提言していた。
この報告書を受けて、小泉内閣は翌2006年に皇室典範の改正案を提出する方針を、施政方針演説で明言する。ところが、そのおよそ20日後に、紀子さまのご懐妊が報じられると、小泉首相は方針を変え、皇室典範改正案の提出を先送りしたのである。
そして9月6日、悠仁さまがお産まれになると、翌年の通常国会にも改正案を提出しないと明らかにした。こうした経緯に鑑みると、悠仁さまもまた「次代の天皇たることが確定している」状態だったのではないか。

■令和流の皇族へ
加えて、悠仁さまが育ってきた平成、令和のあいだには、良くも悪くも、皇族と社会との関係は、大きく変わった。
ポジティブに言えば、親しみやすさが重視されるようになり、自由で闊達な言論、すなわち表現にタブーがほとんどなくなった。「愛子天皇」をめぐる世論が象徴している。他方で、ネガティブに見れば、バッシングというか、いじめともとられかねない言い方もまた、黙認されているというか、横行している。
秋篠宮さまは、「当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います」と述べられている(出典=宮内庁ホームページ「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和6年)」令和6年11月25日)。
それでも、立憲君主制のなかで、皇室にとって最も避けなければならないのは、人々からの関心を失う事態である。無視されたり、やりすごされたりすれば、民主主義の下での皇室は成り立たない。
であればこそ、悠仁さまへの視線の変わりようは、前向きにとらえられるに違いない。そのために宮内庁には、少しずつでも、その人となりがわかるような、令和流の皇族として親しみやすさと、親しみすぎのバランスを調整できるような情報発信が求められよう。
そして、「愛子天皇」をはじめとする、タブーなき議論を続けながら、同時に、「悪法もまた法」である点をふまえて、皇室を支えるためには、何よりも国会が、「安定的な皇位継承」に向けて、一刻も早く、そして、真摯な結論を出さなければならない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)

神戸学院大学現代社会学部 准教授

1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。
博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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