■登録者数740万人超! 「こたせな」が育った環境
「2人とも帰国子女じゃないのに英語がとても流ちょうで、英語が楽しく学べる!」と評判の、YouTube「『こたせな』チャンネル」を主宰している濱田たつやさん(28歳)と星名(せな)さん(23歳)の兄妹。
■アメリカ人の女の子と文通をしたのが英語に開眼したきっかけ
特にまゆみさんが英語好きになったのには“まゆみさんの父親”の存在が大きい。
「1963年に父が出張で渡米したのですが、アメリカ滞在中にケネディ大統領が暗殺されたんです。『ケネディが撃たれた!』と宿泊先のエレベーターボーイに聞いたなど、当時のアメリカの話をいろいろと話してくれたので、それが海外に興味を持つ最初のきっかけになりました」とまゆみさんは振り返る。
その興味がぐんと強まったのは、小学1年生のとき。父の取引先であったアメリカ人の娘さんと文通をすることになった。まゆみさんが日本語で書いた手紙を父が英訳して送り、向こうから返事が来ると「何て書いてあるの?」とワクワクしながら父に内容を聞くのが楽しみに。その後、クリスマスの時期に相手から届いたのが、日本では見たことのないようなブロンドヘアーで彫りの深い美しい人形にピンクのパジャマ。初めて海外の製品に触れて感激したそうで、「英語ができると世界中に友達ができるんだ!」というワクワクが、英語の道へと歩ませることになる。
その後、英語塾に通ったり、英語の学習テープを聞いたりと、夢中で学習を続けたまゆみさん。20代では「世界に友達を100人つくる」と目標を掲げ、和久さんと結婚後、27歳でアメリカの大学院に留学した。
「英語ができて良かった!とつくづく感じるのは、違う国、違う文化の人々と、プライベートを含めた深い話ができるようになったことです。相手の思考に踏み込んで、彼らの価値観に触れることで、一気に世界が広がったように思います。そして日本では当たり前のことがほかの国ではそうではないという気づきを多く得ました。例えば、私は20代後半で、サンフランシスコに初めての留学をしましたが、両親には最初『今から留学してどうするの?』と反対されました。当時は、25歳以上の女性は結婚して家庭に入るのが当たり前だったのです。でも、いざ留学に行ってみると、子供を産んだばかりの台湾人の女性が子供と夫を連れて留学に来ていてカルチャーショックを受けました。また、各国から来たクラスメートと話すと、当時の日本では当たり前だった『学歴が高いほうがいい』『大きな会社に入れば安泰』という価値観も国によって違うということがわかりました。自分の子供にも、私と同じように視野や考え方がぐっと広がる経験をぜひしてほしいと思っていました」
■24時間365日、家庭では「英語のみ」の生活をスタート
英語ができれば世界が広がると認識していたのは、夫の和久さんも同じだという。2人は長男のたつやさんが生まれたとき、家庭内では英語のみで話す「英語子育て」をすると決めた。
まゆみさんも0歳からの英語教育の重要性は認識していたが、まさか24時間365日、英語で子供と喋る生活になるとは思いもよらなかったそう。
「自分で勉強を頑張って英語力を高めた夫は『もっと小さい頃から英語をスタートしていれば』と大人になるにつれ感じたことから、子供は生まれたときから英語で育てると決めていたようで。夫の熱意を受け入れる形でスタートしました。
例えば、たつやさんが泣いてぐずれば「Are you hungry?(おなかがすいたの?)」とか「Is it hot?(暑いの?)」と声をかけるという、たわいもないものだったが、話しかけるときはすべて英語に変換していき、耳を慣れさせていった。
たつやさんが初めて喋った言葉は「Mom(ママ)」だったそう。
「親が英語しか話していないので、子供が英語を話すのは当然だと思っていました。『英語を喋った!』ではなく『言葉を喋った!』とほかの家庭と同じように感激したように思います」
たつやさんが保育園に行くようになると、園の先生とは日本語で話す“バイリンガル”生活がスタートすることになった。
「アメリカの大学院でバイリンガルを学んだときに、“一人一言語の法則”を教わりました。例えば、母親が英語なら英語だけで話す、ドイツ語ならドイツ語のみ……と、1人が一つの言語のみで喋ると、周囲にほかの言語を話す人がいようと、子供は混乱しにくいそうです。たつやの場合、夫と私は英語のみ、そのほか頻繁に会う祖父母や園の先生・友達は日本語で話していたので『そういうものなのだろう』と思い、過ごしていたようです」
病院の待合室などで、まゆみさんがたつやさんに英語で喋りかけていると、奇異な目で見られることもあり、くじけそうになることもあったとか。それでも濱田夫妻は、“英語のみの子育て”を貫き通した。
日本でも有名なアメリカの子供向け番組「セサミストリート」を親子で一緒に見たり、アルファベットを覚えるパズルをしたり、英語のカードゲーム(単語を覚えるカルタのようなもの)をしたり……。たつやさんがうまくやれるたび、まゆみさんは「Genius!(天才!)」や「You're great!(すごいね!)」と、褒め言葉も惜しみなくかけた。
さらに夜は、寝る前のベッドタイムストーリーとして和久さんが英語でおとぎ話を聞かせたり、絵本の読み聞かせをしたりしていたそうだ。
「夫は、朝と、夜帰宅してからしか子供に英語のシャワーを浴びせられないので、できるだけ多く会話しよう!と思っていたようで、お風呂の時間や寝る前などはフルに活用していました。ただ、いろいろなベッドタイムストーリーを子供たちに英語で聞かせていたことは、最近夫に聞いて初めて知りました(笑)」
■無邪気な長女の「おしゃべり」で8年目にして日本語解禁
たつやさんは5歳でインターナショナルスクールに入学し、家でも学校でも英語漬けの毎日に。その頃生まれた星名さんにも同様に0歳から英語で子育てをした。しかし、星名さんは保育園に入って先生や友達と日本語で会話する時間が長くなると、そのモードのまま、家でもたつやさんに日本語で話しかけるようになっていった。星名さんはお話が大好きで、家に日本語が溢れるようになっていったのだとか。それに呼応するようにまずはたつやさんが、そして和久さんが、最後にはまゆみさんも星名さんの無邪気なおしゃべりに負けて、皆が日本語で話すように。ゆえに家庭内の完全英語教育は8年目で終わった。
「英語でしか話しちゃダメ!と子供に言ったことはなかったので、星名に日本語で話しかけられたたつやは日本語で返すようになり……その流れのまま家族の会話が日本語へと傾いていってしまいましたが(笑)、英語の基礎教育をするには十分な年月だったと思っています。その時点で、例えばLとRの違いなど、日本音にはない音の聞き取り能力や発音を、たつやと星名はすでに習得していたので。星名もインターに入学するタイミングで、外で英語に触れる機会が一気に増えるので、家ではもういいか、となったんです。私も夫も日本人ですから、家では日本語で会話するほうがやっぱり楽なんですよ(笑)」
※本稿は、『プレジデントFamily2025夏号』の一部を再編集したものです。
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東野 りか
フリーランスライター・エディター
ファッション系出版社、教育系出版事業会社の編集者を経て、フリーに。
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(フリーランスライター・エディター 東野 りか 撮影=堀 隆弘)