警察庁によれば、2023年の行方不明者は9万144人という。彼、彼女らは失踪した後、どのような生活を送っているのか。
ライターの松本祐貴さんによる『ルポ失踪』(星海社新書)の第2章「父の失踪 18歳から風俗で働く娘を誰よりも愛していた」より、一部を紹介する――。(第1回)
■48歳風俗嬢と「お父さん」の不思議な関係
緒月月緒。不思議な名前だ。もちろん芸名で「おづきつきお」と読む。
東京都の郊外出身の48歳。風俗嬢として30年以上も働いているだけあって、とても40代には見えない。妖艶な雰囲気を持つ、しっとり美人だ。
月緒は、ひとことでいえば複雑な家庭環境で育った。月緒と父は、血がつながっていない。その理由は、母が月緒を妊娠しているとき、妊娠させた男とは別の相手と出会ってしまったからだ。
しかも、妊娠中の母は月緒が生まれる3日前にその新しい相手と入籍した。下に3人の子どもが生まれ、父親が違う長女の月緒を含む4人兄弟となった。
今にいたるまで月緒の本当の父親は消息不明となっている。
本人は自分だけ父親が違うことを知らずに自然と「お父さん」と呼んでいた。
両親の性格は、父は寡黙な暴君。母は弁が立つ。夫婦ゲンカをすると、母が文句を浴びせ、父が手を出す。その暴力がキッカケとなり、月緒が9歳のとき、両親は離婚にいたった。それでも父は月20万円の養育費を渡すため月に2~3回は家を訪れていた。
■27歳のときに失踪
月緒が27歳のとき、父がいなくなった。
その日付もわかっている。3月4日に会社の寮から夜逃げをして、失踪したのだ。月緒が母から父の失踪を知らされたのは、4月になってからだった。
それ以前から月緒は「お父さんの様子がおかしい。
絶対にうつ病だよ」と母に兆候を伝えていた。
例えば、毎年大晦日とお正月は離婚した父も含む家族みんなで過ごしていた。しかし、その年の父は年を越す前に会社の寮へ帰ってしまった。
父の仕事はトレーラーの運転手。年をとって、給料も下がってきていた。
いなくなる前日にも異変があった。プロドライバーである父が運転中にコーヒーにむせて壁に激突した。幸い人身事故ではなく、会社は「長年働いているので、責任は問わない。定年までいてほしい」と温情をみせてくれた。この事故とそれまでのうつ傾向が、失踪への契機となったのかもしれない。
月緒に突然「10代のとき専門学校に行かせられなくてごめん」と謝ってきたこともあった。父の意固地な性格を知る月緒はいぶかしがった。
そのときに父は「生まれ変わったら鳥になりたい」などとも口走っていた。
「あの人がうつだなんて信じられない」
母はそうこぼすだけだった。月緒は仕事のお客さんでうつの人を見慣れていた。父はその状態に近かった。
■年間9万人がいなくなる
すでに4人いた子どもたちも成人し、父は養育費を渡す必要はなかった。母は「あと数年経っておだやかな気持ちならまた一緒に住んでもいい」とまで言っていた。そんな状況下での突然の失踪だった。
母は警察に捜索願を出した。
失踪者の家族はどんな状況に置かれるのか。
「年間、数万人がいなくなるんですよね。その中にお父さんも入っていたんです」
「よくご存知ですね。2023年の警察庁発表のデータで約9万人ですね。
ただ同じく8万8000人近くは所在が確認されています。それには死亡者も含まれますが……」
「捜索願を出しても、警察はほとんどなにもしてくれません。するとお母さんがテレビの失踪人を捜索する番組に応募すると言い始めたので、なんとかやめさせました」
「事件や事故以外だと捜査はしてくれないのが現状ですね。月緒さんは父親がどこにいったと思っていましたか?」
「お父さんの郷里は東北なので、その辺りで農家の手伝いをしたり、以前からやりたいと言っていた焼き芋屋さんをしたりして暮らしているのではと考えていました。そのうち見つかるだろうとも」
■「お父さんが死んじゃった」
7月に入ったある日の朝6時過ぎ、警察から電話があり、母が出た。
「あなたの夫がビニールひもで首を吊って亡くなっています」
場所は東北の某県。しかも、父の実家から歩いて数分の距離。その場所で父親はフェンスに首を吊って死んでいた。
「お父さんが死んじゃった」
そう叫びながら母が連絡をしてきた。
月緒は、さまざまな思いがこみ上げてきて混乱していた。きっと気が動転していたのだろう。母と兄弟にお金を持たせ父のもとへ向かわせると、自分は五反田の風俗店へ出勤したのだ。

「仕事を休んで、お父さんのところに行けばよかったとお客さんのモノをしゃぶりながら気づいたんです。まさに“涙のシックスナイン”でした」
父の遺体と対面した母は「私が悪いってお父さんがいうのよ」と涙をこぼしていた。享年57歳だった。
父の車にあったレシートから移動の形跡が窺えた。父は失踪後、東京から東北地方、さらに北上し、北海道の摩周湖へと、車を走らせていた。一度、東京に戻ってから、東北某県の実家近くについたようだ。
■所持金はたった32円だった
死を選んだ場所は、実家が見えるほどの近さ。所持金は32円だった。
祖父は東北の田舎に広大な土地を所有している地主だった。父は長男で実家を継ぐ立場だが、勘当され、後に5人兄弟の末っ子が実家を継いだ。
父が結婚後、月緒と兄弟たちを連れて、実家を訪れたことで、祖父と父の関係は改善された。
「休みのときによく、おじいちゃんの家に遊びに行った記憶があります。
だからおじいちゃんとお父さんの関係は悪くなかったはずです。だけどお父さんは素直になれない性格でしたからね。母もそうなので、歯車が狂ってしまい……。結局は愛情確認ができない家族でした。そういうのも父がああなった原因のひとつなのかな」
月緒の考察だ。
祖父は経済的にも余裕があり、実家も豪邸だった。それでもお金がなくなった父は実家の敷居をまたぐことができなかった。
親への反抗心。男としての誇り。さまざまなものが父の胸には去来したであろう。結局、父は実家近くでの自死しか選べなかった。
自死なので警察での検死の後、葬儀となる。葬儀の日も月緒は風俗店に出勤していた。
■愛憎入り混じる母との和解
実は、失踪した3月から毎日14時過ぎに実家に無言電話がかかっていた。かけていたのは、きっと父だったのだろう。
「若いときはお父さんの自殺に衝撃を受けて、悲しいときもありました。でも『生きるも死ぬも個人の自由』なんで、お父さんはたまたまそれを選んだだけです。その悲しみも、男性のモノをしゃぶって現金に変えました(笑)。お金があれば大丈夫です」
軽口をたたくが、父の自死は20代の月緒に暗い影を落としたことは間違いない。そして、月緒にはもうひとり、愛憎が入り混じり、お金を吸いつくす母が残っていた。
母との確執は続いていたが、父が死んだ数カ月後に和解をした。
「お母さんは、私のことをなぜいじめてたの」

「それは、あなたがお父さんに愛されてたからよ」
たしかに兄弟の中でも血のつながっていない月緒は父にかわいがられていた。父の銀行の暗証番号も月緒の誕生日だった。そんな理由だったのか……。母もひとりの女だったのだと、月緒は母の器が小さく思えた。
父の使っていた車を遺品としてもらい受けた。しばらく母が使ったが、ケガが多かった。車から出て転ぶ、ドアに指をはさんで骨にひびが入る、後部座席のガラスが割れる……。母は宗教にこっていたこともあり、父の亡霊だと信じ込んでいた。
■「やっと自分のために生きている」
さんざん月緒に迷惑をかけてきた母だったが、父に遅れること十余年。病気で亡くなった。
妹から連絡があったが葬式には来ないでほしいと伝えられた。葬式代としてお金だけは振り込んだ。訃報を知ってから、月緒はSMショーに出演した。
結局、月緒は自らの体で稼いだお金をどれくらい母に渡したのだろう。
「わからないです。以前、数えてみたら私が男性の相手をした数は1万7000人ぐらいでした」
男が支払った額すべてが月緒に入るわけではないが、総額を考えると、とてつもない額に思える。
「バブルの残り香がある時代はお客さんからのチップは1万円が普通でした。『明日、お買い物行くんだ』と伝えると5万円のお小遣いをくれるお客さんもいました。それが1日何人かいると、スゴい額になります」
「月緒さんはブランド物を買ったりする趣味はあるんですか?」
「いや、そういうのには興味ないです。ただ、美輪明宏のエッセイに『いいものを知った方が上品になれる』と書いてあったので、いい食器を集めたり、美術館めぐりをしたりしていました。着物姿で歌舞伎を見に行くのは好きでしたね。ブランド物でいうと、ヴィトンは肩がこるし、プラダはパラシュートの布だから、お母さんに全部あげました」
母が亡くなったことで月緒は「やっと自分のために生きている」と思えた。
国内外の旅行にも初めて行った。
■家族が好きだけど、好かれる方法がわからなくて
「お母さんには『お金、お金』といつも言われていて自分で使う余裕がなかったんです。でも、お母さんのことは大好きだったからいっぱいお金で返してあげました」
そのお金は兄弟の生活費、学費にも消えた。
「兄弟には自分ができなかった部活や学費で苦労させたくなくて。やりたいことをやらせてあげたいですしね」
昭和ならまだしも平成から令和に変わるこの時代に、兄弟の学費を出す姉とは、本当にあっぱれだ。
「私は家族が好きだけど、家族に好かれる方法がわからなくて、嫌われていた……」
月緒は年下の兄弟たちとの接し方がわからなくて、幼いころに木に縛り付けたりもしていた。
「人はやったことは覚えてないけど、やられたことは覚えてますからね。兄弟に嫌われて当然です。ただ、私はS嬢をやっているので、M男に『なぜ月緒さまはそんなにいじわるを思いつくんですか?』と聞かれることがあります。きっと子どものころに兄弟をいたぶっていたからです。ほかには、時代劇の折檻シーンや永井豪の『バイオレンスジャック』が好きでした。寝ている弟や妹を縛ったりしていましたね」
当時は、自分だけが悲劇のヒロインで、父母、兄弟はひどいと思いこんでいた。だから兄弟と話さない時期もあったし、母の没後は連絡をとっていない。しかし、兄弟たちは姉が稼いだお金で、生活をし、学校に通っていたはずだ。そういう面では、両親より感謝されてもいいほどである。
それでも月緒は父と母に愛された記憶があり、最後まで面倒をみると決めていた。
「兄弟は多分母の面倒をみなかったと思う。だから、母が介護を受けるような年齢より早く亡くなってよかった。40過ぎてからは風俗嬢も大変なの」
と、月緒は自分を納得させるようにつぶやいた。

----------

松本 祐貴(まつもと・ゆうき)

編集者・ライター

1977年、大阪府生まれ。雑誌記者、出版社勤務を経て、フリー編集者&ライターに。人物インタビュー、ルポ、医療など幅広いジャンルで執筆・編集を手がける。近年は失踪や孤立といった社会的テーマに注力。著書に『泥酔夫婦 世界一周』(オークラ出版)、『DIY葬儀ハンドブック』(駒草出版)などブックライターとしても多数の作品に関わる。趣味は旅とワイン。

----------

(編集者・ライター 松本 祐貴)
編集部おすすめ