■今期「NHK朝ドラ」に熱狂した意外な“視聴者層”
今田美桜主演のNHK朝ドラ「あんぱん」がまもなく最終回を迎える。
日本初の女性法曹家を描き話題となった伊藤沙莉「虎に翼」、評価も視聴率もさんざんだった橋本環奈「おむすび」の後を受け、再び朝ドラの評価を挽回した同作。快進撃の要因は何だったのかを、視聴データを含めて分析した。
作品は、漫画家・絵本作家やなせたかしと暢夫妻をモデルにしたオリジナルドラマだが、結論を先に言えば、やなせが描く一連の絵本シリーズ(1973年、「キンダーおはなしえほん」10月号に初掲載)や、アニメ(1988年~放送開始)で知られる『アンパンマン』を題材にしたのが最大の勝因だった。
朝ドラの直近5作の「属性別個人視聴率」を比較すると一目瞭然。同作は、「MC層(男性4~12歳)」で過去4作を大きく引き離した。グラフでは、その突出した人気ぶりがよくわかる。保育園・幼稚園児や小学生に爆発的にウケたのだ。
加えて「FC(女性4~12歳)」「19歳以下」「M1(男性20~34歳)」でも過去4作以上の数字だった。さすがに世界のキャラクタービジネスで、堂々の6位となっているアンパンマンを扱った同作は、NHKの朝ドラとしては若年層に強い異例の視聴者構成となったといえるだろう。
惹きつけたのは、子供や若者だけではない。75歳以上でも首位となり、細かく属性別に分類すると、「政治に関心あり」層、「テレビドラマ好き」層などでも上位を占めた。キャラクターだけではなく、描かれた世界観・メッセージ・ストーリー展開などでも評価されていたのである。
高齢者の高評価は、高知の“美しくて豊かな自然”とハイカラな家庭環境が、序盤で存分に描かれた点が寄与していると思われる。やなせたかしの才能を育んだ環境だが、アンパンマンで描かれる世界も山・川・海が広がる一方で、村にはモダンで洋風な家々が並ぶ。
嵩(北村匠海)の側は、医師の伯父・柳井寛(竹野内豊)、美しい伯母・千代子(戸田菜穂)、そして実母・登美子(松嶋菜々子)などハイカラな家庭。そして、のぶ(今田美桜)の実家は、石屋の祖父・釜次(吉田鋼太郎)、母・羽多子(江口のりこ)、次女・蘭子(河合優実)、三女メイコ(原菜乃華)が地方の典型的な家族を織りなす。郷愁や憧れの念を抱いた高齢者は少なくなかったはずだ。
「政治に関心あり」層にとっては、戦争に挙国一致で邁進した“正義”が脆くも崩れ、嵩とのぶが“逆転しない正義”を求めるようになる展開が刺さったのだろう。そして嵩が伯父に教えられた“絶望の隣は希望”を信念とし、数十年かけて「アンパンマン」をヒットさせていく展開が、「テレビドラマ好き」を唸らせたのだろう。
キャラクター・テーマ・ストーリーテリングと三拍子そろった点が、視聴データにも表れている。
■逆風の中でのスタート
しかし「あんぱん」は、順風満帆の中で始まったわけではない。
直近5作を振り返ると、リアルタイム視聴が後退するテレビ放送の中で朝ドラマはさまざまな実験をしてきた。主人公を男性にした23年前期「らんまん」(神木隆之介・主演)、戦前から戦後の日本のポップス界を舞台にした同年後期「ブギウギ」(趣里・主演)、女性差別の克服というハードなテーマに挑んだ24年前期「虎に翼」(伊藤沙莉・主演)などだ。そして一定の数字と評判を残した作品は、次の作品に好調なスタートを切らせてきた。テレビのリアルタイム視聴が苦戦する中、近年の朝ドラは健闘していたのである。
ところが24年後期「おむすび」(橋本環奈・主演)が全てをぶち壊してしまった。「ギャル」に挑んだ勇気には敬意を表すが、最初の3週で視聴者は大量に逃げてしまった。逃げた視聴者は最後まで戻って来なかった。そしてあおりを受けた「あんぱん」のスタートは、最悪の視聴率を強いられた。
「おむすび」の敗因については、本欄の過去記事を参照頂きたい。
「朝ドラ史上まれにみる『第1週で脱落』現象…橋本環奈の『おむすび』が『これから面白くなる気がしない』辛辣理由」
「尋常ではない"橋本環奈離れ"が起きていた…NHK『おむすび』が史上最低の朝ドラになってしまった本当の理由」
それでも「あんぱん」は、第1週「人間なんてさみしいね」の冒頭3話で一挙に挽回し始めた。
「"つまらんオブつまらん"の『おむすび』下回る初回視聴率…それでも『あんぱん』が大化けすると言える納得の理由」でも触れたが、ピンチをチャンスに逆転させることができたのは、まさにアンパンマンのヒットまでにやなせたかしが体現した哲学とキャリア戦略があったからである。
■コンテンツビジネスの要素
実は「あんぱん」の職業別個人視聴率の推移を振り返ると、興味深い事実が浮かびあがる。
序盤から中盤を経て直近4週間の平均を比べると、「役員・管理職」層は右肩上がりだが、「非管理職」層は最初から関心を示さず、ずっと低迷したままだった。
当初からあまり高くなかった層では明暗が分かれた。「企画・マーケティング職」層は回が進むにつれ視聴率を大きく上げたが、「技能・生産職」層は逆に下がってしまった。ヒットの条件を考えさせる要素が随所に出てくる物語なので、新規ビジネスに関わる人々には気になるドラマになっていたと思われる。
そして当初から数字が高かった層では、「教育職」が右肩上がりとなり、その上に「研究・開発職」がきた。なんと「非管理職」の2~3倍、「技能・生産職」と比べても1.5~2倍に急伸していた。人間の育成やイノベーションのヒントが満載だったからである。
こうした要因は、ドラマが描いた“やなせたかし自身のキャリア戦略”にあった。
戦後に彼が勤めたのは高知新聞と三越。新聞社では月刊誌を担当し、一人で記者・編集者・イラストレーター・漫画家など何役もこなした。これが後に、作詞・ラジオドラマの脚本・ミュージカルの美術・テレビ出演など、やったことのない仕事を次々に成功させる土台となる。
三越でも「漫画家として独立したい」と思いつつも、サラリーマンとして生活を堅実に守り続けた。副業は夜間や週末に兼業としてこなし、時間をかけて自己実現を果たしていった。
現代の大手企業の多くは、分業化と専門化が進んでいる。そこにインターネット化が進み、既存のメディアは後退を強いられ、古い体質の大企業もイノベーションのジレンマに陥った。こうした時代の変化に敏感な「役員・管理職」や「企画・マーケティング」担当などは、「あんぱん」に描き込まれたやなせたかしの仕事の仕方にヒントを得ていた可能性がある。
さてドラマは残すところ2週間を切った。いよいよアンパンマンがどう世界的なIP(知的財産)に成長していくのかが描かれるだろう。スーパーマンやバットマンなど、典型的なヒーローと異なるアンパンマン。決して格好はよくなく、敵を完膚なきまでに叩きのめさない。これまでに例のないヒーローが誕生した背景には、やなせたかしが育った高知の自然や暮らしがあり、戦争体験が信念を確立させ、コンテンツビジネスが軌道に乗るまでのやなせ自身のキャリア戦略があったと気づかされる。時代にマッチした傑作と言えよう。
ただし、あえて批判を加えれば、ドラマの主人公はのぶではなく、やなせたかしと見えてしまう点だろう。
放送した当のNHKが、そんな状況を正しく把握しているか否かは知る由もないのだが……。
----------
鈴木 祐司(すずき・ゆうじ)
次世代メディア研究所代表 メディアアナリスト
愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中、業務は大別して3つ。1つはコンサル業務:テレビ局・ネット企業・調査会社等への助言や情報提供など。2つ目はセミナー業務:次世代のメディア状況に関し、テレビ局・代理店・ネット企業・政治家・官僚・調査会社などのキーマンによるプレゼンと議論の場を提供。3つ目は執筆と講演:業界紙・ネット記事などへの寄稿と、各種講演業務。
----------
(次世代メディア研究所代表 メディアアナリスト 鈴木 祐司)