幸せに生きるために大切なことは何か。花まる学習会代表の高濱正伸さんは「他人の評価軸に人生を委ねず、自分の心の躍動に忠実に生きることだ。
心のなかに“こだわり”を抱えていると、中高年になってから『自分の人生はなんだったのだろうか』と悩むことになる」という――。
※本稿は、高濱正伸『16歳のキミへ 自分らしくどう生きるかが見つかるヒント』(実務教育出版)の一部を再編集したものです。
■いつの間にかはまっている人生の落とし穴
いま、キミは「だれのゲーム」を生きているのだろう。気がつかないうちに、他人のゲームを生きてしまってはいないだろうか。
そんな問いについて考えるために、まず、ぼくたちがはまりがちな“落とし穴”の存在を知ることから始めましょう。
ネットやSNSで話題になるのは、だいたいがネガティブなメッセージです。
だれかの悪口。学校や職場の愚痴(ぐち)。ものごとの悪い面がフォーカスされ、いつもだれかとだれかが対立している。そういう情報ばかりを目にしていると、何をするにもネガティブな気持ちが先行してしまうこともあるかもしれない。
10代の子があこがれの職業について調べていたら、その仕事の“ブラック”(労働条件や就業環境が悪いということ)な面に関する投稿がたくさん出てきて、その世界に入ってみる前から、「こんな職業、自分には無理だ」と諦めてしまった、というような話も聞いたことがある。
ではなぜ、世の中はこんなにネガティブなメッセージで溢(あふ)れているのだろう?
それはぼくらの心に、いろいろな「こだわり」があるからです。

「こういうものだ」とか「こうじゃなきゃ、いやだ」とかいう、こだわり。「好き」も「嫌い」も表裏一体のこだわりです。
こだわり自体は、悪いことではありません。こだわりがあるから恋愛も充実するし、勝負に勝つとうれしい。
でも、残念な方向にこだわると、人生が苦しくなるし、場合によっては罪だって犯してしまうことがある。やる前から「どうせできないし」と自分を蔑(さげす)んだり、だれかを羨(うらや)んで引きずり下ろそうとしたり。
いま、こんなにも世の中に愚痴やネガティブなメッセージがはびこっている背景には、次のような「4つのこだわり」があるんじゃないかと、ぼくは考えています。
■こだわり その1「比較」
どちらのほうが上か下か、いいか悪いか……。ぼくらは、よく何かと何かを比べてしまう。この癖は、なかなか抜けない。
もちろん、他人と比べることをまったくしないのは無理です。それに、たとえば「昨日の自分よりも、今日の自分のほうができることが増えた」というように、自分やチームの成長に焦点を当てる比較なら、プラスに働くこともある。

まずいのは、「いまの自分」を否定する比べ方をすること。
「あの人のほうが、親がお金持ちでいいな」

「あの子のほうが、賢くていいな」

「あいつのほうが、スタイルが良くて羨ましいな」
こんなふうに、自分がいまもっていないものをもっている人を見つけて嘆く。いまの自分や、いまいる場所を否定する比べ方。これをしていると、どんどんつまらない生き方になっていきます。
■こだわり その2「やらされ」
勉強でも仕事でも、自分が「やりたい」と思う理由や「やりがい」をもっている人は、生き生きと楽しそうに取り組みます。
でも、子どもの頃から「~しなさい」ばかり言われて、それに従ってきた人は、何をするにも「やらされている」という意識から逃れられなくなってしまう。
そういう人は、目の力がなくなって、ため息ばっかりつきます。「やらされている」意識だから、とにかく早く終わらせることばかり考えている。やることなすこと、全然楽しくないんです。
■こだわり その3「人目」
人の目を気にするのは、当たり前のことです。
でも、人からどう見られるかばかりにこだわりすぎると、自分がしたくないことをすることになる。ときには行動を起こすことすらできなくなります。

みんながもっているブランド品を自分だけもっていないと、「あの人はお金がない、と思われてしまうかな」と考えて、欲しくもないカバンや洋服を買ってしまうとか。
文化祭の実行委員をやってみたくても、「ここでぼくが立候補したら、クラスのみんなからイタイ奴だと思われるかな」と考えて、立候補できなくなってしまうとか。
たぶんまわりの人は、自分が気にするほど、自分のことを気にしてなどいないんだけどね。
■こだわり その4「コンプレックス」
「どうせ頭が悪いから」「どうせブスだから/ブサイクだから」「どうせ足が遅いから」というように、できないこと、劣っていることばかりにこだわって脱出できなくなることがある。
このコンプレックスの正体は、思い込み。
ふしぎなもので、「私は、勉強が得意かも」と信じたとたんに、自己評価が変わり、どんどん楽しくなることもある。他人から見れば、そもそも嘆く必要がないようなことにこだわっている人も、とてもとても多いんです。
もちろん努力してもできないこと、変えられないことはあります。
でも、努力しても克服できないことにこだわり、ずっと気にしていると、「自分はダメな人間だ」と、どんどんコンプレックスの罠(わな)にはまっていってしまうのです。
■大切なのは「キミは、どう生きたいか」
どうだろう。この4つのこだわり。
キミにも、思い当たることがあったのではないでしょうか?
人間は3歳頃までは、身のまわりのいろいろなものに関心をもって、勝手に夢中になっています。
この頃は、だれも自分を見失っていません。
ところが、大きくなるにつれて、まわりの評価基準が入ってくる。そうすると、この「比較、やらされ、人目、コンプレックス」のこだわりが、徐々に大きくなっていく。
いまはSNSがあるから、学校にいる間だけでなくスマホの中でも、ずっと人間関係が続いているようなものです。
だから、ひとりになれる時間がなく、どんどん他の人のことや他人にどう思われているかが気になってしまい、この4つのこだわりをこじらせてしまう人もいるかもしれませんね。
でも、本当に大切なことは、人と比較して優れていることでも、人から「やれ」と言われたことを渋々やることでも、人からよく思われることでも、劣っていると思い込んで嘆き続けることでもない。
大切なのは、「キミは、どう生きたいか」なのです。
■他人軸で生きていると自分では決められない人になっていく
高校生くらいになると、「どうやらみんなが大事にしている、偏差値やランキングといった基準がある」ということには当然気づいています。
進路や就職といった選択に関して、「理系のほうが就職に有利らしい」とか、「いま年収ランキングで上位にいるのはこの業界の会社だ」とか、いろいろな情報も入ってくる。
そうすると、他人が決めた枠組みの中でがんばるのが得意になってしまう人も多いんです。
テストで点をとったり、決められた基準で結果を出すのは得意。ただし、自分では決められない人、選べない人になっていく。

当たり前だと思われていること、みんなが「いいね」と言っていること、世間の枠組みそのものを、問い直す。これを哲学といいます。この哲学が、自分で決めたり選んだりするためにはとても大切なのです。
枠の中だけでがんばったり悩んだりしていると、ゼロベースで哲学をする機会がどんどんなくなってしまうんですね。
■自分で決めるには「哲学」が必要
ちなみに、アメリカが世界に誇る名門大学のひとつ、スタンフォード大学にはオンラインハイスクールがあり、全米トップクラスを誇る進学校になっています。その学校では、哲学が必修科目になっているそうです。
校長を務めている星(ほし)友啓(ともひろ)さんからその話を聞いて、これからは、既存の枠組みの外に出てものごとの本質を考える「哲学」の力が、生きていくうえでのよりどころになっていくのだろうと思いました。
どうすれば既存の枠組みの外に出て、ゼロベースで考えることができるか。詳しいことは『16歳のキミへ 自分らしくどう生きるかが見つかるヒント』(実務教育出版)第2章で詳しく紹介していますが、まず、キミたちが悩んでいることの多くが、だれかが決めた「枠」の中にあることを、自覚してみてください。
■自分がもっているものを考えてみよう
最近よく聞く「親ガチャ」という言葉。特に経済的に恵まれた家庭に生まれることを「親ガチャ成功」、あまり恵まれていない家庭に生まれることを「親ガチャに外れた」と言う。
これも、人の家庭と自分の家庭を比べながら、いまの自分に「ない」ものを嘆く考え方です。

経済的に恵まれず、子どものときから十分な機会を与えられなかった。同級生が当然のようにもっている文房具を買えなかったし、塾にも行けなかった。
だから、勉強や就職で差がついて当然だ。自分には何もない……。そう考えてしまう人がいる。
では、いま「ある」もの、「もっている」ものはひとつもないのだろうか?
試しにキミも、いまの自分にあるもの、もっているもの、できることを挙げてみてください。
どこか一カ所でも、体に自由に動かせる部分がある?

文字が読める? 言葉を話せる?

笑うことができる?
やる気、優しさ、楽観的な性格……。なんでもいい。いまの自分にあるもの。
──おそらく何ひとつ「ない」という人は、いないんじゃないかな。
時間、頭脳、体力、環境。
気づいていないだけで、キミたちはすでに「資本」をもっている。資本とは、活動のもとになるもののことです。人それぞれ、もっている資本の種類や量は違うけれど、何の資本ももたない人はいない。
だったら、いまある資本を使って、自分やまわりの人をどう幸せにするかのゲームをすればいいんです。
■「自分のゲーム」を生きよう
雨が降ったら、雨の日の遊び方がある。たとえ自分の理想どおりではなくても、いまの自分がもっているもの、最低限やれること、天から与えられた力をフル活用して、自分の人生を切り開いていくことが、ぼくたちにはできる。
そのために大切なのが、他人の評価軸に人生を委ねていないで、自分の心の躍動に忠実に生きること。
いわば、究極の「マイペース」を貫くことです。
幼い頃は、みんなマイペースです。他人にこだわっていなくて、自分の関心があるものに向かって、思いきり夢中になっている。子どもの頃はできていたのだから、本来はすべての人が、マイペースに生きられる素地をもっているということです。
マイペースに生きるためには、第一に、自分の心をいつもモニターして、何にワクワクするのかを見つめていなければいけない。その興味や関心をスタート地点として、己の実力と世界の枠組みとを見定めて、目標や進路を決めていく。そして、一心に努力すること。
これが「他人のゲーム」ではなく、「自分のゲーム」を生きるということではないでしょうか。
大人になればなるほど、「自分のゲーム」を生きなくても、毎日をやり過ごせるようになっていきます。
たとえば家庭や子どもをもって、だれか(家族)のために生計を立てたり、子育てをしたりしていると、毎日やることが多くて、なんとなく充実している気になれてしまうんですよ。
だから、自分の孤独や、いつか終わりが訪れる自分の人生に向き合ったことがない大人がたくさんいる。
そういう人たちが、仕事や子育てが一段落したときに、「あれ、自分の人生ってなんだったんだっけ?」と思い返すことになるんです。

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高濱 正伸(たかはま・まさのぶ)

花まる学習会代表

東京大学卒、同大学院修士課程修了後、1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立。1995年には、小学校4年生から中学3年生を対象とした進学塾「スクールFC」を設立。全国に生徒数は増え続け、近年は音楽教室「アノネ音楽教室」、スポーツ教室「はなスポ」、囲碁教室や英語教室など全国で多岐にわたる教室を展開している。算数オリンピック委員会の作問委員や日本棋院理事も務める。

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(花まる学習会代表 高濱 正伸)
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