会社組織では、個人を学歴や職務経歴、肩書など「ラベル」で判断する傾向が強い。人材マネジメントに詳しいグローネクサス代表の小出翔さんは「世界的なHRの潮流としては、個人をスキルで評価する方向に大きく変化している。
日本でも先進的な企業はそうした方向に舵を切った。企業も個人も意識変革が必要だ」という――。(第4回/全5回)
※本稿は、小出翔『誰もが成長し活躍する会社のしくみ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■新しい「組織OS」が個人の成長をもたらす
「採用難」「離職率上昇」「組織の硬直化」……従来の組織マネジメント手法は時代にそぐわなくなりつつあり、新しい人材マネジメントが求められるようになっています。
そんな中、アメリカHR発で、人事・人材マネジメントの分野で起きている新しい潮流、それが「スキルベース組織(Skills-based Organization)」です。
この新しいアプローチは、【企業の成長】と【個人の成長】という2つの側面で、「4つのインパクト」を人材マネジメントにもたらしますが、そのうち前回記事(「上司の勘で行う"適材適所"より効果的…AIマッチング技術による"配置"が成果をあげるワケ」)では「企業の成長」の側面から2つのインパクトについて見ていきました。
本稿では、この新しい「組織OS」を導入することで、個人に起こる2つのインパクトについて解説していきます。
■組織では「個人の能力」は見えなくなる
あなたの会社では、社員一人ひとりが「自分は何が得意で、どんなスキルを持っているのか」について、明確に言語化できているでしょうか? そして、経営層や人事は、そのスキルを正確に把握できているでしょうか?
残念ながら、多くの組織では、個人の能力が驚くほど「見えていない」のが現実です。
その大きな要因は、私たちが無意識のうちにとらわれている「バイアス(偏見や思い込み)」にあります。
「彼は○○大学出身だから優秀なはずだ」

「彼女はまだ入社3年目だから、この仕事は任せられないだろう」

「あの人は営業一筋だから、企画の仕事は向いていない」

「ベテランの○○さんは、今さら新しいデジタルツールは使えないだろう」
私たちは、学歴、年齢、過去の職務経歴といった「ラベル」で人を判断しがちです。もちろん経験は重要ですが、そのラベルが、その人の「今、持っているスキル」や「将来の可能性」を正確に反映しているとは限りません。
■一人ひとりの強みを可視化する
スキルベース組織は、この「見えない」状態を打破し、一人ひとりの強みを「可視化」することからスタートします。

たとえば「営業力がある」という曖昧な表現ではなく、「顧客の課題を特定するヒアリングスキル」「データに基づく提案書作成スキル」「新規顧客との関係構築スキル」といった具体的な要素に分解して可視化します。
この取り組みは、すでに先進的な企業で始まっています。一例を挙げると、富士通では、全社員約12万人超(*)のスキル情報を可視化するシステムを導入しています。

*富士通 OneFujitsuプロジェクトの一環 富士通が目指す「人事業務改革」
社員は自身の専門分野や保有資格だけでなく、過去のプロジェクトで培った経験やスキルを登録し、それをAIが分析することで、社内の隠れた才能を発掘するしくみを構築しています。
これにより、社員は自分自身の強みと、まだ足りていない部分(スキルギャップ)を客観的に認識できるようになります。「なんとなくこの仕事は得意だ」という感覚を、「このスキルが自分の武器だ」という確信に変えることができます。これは、自己肯定感とモチベーションを高めるうえできわめて重要です。
■50代事務職がDXプロジェクトに抜擢されたワケ
ある会社で、特定部門を対象とした「スキルの棚卸しワークショップ」を実施した際のことです。参加者の中に、長年、事務職として働いてきた50代の女性社員がいました。
彼女は当初、「私には専門的なスキルなんて何もありません」と、少し自信がなさそうな様子でした。
しかし、ファシリテーターが彼女のこれまでの経験を丁寧に深掘りしていくと、彼女が「ただの雑用」だと思ってこなしていた業務の中に、驚くべき価値が隠れていることが次々と見えてきました。
たとえば、営業担当が強引に持ってきた短納期の案件に対し、怒りの感情を示す現場責任者をなだめつつ、過去の類似案件のデータを引き合いに出しながら双方が納得する現実的なスケジュールの落とし所を見つけていたこと。


これは単なる“伝書鳩(メッセンジャー)”ではありません。「ステークホルダー・マネジメント(利害調整)」であり、「コンフリクト・マネジメント(対立解消)」のスキルです。
ホワイトボードに書き出された「スキル」を見た瞬間、彼女の表情がぱっと明るくなったのを覚えています。「これが私のスキルなんですね。これなら、ほかの部署でも貢献できるかもしれない」と、彼女は力強く語りました。
その後、彼女は全社的な業務改革(DX)プロジェクトの推進役に抜擢され、現場の暗黙知をシステムに落とし込むための「翻訳者」として、見事にその役割を果たしています。
スキルの可視化は、単なるデータ整備ではありません。それは、社員一人ひとりが自分の可能性に気づき、次の一歩を踏み出すための「エンパワーメント」です。
■なぜリスキリングが進まないのか?
今、多くの企業が「リスキリング(Reskilling:新しいスキルの習得)」に取り組んでいます。変化の激しい時代において、既存のスキルだけでは通用しなくなるという危機感があるからです。
世界経済フォーラム(WEF)の『The Future of Jobs Report 2023』によれば、今後5年間(2023-2027年)に、労働者のスキルの44%が“変容(disrupted)”すると雇用主は見込んでいます(*)。

*World Economic Forum, “The Future of Jobs Report
しかし、多くの企業では、リスキリングが思うように進んでいません。

「とにかく何か学ばなければ」と焦り、会社が提供するeラーニングのプログラムを片っ端から受講したところで、それが自身のキャリアや会社の戦略と結びついていなければ、学習のモチベーションは長続きしません。
リスキリングが進まない根本的な原因は、「何を学ぶべきかが明確になっていない」ことにあります。
スキルベース組織は、この問題に対する明確な解を提供します。まず、会社が将来の戦略を実現するために、どのようなスキルがどれだけ必要になるのか(未来のスキル需要)を定義します。そして、社員一人ひとりの現在の保有スキル(現在のスキル供給)を可視化します。
この両者を比較することで、個人レベル、そして組織レベルでの「スキルギャップ」が明らかになります。このギャップこそが、今、優先的に学ぶべきテーマです。
目指すべきゴールと、そこに至るために必要なスキルが明確になれば、社員は迷うことなく、意欲的に学習に取り組むことができます。
■「やらされ感」から「キャリア自律」へ
会社が社員のキャリアを一方的に決める時代は終わりました。いまや、社員一人ひとりが自らのキャリアに責任を持ち、主体的に能力を開発していく「キャリア自律」が求められています。
しかし、「キャリアを自律的に考えなさい」と言われても、多くの社員は戸惑います。「自分にはどんな強みがあるのか」「会社は自分に何を期待しているのか」がわからなければ、方向性を定めることは難しいからです。

スキルベース組織のアプローチは、このキャリア自律を強力に支援します。
自分の保有スキルが可視化されることで、社員は自身の市場価値や強み・弱みを客観的に認識できます。また、社内で求められているスキルや、様々な役割(ポジション)に必要な要件が明確になることで、「次はあの仕事に挑戦してみたい」「そのためには、このスキルを身につけよう」といった具体的な目標設定が可能になります。
会社が用意したレールの上を歩くのではなく、自らの足で道を切り拓いていく。スキルベース組織は、社員の「やらされ感」を払拭し、一人ひとりが主役となってキャリアを築いていくための環境を提供するのです。
■従来型評価制度の限界と「納得感」の欠如
人事制度に関する不満の中で、最も根深いのが「評価と処遇」に関する問題です。評価への納得感は、社員のモチベーションやエンゲージメントに直結する、きわめて重要な要素です。
不公平感や不透明感は、組織への信頼を損ない、優秀な人材の離職を引き起こす最大の要因の一つとなります。
スキルベース組織は、「スキル」という透明性の高い基準を導入することで、この長年の課題を解決し、公正で納得感のある評価・処遇を実現します。
なぜ、従来の評価制度では納得感が得られにくいのでしょうか。実際、スマートキャンプの調査(2025年)によれば、「従業員54%が人事評価制度に不満」という結果が明らかとなっており、多くの人が評価の基準やプロセスに何らかの不満を抱えていることが示唆されています(*)。

*BOXIL「人事評価制度と人事評価システムに関する満足度調査
■メンバーシップ型の課題:基準の曖昧さと属人化
メンバーシップ型では、「協調性」や「積極性」といった「情意評価(態度や意欲に対する評価)」が重視される傾向があります。

しかし、その基準は曖昧で、評価者である上司の主観や相性に左右されやすく、評価が属人化してしまうリスクがあります。
フィードバックも抽象的になりがちで、具体的に何をどう改善すればよいのかが見えにくいという問題があります。
■ジョブ型の課題:短期的な成果主義と硬直性
一方、ジョブ型では、職務記述書に基づき、その達成度で評価が決まります。基準は明確ですが、過度な「成果主義」に陥りやすい点が課題です。
ジョブ型=成果主義ではありませんが、職務を毎年見直すという性質上、成果目標はどうしても短期的になりやすいという特徴があります。短期的な目標達成ばかりが重視されると、中長期的な成長(新しい知識の学習など)や、チームメンバーを助けるといった行動が評価されにくくなります。
また、期初に設定した目標が期中に意味をなさなくなることもありますが、硬直的な制度ではそれに対応できず、不合理な評価となることがあります。
■「スキル」という客観的な基準による透明性
スキルベース組織の評価は、これら両者の課題を克服するアプローチです。その鍵は、「スキル」という客観的で透明性の高い基準を、評価の中心に据えることにあります。
具体的には、以下の2つの側面から評価を行います。
①スキルの「発揮」度合い(パフォーマンス)
保有しているスキルを、実際の業務でどれだけ発揮し、成果に繫げたか。
②スキルの「習得」度合い(成長)
新たなスキルをどれだけ習得し、能力を高めたか。

たとえばIBMでは、スキルを人材マネジメントの中核に置き、社員のスキルレベルやその市場価値に基づいて評価・報酬を決定するしくみを導入しています。同社はAIを活用して社内外のスキルデータを分析し、社員一人ひとりに必要なスキルの習得を促すと共に、その成長を評価に反映させることで、社員のエンゲージメント向上を実現しています(*)。
*MIT work OF THE FUTURE “The Learning System at IBM: A Case Study
■「スキル」を基準にすることで評価が公平になる
このアプローチのメリットは、評価のプロセスがきわめて具体的かつ客観的になることです。
上司と部下は、「どのスキルを、どのレベルまで高めるか」「そのスキルを活かして、どのような成果を目指すか」について、共通認識を持つことができます。
評価のフィードバックも、「主体性が足りない」ではなく、「提案書作成スキルをレベル3からレベル4に上げるために、○○のトレーニングを受けよう」「データ分析スキルを活かして、来期は業務効率化プロジェクトに挑戦してみよう」といった、具体的で未来志向な対話になります。
評価基準が明確で、そのプロセスが透明であれば、たとえ結果が期待通りでなかったとしても社員は不公平感を抱きにくくなります。次に何をすればよいかが明白になるため、成長へのモチベーションを維持することができます。

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小出 翔(こいで・しょう)

グローネクサス代表取締役

デロイト トーマツコンサルティングでの14年間のコンサルティング業務において、様々な業界の大手企業から官公庁、自治体まで、のべ120社(団体)500万人の人材マネジメントを支援してきた“人事戦略のプロ”。独立・起業後も、大手電力・製薬・素材業や金融業等にて人事・組織改革、新規事業創出、業務効率化の戦略策定から実行・伴走支援まで幅広く手掛ける。経済産業省・IPAへの、デジタルスキル標準策定の支援経験もあり、デジタル時代の人材・リスキリング分野に特に強みを持つ。

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(グローネクサス代表取締役 小出 翔)
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