※本稿は、安井政樹『「考える力」と「好奇心」をぐんぐん伸ばす AI×学び入門』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■「考えないクセ」の大きすぎる悪影響
どうしても、認知オフロード(記事1本目参照)してはいけない領域、それが、人の気持ちです。
たとえば、ケンカをしたとき。
「なんであの人は怒っているんだろう?」
「この場面では、どうしたらよかったんだろう?」
こうした疑問は多くの場合、はっきりとした結論が出ません。しかし考える時間は決して無駄ではなく、むしろ、人間だからこそ引き受けなければならない思考だと思っています。
人と人が関わる場面では、相手の表情や声のトーン、そのとき置かれている状況や背景を感じ取りながら、その場その場で、
「これは言わないほうがいいかな」
「今は距離を取ったほうがいいかな」
などと迷いながら関わることが不可欠です。そこに、人間らしさがあるともいえるでしょう。
■人の気持ちはAIにもわからない
もし、こうしたことまで含めて、
「このとき、相手はなぜ怒っているの?」
「どうすれば相手は喜ぶの?」
と、すべてをAIに聞くようになってしまったら、どうなるでしょうか。
私がいちばん懸念しているのは、人の気持ちを自分で推し量ろうとしない子どもが育ってしまうことです。AIに聞けば、それらしい答えは返ってきます。
だからこそ、大人は子どもにはっきり伝える必要があります。
「その人の気持ちは、AIにもわからないよね」
「最後は、自分で考えるしかないところだね」
これは、突き放す言葉ではありません。人として大切なところを守るための言葉です。
だからこそ、大人は子どもに、
「人の気持ちは、AIにもわからないよね」
「最後は、自分で考えるしかないところだね」
と伝えていかなければならないのです。
■大切なのは自分で考えること
人の気持ちは、そもそも正解があるものではありません。相手が何を考え、どう感じているかは、最終的には、その人にしかわからない。
だからこそ、「どうして怒っているんだろう」「何が原因だったのかな」と、自分な
りに考え、振り返ることに意味があります。このとき、
「ケンカしてしまったんだけど、何が原因だったと思う?」
「自分の言動で、まずかったところはあったかな?」
といった振り返りの相談としてAIを使うのであれば、それはひとつの使い方かもしれません。
しかし、「相手はこう思っているはずだ」「こう感じているに違いない」と、相手の気持ちそのものをAIに判断させてしまうと、自分で考えるべきいちばん大切な部分を、外に預けてしまうことになります。
人を思う力は、答えを知ることでは育ちません。悩み、迷い、わからなさを抱えながら、それでも相手に向き合おうとするなかで、少しずつ育っていくものです。
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■AIで再現できない歴史上の人物の気持ち
これに関連して、ちょっと気になることがあります。
最近では、歴史上の人物をAIとして再現し、質問できるような学習も考えられています。これは、学びの入り口としては、とても面白い試みです。
ただし、ここには重要な前提があります。歴史の資料からわかるのは、「何が起きたのか?」「どんな行動をとったのか?」という事実。「そのとき、どんな気持ちだったのか?」については、多くの場合、書き残されていないのです。
それにもかかわらず、AIはまるで本当にそう思っていたかのように、感情を語ってしまうことがあります。
これをそのまま信じてしまうとしたら、それはAIリテラシーが十分だとはいえません。事実を聞くことと、気持ちを断定することは、次元が違います。この違いを、大人が意識して伝えていく必要があるのです。
■AIとともに「心を育てる教育」を考える
「人生の主役の座」は子ども自身のもの
読者のなかには、「心の教育のためにはAIはやめさせたほうがいいと著者が考えている」と思われた方がいるかもしれません。
しかし、私はそうは思いません。
いま、私たちの生活の風景は劇的な変貌を遂げようとしています。かつてはSF映画のなかの出来事だと思われていた「人間のように対話する知能」が、いまやスマートフォンの画面越しに、あるいはリビングのスピーカーから、当たり前のように私たちに語りかけてきます。
生成AI。それは単なる便利な道具という枠を超え、私たちの「思考」や「判断」、さらには「生き方」そのものに深く介入し始めているのです。
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■子どもたちの「人間としての成長」のためにすべきこと
私が専門とする道徳教育が究極の目的として掲げているのは、単に社会のルールを守る人間を育てることではありません。
子どもたち自身が、自分自身の人生において「何がよりよいことなのか」を自ら問い、判断し、納得して歩みを進め、よりよく生きることを目指しています。
これをAI時代にあてはめていえば、「AIという巨大な知能を隣に置きながら、自分の人生のハンドルを自分の手で握り続ける強さを持ってほしい」ということになるでしょう。
AIは、私たちの内面を映し出す「鏡」です。
もし私たちが「面倒なことはすべて誰かに任せて、自分はただラクをしたい」という価値観で生きていれば、AIはその依存心を肥大化させ、私たちを「他律(外側に支配される状態)」の檻(おり)に閉じ込めます。
しかし、もし私たちが「自分の可能性を広げ、誰かのために何かを成し遂げたい」という主体性を持っていれば、AIは私たちの夢を支える最強の翼となります。
AI時代においては、AIとまったく無関係に生きていくことができません。
■AIへの態度は道徳的リトマス試験紙
Q子どもがAIに暴言を吐いている。許容してよい?
リビングで子どもがAIスピーカーに向かって「バカ!」「うるさい!」と叫んでいる。こうした光景は、現代の家庭では珍しくないものになりつつあります。
「相手は感情のない機械なのだから、何を言っても構わないのではないか」
「ストレス解消になるならいいじゃないか」
そう考える方もいるかもしれません。しかし、道徳教育の視点からいえば、この「対象が機械なら何をしてもいい」という態度は、子どもの「心の育ち」において非常に危険な火種を孕(はら)んでいます。
道徳における「誠実さ」や「礼儀」とは、本来、相手が誰であるか(あるいは人間であるかどうか)によって使い分けるものではありません。それは、自分自身が「どのような人間でありたいか」という自律の表現なのです。
幼少期の子どもは、周囲の世界を擬人的に捉える傾向(アニミズム)があります。子どもにとって、語りかけてくるAIスピーカーは、単なるプラスチックや金属の塊ではなく、人格に近い「何か」です。その「何か」に対して暴言を吐くことを自分に許してしまえば、子どものなかで「自分の思い通りにならないものには、攻撃的な言葉を使ってもよい」という回路が形成されてしまいます。
親がAIに対して丁寧な言葉を使い、「アレクサ、ありがとう」と一言添える。
その姿を見せることは、AIを擬人化して崇(あが)めるためではありません。「どんなときでも、自分は乱暴な言葉を使わない人間である」という自己規律(セルフ・コントロール)を子どもに示しているのです。
ネット上の匿名掲示板やSNSで、顔の見えない相手に平気で石を投げる大人が増えている現代。その根っこにあるのは、こうした「相手が自分を傷つけ返さない存在なら、何をしてもいい」という、いわば他律的な甘えです。
AIへの態度は、将来、その子がデジタル空間という「見えない他者」とどう向き合うかを占う、最初の道徳的リトマス試験紙のようなものなのです。
(安井 政樹)

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