「日本の新幹線は最良の手本だ」と称えながら、ベトナムは日本を10兆円の高速鉄道計画から締め出した。日本の支援で最大都市・ホーチミンに初の地下鉄が開通し祝祭ムードに沸いた、その直前のことだ。
20年にわたる日本の協力を「制約」と切り捨て、習近平に乗り換えた結果、自力調達の資金計画は早くも危機に直面しているという。海外メディアが報じた、皮肉な大誤算の全貌とは――。
■「日本の鉄道」に歓喜したベトナムの迷走
ベトナム南部の大都市、ホーチミン(旧サイゴン)。ホーチミン市初の地下鉄「メトロ1号線」が走り出したのは、今からわずか1年半ほど前、2024年12月22日のことだった。
開業した各駅には、市民たちが押し寄せた。民族衣装のアオザイ姿の女性や、制服の兵士、幼い子を抱えた夫婦など。近代的な駅舎が賑わう。
メトロ1号線は日本が技術協力をした、近代的な輸送システムだ。建設事業はJICA(国際協力機構)の資金援助を主な財源とし、工区ごとに住友商事、清水建設、前田建設、三井住友建設などの日系企業を中心とする共同企業体が建設を主導した。車両は日立製作所(現・日立レール)が製造した。
当時の祝祭ムードを、AFP通信が伝えている。会社員のグエン・ニュー・フエンさんは満員の車内で記念の自撮りをし、「最初に乗れた一人であることを誇りに思う」と語った。
「この街はついに世界の大都市と肩を並べた」とも。
84歳の退役軍人、ヴー・タインさんもいた。ベトナム戦争中、ホーチミン市郊外のクチトンネルで3年間、米軍と戦った男だ。地下区間を走行中、「かつての地下での体験とはまったく違う。とても明るくて素晴らしい」と感嘆した。
日本の技術支援で完成に導かれ、ベトナム市民の誇りとなったメトロ1号線。一部が地下を走るホーチミン初の地下鉄となった。都市間を結ぶ長距離路線はこれまでにも存在したが、1都市とその郊外を結び通勤・観光の足となる路線は、同都市として初だ。全長19.7kmの経路上に14の駅を構え、今日も市民の通勤の足などとして大いに活用されている。
だが、開通の約3週間前というタイミングで、日本は思わぬしっぺ返しを受けていた。都市鉄道の次の一手となる高速鉄道計画で、中国と競っていた日本を事実上、締め出すことが決定されたのだ。
■ベトナム史上最大のインフラ事業
問題の南北高速鉄道の計画は、北部の首都・ハノイと南部の都市・ホーチミンを結ぶ。

南北に細長いベトナムの国土を縦貫し、総延長1541キロを予定している。東京から鹿児島中央までを上回る距離だ。
旅客23駅、貨物5駅を設置する構想で、完成すればベトナムの20の省・都市を貫く大動脈となる。最高時速は350キロに達し、現在約30時間かかっている南北の移動が、わずか5時間ほどに短縮されることになる。
2024年11月末、ベトナム国会はこの高速鉄道の建設を承認した。米CNNによると、総工費は670億ドル(約10兆5000億円。5月1日現在のレート、1ドル157.16円で換算、以下同)。ベトナム史上最大のインフラ事業だ。
この壮大なプランに、日本は20年前の2006年から協力してきた。東南アジアの交通・都市開発ニュースを報じるフューチャー・サウスイースト・アジアが伝えるように、同年にベトナム首相が訪日した際、日本政府(当時の安倍政権)は、南北高速鉄道を最優先支援対象の一つに位置づけている。
以降、JICAは事業化調査や技術協力で長く貢献を重ね、現行計画の事前実現可能性報告書にも資金提供してきた。
■なぜ日本のODAは嫌われたのか
ところが、ここに来てベトナム政府は、日本のODA(政府開発援助)を「制約」と捉え、20年にわたる貢献を切り捨てている。

ベトナム政府が打ち出したのは、自力調達優先の戦略だ。2026年末の着工・2035年開業を目指し、資金は国内調達を優先。外国からの借り入れは、制約の少ない好条件のものに限って検討するという。
インフラ事業の遅延を繰り返してきたベトナムにあって、10兆円を自力で賄おうという野心的な目標だ。
なぜ自力調達にこだわるのか。ベトナムのオンライン新聞「ベトナムネット」によると、グエン・ヴァン・タン交通運輸大臣は、ODAによる融資を受けた過去の都市鉄道の事業に言及。ODAの制限で業者選定の選択肢が狭まり、コスト増につながったと主張した。
こうした問題を避けるため、「今回は外国融資に縛られず、品質とコスト効率を重視した業者選定を行う」と強調している。
■「日本に学べ」と言った大臣の翻意
排除された日本を、ベトナム政府は同時に「最良の手本」だとも称えている。手本と仰ぐ国を、入札から締め出す。高速鉄道構想の出発点に、解消されない矛盾が残る。
グエン・ヴァン・タン交通運輸大臣が国会で手本に挙げたのは、ほかならぬ日本の新幹線だった。

ベトナムネットが伝えた演説で同氏は、その仕組みを具体的に紹介してみせた。最高時速300キロで、主として旅客専用。貨物輸送は原則として担わず、在来線・沿岸海運・道路輸送に委ねる。
「50年前なら、鉄道が貨物輸送の30%を担っていた。だが、現在はわずか4~5%だ」。旅客に特化したモデルの有効性を訴える根拠に、タン氏は日本の新幹線が半世紀かけて証明した実績をためらいなく引いた。
だが、そのわずか18カ月後。南北高速鉄道の採用案は、なし崩し的に中国へ傾いていった。
2024年6月、ファム・ミン・チン首相は中国・大連で開催された世界経済フォーラムで、中国鉄道信号情報公司の会長に対し、設計・建設・技術移転への支援を直接要請した。ブルームバーグが伝えている。
ベトナム国会で日本モデルを称えたタン交通運輸大臣も、同時期に南北高速鉄道への中国支援を求めた。
■巨大事業に手を挙げたベトナム企業
ベトナムが自力で資金の大部分を調達し、中国には主に技術支援を求める。
海外資本に渡す金利を最小限に抑えられる、ベトナムにとって好都合の戦略だ。だが、順調に進んでいるとは言い難い。
当初こそ、合理的な選択だとして意義を認める声もあった。東北大学のニコラス・チャップマン研究員は2025年1月、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策学院が運営するアジア太平洋政策分析プラットフォーム「イースト・アジア・フォーラム」への寄稿で、ベトナムの自力調達戦略は「独立と自助の精神(spirit of independence and self-reliance)」に立脚しており、戦略的に自律性を追求する姿勢だと評している。
中国の融資による影響力を可能な限り低減し、「債務の罠」のリスクから距離を置く狙いだったとの分析だ。
2025年5月になると、ベトナム最大の民間財閥ビングループ傘下のビンスピードが、南北高速鉄道への投資を提案。こうして資金源は確保されたかに見えた。
なお、香港英字紙のサウスチャイナ・モーニングポストは、ビンスピードがこの時点で中国・ドイツ・日本・スペインの先進鉄道事業者と技術移転を協議していたとの情報を伝えている。
■自国内でも待っていた「債務の罠」
しかし、同年12月になると、「債務の罠」を避ける計画には暗雲が立ち籠め始める。
ベトナム中央銀行と同国財務省がビングループに対し、高いレバレッジ、経験の不足、そして信用格付けの悪化リスクをはらむと相次いで警告したのだ。
警告後、ビングループは一転、南北高速鉄道計画からの撤退を表明する。他の大型プロジェクトに注力したいというのが、建前上の理由だった。
国内最大の財閥でさえ670億ドルの事業を引き受けられないことが明確になり、「自力調達」の看板は事実上崩壊した。
サウスチャイナ・モーニングポストによれば、そもそもビンスピードは事業費の80%を政府からゼロ金利35年で借りる条件を想定。後発で名乗りを上げたチュオン・ハイ・グループ(THACO)も、政府保証つきの融資と30年間の利払い国家負担を要求していた。資金の最終調達元は民間グループ内で完結せず、政府に負担を強いる構図だ。
フルブライト大学ベトナムのドー・ティエン・アン・トゥアン講師(経済学)は、こうした条件が「巨大な公的債務負担」を生み、企業がコスト管理のインセンティブを失う「モラルハザード」を孕むと警鐘を鳴らす。
日本のODAを「制約」と切り捨てた結果、結局別の形で自国民にツケを回す構図が生まれた。
■中国規格で生じる問題点とは
現在、中国は資金提供に名乗りを上げておらず、対中国という意味では「債務の罠」の構図には至っていない。
一方で、技術の面では中国依存に傾きつつある。ベトナム国営ラジオ放送のボイス・オブ・ベトナムによると、トラン・ホン・ミン建設大臣は南北高速鉄道に2026年末までに着工するよう指示しており、仕様の策定が急がれる。
注目すべきは、これと隣接するラオカイ線だ。中国へ越境して走る在来線の主要路線であり、南北高速鉄道が完成すればハノイでの乗り換え先となる。
ラオカイ線では中国系の大手コントラクター(請負業者)が最終候補リストに名を連ねており、中国の技術基準を採用するコンサル契約もすでに結ばれた。
路線幅は在来線ながら1435mm標準軌(国際標準であり、中国高速鉄道や日本の新幹線とも一致)を採用しており、信号・車両・保守体系はすべて中国規格で建設される。
着工期限が迫る南北高速鉄道でも、同じく中国規格や中国系コントラクターが選ばれる公算が大きい。
南北高速鉄道をめぐっては一時期、日本有利と報じられていた。しかし現在、入札書類は中国規格を前提に整備が進む。
最終的な受注者の正式発表こそまだだが、20年間にわたる調査協力の末に、日本案が再び主導権を握る余地は限定的となっている。
■「事故0件」で完成した日本主導路線
高速鉄道の建設を中国規格・中国事業者に委ねるにあたり、国民からは不安の声が上がる。日中の品質差は、既存の都市鉄道を比較すれば明らかだ。
日本がベトナムで手がけたホーチミン市のメトロ1号線は、たしかに問題点も多かったが、完成した今では好評を博している。
AFP通信によると、2012年に建設が始まったメトロ1号線は、当局から5年以内の開業を約束された。しかし、技術的問題やコロナ禍に見舞われ、完成までに12年を要した。費やした総額は17億ドル(約2700億円)にのぼる。当初見積もりの実に2.5倍以上だ。
ブイ・スアン・クオン副市長が「無数の障壁」を乗り越えたと語るように、たしかに日本が関与するプロジェクトが常に順風満帆というわけではない。
それでも、安全面では語るべき実績がある。サウスチャイナ・モーニングポストは、建設中に事故はただの1件も生じなかったと伝える。
プロジェクトには前述した日本勢のほか、フランス・イタリア・韓国の企業も参画している。
■工期遅れでも揺るがなかった日本への信頼
加えて注目すべきは、実際の施工の大部分をベトナム企業が担った点だ。
日本側は現地企業に実務を委ね、技術と経験を蓄積させる方針を貫いた。中国関連企業が現地入りして事業の大部分を進める閉鎖的方式とは、大きな開きがある。
工期の遅れにも、現地の反応は温かかったという。インフラ事業の遅延がほぼ常態のベトナムにあって、日本主導の路線には「より寛容な目が向けられた」と同紙は記している。遅れはしたが、事故ゼロの安全性が高く評価されたこともあり、信頼が損なわれることはなかった。
長期的な成果はどうか。フルブライト大学ベトナムのヴー・ミン・ホアン教授はAFP通信の取材に対し、全14駅の1号線では、「短期的な渋滞緩和は限定的」と冷静に釘を刺す。だが、「都市開発の歴史的成果」とも評する。
ホアン教授の見立てでは、教訓を踏まえることで今後の路線を「より容易に、より速く、より安く」建設できる見込みだ。ベトナムで第1号路線を開通させた、その意義は大きい。
■「恥のリスト」入りした中国企業
一方、中国側が手がけた都市鉄道は、同じく費用が膨れ上がっただけでなく、安全面で大きな課題を抱えた。
まず、費用の問題だ。中国のコントラクターを原因として工期が大きく遅延し、巨額のコスト超過に。ベトナム政府や市民から理解の眼差しが向けられることはなかった。ベトナム政府は対象業者を公的に名指しする、異例の制度を創設するまでに至っている。
問題となったのは、北部の首都ハノイで進んだハノイ・メトロ2A号線(通称:カットリン高架鉄道)の建設計画だ。全長13キロを全線高架とし、12の駅を設ける形で2021年に開業した。
英建設業界専門メディアのグローバル・コンストラクション・レビューによると、工費は当初契約のほぼ1.6倍に膨れ上がった。元請けの中国国有企業・中国鉄路第六集団の責任であると、ベトナム当局によって公式に認定されている。
2012年、ベトナム運輸省は問題業者を名指しする年次報告、いわゆる「恥のリスト」の公表に踏み切った。以降も含め、リストは少なくとも3回にわたって公表された。問題ある業者として名指しされた中には、広西建工集団、中国路橋公司、中興通訊、中国鉄路第六集団など複数の中国企業が含まれていた。
■「日本はいつだって良い仕事をしてくれた」
開業時期が再三延期されるにつれ、市民の口からは怒りと後悔の声が漏れた。ベトナムのSNS上では市民が、「中国プロジェクトをボイコットせよ」と声を上げた。
ハノイ郊外のハドン区に住む退職者のグエン・ヴァン・タインさんは、米政府運営の国際放送ボイス・オブ・アメリカの取材に応じ、「先祖は『一度信頼を失えば、一万回失うのと同じだ』と教えてくれた」と振り返る。
彼はもはや、中国のプロジェクトを信頼していない。「選び直せるなら中国は選ばない。公共交通には日本と(ベトナム戦争時代から支援を受けている友好国の)キューバを選ぶ」と断言した。
理由については「日本とキューバは、あらゆる面で良質な仕事をしてきた実績があるから」だと説明。「中国と良いビジネスができるとは信じていないし、彼らの怠慢な姿勢にも満足していない」と加えた。
ある会社員の女性はボイコットに対し、「感情的で一方的、不必要なもの」と冷静に受け止める。その一方で彼女はまた、今後は日本の業者に任せるべきだとも述べた。
■中国が関わる路線では事故が頻発
無事故で完遂した日本主導のメトロ1号線とは対照的に、中国主導のカットリン高架鉄道では尊い人命が失われている。
サウスチャイナ・モーニングポストが報じた事故の記録は凄惨だ。2014年11月6日、高架橋の工事現場から複数の鉄鋼コイルが眼下の道路へ転がり落ちた。走行中のバイクを直撃し、運転手1人が死亡。通行人2人も負傷した。
わずか1カ月後の12月、同じ高架橋から今度は高さ10メートルの足場が崩落した。真下を走っていたタクシーに乗っていた3人が車内に閉じ込められている。
さらに、サウスチャイナ・モーニングポストによると2015年、幹線道路や交差点の上を走る高架レールが波打っているのを市民が目撃したことで、安全性への懸念が噴出。
これとは別に同年8月には、別の工事現場から鉄棒が落下し、走行中の車に落下した。運転手はかろうじて命を取り留めている。
さらには政府の検査チームにより、防錆塗装されていない区間のレールに錆が浮き、接合部に緩みが生じていることが発見された。
■乗客は「定員の8%」だけ
こうした紆余曲折の10年を経て、ハノイ初の都市鉄道路線であるカットリン高架鉄道は2021年11月、ようやく開業した。
ハノイは慢性的な渋滞と大気汚染に悩まされており、都市鉄道は渋滞緩和の切り札として待望されていた。
開業日、運輸省幹部は鉄道が「渋滞緩和、自家用車の抑制、環境汚染の削減に貢献する」と胸を張った。サウスチャイナ・モーニングポストの取材に応じた女性乗客は慎重だった。「人々の習慣を変えるには、きっと長い時間がかかることでしょう」
彼女の予感どおりだった。ボイス・オブ・アメリカによると、最初の2週間は運賃が無料とあって賑わったが、有料になると乗客数は1日約1万2000人へ急減した。
人命を犠牲にして敷かれた高架鉄道だが、乗客数は1便あたり平均わずか約60人にすぎず、輸送能力のわずか8%しか運んでいない状態だ。
一方、ホーチミン経済紙英字版のサイゴン・タイムズによると、ホーチミン市メトロ1号線の昨年の年間総乗客数は約2056万人を記録し、運営側が見込んだ目標の121.6%を達成。「乗客は着実に増加しており、市内通勤者が公共交通へとゆるやかにシフトしている」と同紙は評する。
■「自動車にすら乗りたくない」という声も
ホーチミンの1号線とハノイのカットリン高架鉄道は異なる都市で運行しており、単純に比較することは難しい。
利用者数で明暗が分かれた大きな理由の1つに、中国側が手がけたカットリン高架鉄道では、周囲の公共交通網への接続面で不利だったと指摘されている。ベトナム政府運営の公式ポータルは、カットリン高架鉄道が本来の能力を発揮するには周辺鉄道網の整備が欠かせないが、現状では他の接続先の鉄道路線を開拓する予算的余裕がないと論じている。
このように、不振に関して単純にすべてを中国に帰結させることはできない。ボイス・オブ・アメリカは対中感情の悪化も原因に挙げている。
こうした地理的・政治的要因が大きく影響する一方、両都市鉄道では安全性への信頼が大きく異なっていることもまた確かだ。
ハンブルク大学人文地理学部のミヒャエル・ヴァイベル氏は、サウスチャイナ・モーニングポストの取材に対し、「ホーチミン市の路線はずっと良い印象を持たれている。日本の技術への信頼度が高いようだ」と現地の印象を伝える。
対照的にハノイ路線についてはヴァイベル氏は、目視でも分かるほど波打った軌道が懸念点だと言及。自分ならこの交通システムを利用するのが怖い、と語った。
高速鉄道への出資に再びビングループが名乗りを上げているとの報道もあるが、同グループの安全面での評判は芳しくない。
同紙の取材に応じた匿名のホーチミン市民は、「正直、ビンファスト(ビングループの自動車部門が製造するカーブランド)に乗ることさえ怖い。ましてビンスピードが関わるであろう高速鉄道など、とても乗れない」と吐露した。
すでに不安材料が多いこの状況において、中国規格で進める判断が果たして吉と出るかは不明だ。
■「中国依存」が招く問題点
ベトナムが中国を選んだ理由には、一定の論理がある。だが、その選択が合理的だったかは別の問題だ。
中国規格で全長1541キロに及ぶ高速鉄道を一度敷けば、車両から信号システム・電化設備・保守部品に至るまで、すべてが中国仕様となる。
今後数十年をかける運営において、車両更新や部品調達のたびに、ベトナムは中国企業に頼るしかない。規格の採用は、「永続的な依存」を意味する。
アジア経営大学院のアルバート・タン准教授はボイス・オブ・アメリカに対し、中国融資の構造的問題を指摘する。中国企業が建設から保守まで支配権を握る可能性が高く、ベトナム人技術者への技術移転は「ほとんどない」。仮に高速鉄道が完成したとしても、ベトナムはそれを自力で運営する能力を永久に手にできない構図だ。
皮肉なのは、ファム・ミン・チン首相自身が2024年6月、大連での会談で中国側に設計・建設・技術移転の支援を明確に求めていたことだ。だが、タン准教授の分析が正しければ、その願望は構造的に叶わない。中国の鉄道ビジネスモデルは、技術を渡さないことで長期的な収益を確保する仕組みだからだ。
さらに越境路線との「規格統一」を進めれば、将来の路線拡張でも中国以外の選択肢は事実上消える。
■日本のODAを選んでいれば……
ベトナムの高速鉄道にとって、別の道はあり得た。
日本のODAを受け新幹線方式を採用していれば、ベトナムは独自の技術基盤を築き、次の路線を自力で広げる足場を得られた可能性がある。
陸続きの中国と規格を統一することは技術的には合理的なようでありながら、政治的・経済的な命運を中国に委ねてしまう危険をはらむ。
そもそも日本のODAと中国融資には利率の面で明確な差がある。
2026年のJICA公表値によると、日本のベトナム向けODAは下位中所得国向けの位置づけとなり、利率は年1.35~3.60%だ。対する中国の海外融資については、米ウィリアム&メアリー大学の研究機関であるエイド・データが2021年、平均4.2%と分析している。
また、日本は債務持続可能性の低い相手国に大規模融資をしないが、中国はそうした倫理規範に縛られずに融資に動く。現時点では南北高速鉄道について中国が融資を行うという動きには至っていないものの、日本ODAを頼り続けていれば、債務の罠に陥るリスクは相対的に低かったはずだった。
■ベトナム人は自分で自分の首を絞めた
日本に20年にわたる協力を求めた末、「ODAには制約がある」と切り捨てたベトナム。
サウスチャイナ・モーニングポストは、シンガポール政府系研究機関のISEAS-ユソフ・イサーク研究所による分析を取りあげ、ベトナム南北高速鉄道の建設費が最大1000億ドル(約16兆円)へ膨張するおそれもあると報じる。ベトナムの2025年名目GDPの実に19.6%に相当する額だ。
自国での資金調達が成功するに越したことはないが、国内での資金調達が行き詰まれば、将来的に債務の罠に陥る可能性も否定できない。
そうなれば、技術移転なき中国規格への依存に陥るのみならず、泥沼化する融資への道をベトナム自ら呼び込んだ形となる。工期中や開業後の安全性も未知数だ。
実績ある日本との協業を求めた市民の声に耳を塞ぐかのように、ベトナム政府は中国に傾きつつある。不可解な選択の代償に、ベトナムはそう遠からず気づくことになるかもしれない。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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