NHK「風、薫る」では、りん(見上愛)と直美(上坂樹里)が病院での実習に奮闘するようすが描かれている。モチーフとなった大関和は、どのように実習に臨んでいたのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、和が残した新聞記事などを基に史実をひも解く――。
■“悪気のない毒舌”が並ぶ、大関和の資料
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。実在の人物である大関和と鈴木雅をモチーフにした二人のナース・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の物語は、修業がまだ続行中。第8週は、見習いである彼女らが勤務している日本有数の病院・帝都医科大学附属病院で、看護婦という存在に懐疑的で受け入れようとしない入院患者の千佳子(仲間由紀恵)が、次第に心を開いていく姿が描かれている。
ドラマでは、熱心に看護を施し看護婦という職業を確立させようとするりんと直美だが、史実はもっと熱かった。いや史実はというか、モチーフである大関和がとにかく熱かった。
ここまで、何度か史実との違いを記事にしてきたが、史実のその熱さたるや完全に昭和のスポ根ドラマを煮詰めたもの。これを知れば、ドラマ、そしてモチーフである2人を誰もが好きになることは間違いない。
さて、生涯を看護婦のために尽くし比較的多くの資料が残る和。その人物としての特徴は、まったく本人は悪気がない毒舌である。いや、とにかく業績は目覚ましいのに、口を開いたり筆を執れば「この人を世間に見せてはいけない」レベルで酷いのだ。
■実地先は「鬼の様な看護婦ばかり」
そんな彼女が看護婦として、あるいは社会運動家として名を知られるようになった明治後期、聞き書きをもとに連載記事を掲載したのが「毎日電報」という新聞だ(現在の「毎日新聞」の源流のひとつ)。
その連載、1907年1月31日付から5回にわたった「看護婦の苦心=大関和子女史談=」で、まず和は座学を終えて、いよいよ帝大病院(現在の東京大学医学部附属病院)で実地が始まった時のことをこう語っている。
行って見ると先ず肝も潰れるばかり驚いたのは、鬼の様な看護婦ばかりの一事でした(「毎日電報」1907年1月31日付)。
これまでドラマの解説でも記されている通り、大関ら以前には日本には正規の教育を受けた看護婦というものはいなかった。とはいえ、鬼のようなとはどういうことか?
とにかく正規の看護教育というものなど受けていないので、無知なまま患者が痛がるのも構わず処置をしたりしていることをあげている。しかし、和はその無知をめちゃくちゃ糾弾するのだ。
学問は勿論、不具者でなくば不幸な境遇でよんどころなしに看護婦をしているという様な、心の僻んだ其の頃の看護婦等は、憐れな患者を酷う取扱うばかりか一喝の下に叱り飛ばすという始末で其恐ろしさ残酷さと云ったら、到底口などでお話はできません(「毎日電報」1907年1月31日付)。
■社会から軽んじられた時代、患者の扱いは乱暴…
いや、そこまで言わなくてもいいだろう。
「不具者でなくば不幸な境遇でよんどころなしに」。ようは、看護婦をやっている女性に、まともな人などいなかった=自分たちは違うといいきっているわけである。看護婦という職業を確立しようとしている当の本人が。しかも「到底口などでお話はできません」と言いながら、しっかり口でお話ししている。
まあ、言いたいことはわかる。
当時の病院付き看護婦というのは、職業的訓練など皆無。患者の扱いも乱暴で、医師からも社会からも軽く見られていた。
それに対して、和は、自分は日本で初めて舶来の看護教育を受けたのだというプライドがある。それにしても、自分たち以前は、どうしようもない生まれ育ちで心も拗くれたヤツらがつく職業で、とんでもないヤツらしかいなかったとばかりに、完全に罵倒……正規の教育を受けたプライドと上級武家の生まれというプライドとが悪魔合体したような言いようである。
現代であれば炎上必至だが、明治であればこれが「おお! なんて開明的なすごい人だ‼」と受けたわけである。同じ日本で100年ちょっとの間に、ここまで価値観が変わるものかと驚く。
でも、この連載の最初のほうで、和はこう自慢している。
最初の入学生が七人あった中の私も一人でございます。其中今日も尚続いて看護婦をして居るのは私ばかりでございます。
■「『天の使でも天降っったか』の様に喜んでくれまして」
……いや、和のスタイルが標準になったのについていけなくなって、残り6人はやめたのでは? と勘ぐってしまう。
和についていけなくて足を洗ったというのは決して邪推ではない。なにせ、この連載で和の語ることが凄まじすぎるのだ。

そんなエピソードの数々は、もう、どこから紹介すればいいのかわからない。読めば読むほど「この人、大丈夫か?」となるのに、なぜかどんどん好きになっていく。史実の人物でここまでの体験をするのは、久しぶりである。
和から目が離せなくなる最大の要素は、なんかの恋愛アニメのキャラクターかと思うくらいな疑いのない自分好きである。そもそもが、自分たち7人全員はキリスト教徒で「献身犠牲の心を持って、其道に入った」という。まあ、その決心はいい。問題は自分たちが、いざ病棟に入ってからのことである。
此迄鬼の様な慈悲も情も涙も無い看護婦に虐められて居た患者等は「天の使でも天降っったか」の様に喜んでくれまして、ある乳癌の患者などは、苦しい余りにせめて一晩でも好いから、大関さん泊って下さいと泣いて頼みます(「毎日電報」1907年2月1日付)。
■まるでアニメかラノベのヒロインである
なお、掲載した「毎日電報」も感動したのか「天の使でも天降っったか」の部分は活字がほかの文字の倍近く大きい……。
自分で語った話で、天使だといい、その活字がデカい(まあ、ここは新聞社の都合だが)。しかも内容は「私たちが来たら患者が天使が降りてきたと喜んだ」である。自分で自分を天使と言っている。
しかも一切の照れがない。
これを恥ずかしいと思わない神経が、和の最大の武器だったのかもしれない。しかも、病気で苦しんでいる患者までネタにして、自分の天使伝説を補強している。ほとんど、自分をアニメかライトノベルのヒロインかなんかと勘違いしている。しかも、そこまで思い込んでいて迷いがない。
おまけに、熱心なキリスト教徒だと宣言しておいて、自分が天使の類いなどと言い出すのはどうなのか。少なくとも、正教やカトリックならば異端の類い扱いで怒られるはずである。史実において、和に看護婦になるよう指導した牧師・吉江善作(原田泰造)のモチーフである植村正久は、いったいどんな教義を授けていたのか。
もう無茶苦茶すぎて、存在がマンガである。だから目が離せない。
■全力で看護、祈り、布教する
ちなみに、この「毎日電報」で語っているのはすべて帝大病院での見習い期間での出来事だ。
見習いというと、まだ医師と人間関係を作ったり、あくまで謙虚に学ばせていただく期間……なんてものは、和には存在しない。
とにかく全力で看護、それでも足りなければ祈る。祈るだけではない、布教する。
私共生徒、熱心の余り時には涙を流して神の愛を説き患者の足下にひれ伏して、其苦痛の少しでも薄らぐ様に、祈る事もしばしばでございましたが、それがため看護婦達に憎まれるのは勿論、時には医局からも看護と伝道とを混同してはいけないとの、ご注意を受けることさへございました(「毎日電報」1907年2月5日付)。
とても見習いではない。それまでの看護婦に「お前らのような正規教育も受けていない無学なヤツらとは違う」と肩で風を切って歩いている。
しかも、入院して弱っている患者の前で、泣きながら「神の愛」を説いて足元にひれ伏して祈りだす。もう、快方に向かっていても「いよいよ、お迎えが来たか……」という気分になりそうだ。
おまけに、それが単体ではなく、合計7人。これは看護婦ではなく「ハイスクール奇面組」だ。医局が注意するのも、当然である。
■“武勇伝”を実名で新聞に掲載
さらに、この見習い期間の思い出として、担当医師が留守だったので自分の一存で入院させて手術を受けさせたら患者が助かった、といった武勇伝がいくつも書いてある。
そう、和を筆頭に、全員「報連相ってなに?」な世界の住人なのだ。

それでいて「終わりよければすべてよしでしょ?」とばかりに美談にしている。現代の病院でこれをやったら、即座に医療事故案件である。いや、そもそも採用面接すら通らない。やっぱり暴走ヒロインそのものといえるだろう。
しかも、なにが酷いって現在のように個人情報の管理が厳しくないとはいえ、和は自分が面倒見た入院患者のことを貴賤を区別せず実名で語りまくっている。例えば、当時の田中光顕宮内大臣の夫人(伊輿子、土佐藩家老・深尾康臣の長女)を看護した時のことはこう語っている。
神経が過敏でいらっしゃる上に口では一言も何とも仰らないので、心の中にお思いに成ってる事が、ちゃんと行われないとお気に召さないという様な……宮相も矢張り同じご気質でございます……方でいらっしゃいましたから、なかなか気骨が折れましてございます(「毎日電報」1907年2月7日付)。
ようは「奥さんも旦那さんも、神経質で扱いにくかった」である。実名で。新聞に。
■“看護婦見習いの本音”を次々に語った和
田中光顕、当時の宮内大臣である。その妻の「扱いにくさ」を、見習い看護婦が全国紙に語っている。しかも本人、まったく悪気がない。その上、これに続いて鷹司順子公爵夫人の看護をした時のエピソードでは「流石は徳大寺様の姫様だけあって(順子の生家は徳大寺公爵家)」と上品で物腰柔らかかったと褒めちぎっている。
田中夫人・伊輿子は土佐藩家老の娘。かたや鷹司夫人は五摂家のひとつ・徳大寺公爵家の出。和からすれば、前者は「似たような出自なのに華族の令夫人に収まったヤツ」で、後者は「本物の上流」ということになる。
おそらくは新聞記者に聞かれて、そういえば……と思い出したのだろう。「こっちは看護婦なのに、アンタは令夫人ですかぁ? ……まあ、アタクシのほうが美人ですけどねえ……けっ……」という信仰をもってしても消しきれない和の世間への怒り怨念が暴走したのだ。
いやいや、たとえ取材で自分の喋ったことが記事になるとわかっていても、脊髄反射で語ってしまうのを止められない和はやっぱり目が離せない女性である。
しかも、看護教育史を研究した亀山美知子などによって、この取材を担当した記者は管野スガだったのではないかとも考えられている。
■“ぶっ飛びぶり”は尊敬に値する
管野スガといえば、大逆事件で処刑された、明治の有名な社会主義運動家であり、日本の“女性テロリスト”の代表格ともされる人物である。
大逆事件は幸徳秋水ら多くの人物が無実の罪で処刑されたものだが、スガは違う。当時のヨーロッパでの爆弾で暗殺ブームに乗せられて、宮下太吉らと組んで明治天皇を暗殺しようと、本気で爆弾を製造していたほうだ。
そのスガ自身も洗礼を受けたプロテスタント信徒で、この時期「毎日電報」に記者として在籍していたことは確認されている。
つまり……自分を天使と信じて疑わない“暴走看護婦”と、天皇暗殺を本気で計画していた“暴走記者”が、向かい合って取材をしていた可能性がある。
二人の暴走ヒロインが共鳴しあって、こんなぶっ飛んだ記事になってしまったのか?
明治という時代は、つくづく底が知れない。
そして、史実の和を知って「この女性、最高じゃないか」と思っている男性(女性も)は、数限りないはずだ。看護だろうと爆弾だろうと、閉塞した2026年にぶっ飛んだ人間は、おおよそ尊敬に値するのだから。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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