マイクロソフトオフィスのお節介なイルカ型キャラクター「カイル」が4月、約19年ぶりに帰ってきた。新たな舞台は、AIを活用した日本語変換ソフト「コパイロット キーボード」。
かつて「お前を消す方法」というネット用語まで生んだ嫌われ者が、AI技術を身にまとって復活を遂げた。カイルに与えられた新しい仕事は何か。黒歴史を笑いに変えるマイクロソフトの思惑に、海外メディアも注目している――。
■帰ってきた「邪魔なイルカ」
今から29年前の1997年、マイクロソフトのあるキャラクターが産声を上げた。愛らしいながらも賛否両論を呼ぶことになる、イルカ型のアシスタント「カイル」だ。
同社の看板製品の一つである「マイクロソフト オフィス(Microsoft Office)」の使用中、画面の片隅に出現。何か質問はないかと、吹き出しを通じてしきりにユーザーに問いかける。
使用法を質問できる便利なキャラなのだが、文書作成に集中しにくい派手なアニメーションや、大きな吹き出しがアダに。ネットミームでは、カイルに「お前を消す方法は?」などと少々意地悪な質問を向ける画像も話題となった。
健気でお節介なカイルは、ユーザーからのフィードバックを反映してか、登場から約10年後の2007年に姿を消すこととなった。
だが、幕引きから約19年が過ぎた今年、新たな動きがあった。4月23日、AIの相棒として日本語環境限定で帰ってきたのだ。

カイルの新たな活躍の舞台となるのは、日本語キーボードアプリの「コパイロット キーボード(Copilot Keyboard)」。
キーボードと名が付くものの物理的なキーボード製品ではなく、マイクロソフト公式の日本語変換ソフトだ。キーボードから入力した文字を漢字やひらがななどに変換して確定する機能を担う、日本語ユーザーならお馴染みのあの変換機能だ。
■最新語でも難なく変換できる
マイクロソフト公式のウインドウズ・ブログによると、マイクロソフトのAI技術である「コパイロットのテクノロジーを活用し、新しい用語が定期的に辞書に追加される」という。新語をうまく漢字変換できずにイライラする経験を、AIの力で軽減しようとする試みだ。
ネット上の先行レビュー記事では、無料のサービスながら有償の変換ソフトにも近い変換精度を実現しているなど、かなり好意的な反応が見られる。コパイロット キーボードの公式ページでは、「生成系AI」から「風呂キャンセル界隈」まで、誤変換なく一発で入力する様子が例示されている。
コパイロット キーボードはウインドウズ11(Windows 11)専用とはなるものの、マイクロソフト ストアから無料でダウンロードでき、ウインドウズに標準搭載されている入力・変換ソフトウエア「マイクロソフトIME」と好きなタイミングで切り替えて利用可能だ。
カイルは新たに、このコパイロット キーボードの顔として復活を遂げた。
コパイロット キーボードは日本語入力機能だけでなく、AIキャラクターとの会話機能を備える。カイルなどのキャラクターをクリックすると、専用の会話ウインドウが展開。キャラクターに質問しているかのような感覚で、コパイロット(AIチャット)との会話を始められる。

また、漢字変換中、変換候補をクリックするだけでコパイロット サーチ(AI検索)を開始するスムーズな動線も設けられた。文章を書きながら、ちょっと自信のない語彙を手軽にチェックできる。
■英語圏版カイル、「クリッピー」の末路
カイルは、オフィス97の日本語版で初登場した。のちに他地域にも配信されたが、手動での追加ダウンロードが必要となっており、事実上は「日本のキャラクター」だったとも言える。
英語圏で同じ役を担ったのは、ペーパークリップ型のキャラ「クリッピー」だ。オフィスへの初登場は1997年。こちらも苦情が絶えず、2001年には早くも初期状態で無効化される事態に追い込まれたと、米ビジネス誌のフォーチュンが顛末を振り返っている。
それから長い空白の期間を経て、昨年10月、マイクロソフトはコパイロットの「顔」となる新キャラクターを世界向けにアナウンス。そこでは「ミコ(Mico)」と呼ばれる液体状のキャラクターを発表していた。
今回のコパイロットの主役は、あくまでも「“Mi”crosoft “Co”pilot」の略であるミコだ。同社は、「温かみがあり、表情豊かで、使用は完全に任意」と説明する。あえて「任意」と言い添えるあたり、強制表示で不評を買ったかつてのオフィス アシスタントの教訓は身に染みているのかもしれない。

実はミコには、イースターエッグ(お遊び的な隠し要素)が仕込まれている。米スタートアップ情報メディアのテッククランチによると、繰り返しクリックすると、往年のオフィスアシスタント、クリッピーに変身するのだ。ただし、隠し要素に過ぎず、大々的に四半世紀前のキャラクターを復活させたのは日本語変換ソフトだけとなる。
■「黒歴史」を自虐ネタにする社風
日本向けのカイルの復活は、過去の「黒歴史」を受け入れる茶目っ気のあるアクションだ。お堅いイメージも強いマイクロソフトだが、実際のところ、自社の黒歴史を笑いのタネにする意外な一面を持つ。
不評で消え去ってしまったクリッピーも、その一例だ。米PC専門サイトのトムズ・ハードウェアによれば、2001年に初期状態で無効となる仕打ちを受けたものの、同年にリリースされた「オフィスXP」ではオプション機能としてしぶとく、そしてひっそりと残っていた。
当時マイクロソフトは、アインシュタインやシェイクスピアの誇張した似顔絵、そして犬の「ロッキー」といった代わりのキャラクターまで用意していたのだから、アシスタントをキャラ化するという発想にかなりのこだわりがあったことが窺える。
2007年になるとマイクロソフトはオフィスを刷新し、すべてのキャラを消した。
だが、完全廃止から12年。マイクロソフト社内では、封印したはずのクリッピーへの愛が再び高まってゆく。2019年3月、オフィスや会議・チャットアプリのチームズ(Teams)を担当するデザイナーたちが、クリッピーのイラスト集をリリース。
ライン(LINE)で言う「スタンプ」に相当する「ステッカーパック」を、ソフトウエア共有プラットフォームのギットハブ(GitHub)で無償公開している。
■「最悪の発明」でもファンは愛し続けた
マイクロソフトの広報担当も、しゃれた反応を見せた。
米テックメディアのヴァージによれば、同担当者は、「クリッピーは2001年から職場復帰を狙い続けており、今回のギットハブへの登場もその試みの一つでした。努力は評価しますが、チームズへの導入は予定していません」とコメント。退場したキャラを「元社員」に見立てるユーモアを見せた。
ちなみにこのステッカーは、ブランドチームによりその日のうちに削除される憂き目に遭っている。だが削除までに、ギットハブ上では実に1900件以上の「いいね」が集まった。マイクロソフトが封印しても、ファンの愛着までは消せなかったのだ。
米タイム誌が2010年に発表した「最悪の発明50選」にまで名を連ねたクリッピーだが、年月とともに風向きは変わった。パソコン黎明期における微笑ましいマスコットとして再認識され、マイクロソフト自身も廃止後のマーケティングにクリッピーをたびたび再登場させてきた。
象徴的な出来事が、2021年の一件だ。業務ソフト「マイクロソフト365」の公式ツイッターが、「いいねが2万件に達したらペーパークリップの絵文字をクリッピーに差し替えます」と呼びかけると、ファンが殺到。
「圧倒的な人気の要望」に応える形で、クリッピーは公式の絵文字として復活した。
嫌われ者だったお節介キャラは、いつしかネットのノスタルジーの対象に。愛情を持ち続けたユーザーが、引退したキャラクターを呼び戻した格好だ。
■失敗をユーモアに変えるマイクロソフト社員
マイクロソフトのキャラクター愛は、デジタルを飛び出し、現実のプロダクトとしても自虐的な笑いを振り撒いている。
2025年、マイクロソフトがウインドウズXPをあしらった限定版クロックスを準備しているとの情報が、求職・キャリア用SNSのリンクトイン上で一気に広まった。現・元社員たちが社内ストアのスクリーンショットを共有したのが発端だと、英ITニュースサイトのレジスターは伝えている。公式発表はまだなかった。
同社にはかつて「ウインドウズ アグリー セーター(醜いセーター)」と銘打った自虐グッズを嬉々として売り出した過去もある。黒歴史を笑いに変えるユーモアセンスは、もはやお手の物だ。
スクリーンショットに映るシューズには、ウインドウズXPの壁紙で知られるあの緑の丘陵の壁紙「ブリス(Bliss)」を模した、何とも言えないデザイン。そこに、クロックスの通気穴にはめ込むカスタマイズパーツ(ジビッツ)として、クリッピーやインターネット エクスプローラーのアイコンが踊る。
ストアには、クリッピーのグッズのほか、インターネット エクスプローラーの「e」型のアイコン、ウインドウズのマウスカーソルといった、往年のウインドウズユーザーの頬を緩ませるグッズがずらりと並ぶ。

ノスタルジーを醸すと同時に、当時のパソコン環境の今ひとつ垢抜けない空気感を絶妙に再現したアイテムだ。
■カイル復活の裏で起こった製品値上げ
復活したカイルに象徴されるコパイロット キーボードは、日本のユーザーにとって思わぬ救世主となる可能性がある。
マイクロソフトがカイルを製品に蘇らせると発表したのとほぼ同じ時期、日本語入力の老舗企業が、別の動きに出ていた。
ワープロソフト「一太郎」で知られるジャストシステムは昨年11月25日、日本語入力ソフト「ATOK」のサブスクリプションプランを上位の「ATOK Passport[プレミアム]」に一本化すると発表した。同社は発表当日から新プランの提供を開始した。
日本のPC総合ニュースサイトのPC Watchは、同社が2018年にはすでに、ATOKの買い切り版を廃止して月額・年額制のサブスクリプション「ATOK Passport」へ移行していたと指摘。統合前は月額660円の「プレミアム」と月額330円の「ベーシック」の2プラン構成だったが、今回の下位プランの廃止で、ベーシックユーザーは月額料金が実質2倍に跳ね上がる。
プレミアムプランは料金据え置きのままだが、生成AI対応などの新機能が不要なユーザーからは、倍額への望まぬ値上げに不満の声が漏れる。不要と判断していた上位機能を抱き合わせで押しつけられ、月々の支払いが倍になる形だ。
ジャストシステム広報はAI新機能「ATOK MiRA」などの機能強化を理由に挙げた。あくまで「提供価値に見合う商品ラインナップの見直し」だというのが、公式の説明である。
■カイルは日本ユーザーの救世主になるか
これと対照的なのが、今回のマイクロソフトの動きだ。
日本市場に現れたコパイロット キーボードは、完全無料だ。追加料金もサブスクリプションも一切かからない。
変換性能は、新たにコパイロットの技術を導入。従来の日本語入力システム「マイクロソフトIME」では、新語を打とうにも変換候補に現れず、ユーザーが手動で辞書を書き換えるしかなかった。ウインドウズ・ブログが解説するように、コパイロット キーボードならば、ユーザーはその手間から解放される。
乗り換えにともなう負担も軽い。マイクロソフトIMEのユーザー辞書(独自に教え込んだ変換候補)も取り込むことができ、登録済みの単語や変換のクセをそのまま引き継げると、同社は説明している。
「多くの皆さんに『カイルを出してほしい』とご要望をいただいていました。その声に、ようやくお応えすることができました」
カイルの復活を伝えるウインドウズ・ブログの一文である。「ようやく」の一語に、ユーザーの声を聞き続けた歳月がにじむ。
かつては「お前を消す方法」と検索され、お節介が敬遠されたカイル。滑らかなアニメーションになって復活した今、日本を誤変換から守る救世主となるだろうか。
どれほど邪険にされても、日本のユーザーの元に返ってきたカイル。精度の向上した日本語変換を無料で導入するついでに、約19年ぶりの再会でノスタルジーに浸るのも悪くないかもしれない。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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