中国国内でダム災害が相次いでいる。新刊『習近平は何を恐れているのか?』(ビジネス社)を上梓した評論家の白川司さんは「中国にとって最大の弱点となっているのが三峡ダムだ。
もしこのダムが崩壊した場合、数億人の生活と、中国経済を支える無数の産業拠点が一挙に破壊される」という――。
■竜巻で11人、土砂崩れで21人が犠牲に
2026年7月、中国各地が猛烈な嵐に見舞われた。南部の広西チワン族自治区では、台風10号による記録的豪雨で、横州市の六藍(りくらん)ダムが決壊した。
当局の発表によれば、堤体の2カ所、総延長およそ50メートルにわたって崩落し、大量の泥水が下流の村々を飲み込んだ。この六藍ダムは、1958年に築かれた総貯水容量約9552万立方メートルの中型ダムで、建設から実に66年が経過していた。
南寧市は洪水緊急対応レベルを最高の「1級」に引き上げ、南寧市全体で約4万8000人が避難した。中部の湖北省では竜巻を伴う激しい荒天で11人が死亡し、北西部の甘粛省では土砂崩れで21人が命を落としている。

※人民網日本語版「豪雨に見舞われた広西・南寧市のダムが決壊 被災者約5.5万人」(2026年7月7日)

※CNN「猛烈な竜巻が市街に襲来、マンションの12階から男性吹き飛ばす 中国中部」(2026年7月8日)

※Reuters「中国甘粛省で土砂崩れ、21人の死亡確認 救助活動終了」(2026年7月8日)
■「国家の誇り」三峡ダムの不吉な予言
老朽化したダムが、豪雨に耐えきれず崩れるという痛ましい光景は、中国という国家が抱える宿命的な脆さの、ひとつの縮図にすぎない。そしてこの脆さが極限のかたちで凝縮しているのが、中国が「国家の誇り」と呼ぶ三峡ダムである。
三峡ダムは1993年に着工し、2009年に完成した。湖水面積は約1084平方キロメートルで琵琶湖の約1.6倍に相当する。
かつて、この巨大ダムの完成前に、その破滅的な結末を「予言」した一人の学者がいた。

彼が列挙した災厄は、いまや次々と現実のものとなっている。世界最大級を誇るこの構造物が、なぜ中国最大の「弱点」へと姿を変えつつあるのか。それを読み解くことは、習近平体制の本質を読み解くことでもある。
清華大学水利系教授だった黄万里(こう・ばんり)は、コーネル大学修士、イリノイ大学工学博士という経歴を持ち、その生涯は中国の河川と水利の研究に捧げられた。
1950年代には三門峡ダムの建設計画に反対して毛沢東から名指しで批判され、22年間にわたって強制労働に従事させられた。それでも信念を曲げることはなかった。
三峡ダム建設計画が本格化した1990年代初頭、黄万里は地質・環境・生態の観点から繰り返し反対意見書を提出する。1993年、江沢民をはじめとする国家指導者に宛てた書状で、彼は三峡ダムがもたらす12の壊滅的な結果を予言した。
■12項目のうち11項目が現実に
それは、以下のような予言めいた項目だ。
・堤防の崩壊

・航行の妨害

・移住問題

・土壌汚染問題

・水質悪化

・発電不足

・気象異常

・地震の頻発

・住血吸虫症(寄生虫病)の蔓延

・生態系の悪化

・上流での深刻な洪水

・最終的にはダムを爆破せざるをえなくなる
だが、黄の警告は黙殺された。反対派のあらゆる言論はなかったものとされ、論文や公の発言すら妨げられた。1992年4月の全人代採決で、三峡ダム建設は賛成多数で可決されたが、反対・棄権・無投票を合わせると3割近くに達し、全人代史上でも異例の低さだった。

政権がいくらお膳立てしようが、懸念を拭えない者が多かったことの何よりの証左だろう。
黄は2001年に90歳で世を去るが、死の直前まで「三峡ダムは絶対に造ってはならない」と訴え続けた。そして現在、彼が予言した12項目のうち、実に11項目までもが現実のものとなっている。
■崖崩れ、地滑り、ダム決壊が相次ぐ
三峡ダムにおける第一のリスクは、構造そのものの脆さにある。
三峡ダムは、全長2335メートル、高さ185メートル、貯水量393億立方メートルで、世界最大級の水力発電所を擁する、まさに規格外の構造物である。
ところが、完成前の2003年、試験貯水が始まると、周辺で崖崩れと地滑りが頻発しはじめた。同じ年、ダムのコンクリート面には80カ所もの大きな亀裂が発見されている。
2008年末までに確認された崩落箇所は132カ所、総距離33キロメートル、崩れ落ちた土砂量は約2億立方メートルに達した。その後の詳細調査では、地盤の変形などの異常が5386カ所で発見されている。
ドイツ在住の水利専門家・王維洛氏が収集した学術論文群でも、ゲートの亀裂、基礎岩盤への水の浸透、コンクリート中の鉄筋不足という三つの懸念が指摘されている(なお、2019年以降ネット上で拡散した「衛星写真によるダムの変形」は、Google Earthの画像の歪みによるデマと見られる。批判は事実に基づいてこそ意味を持つ)。
中国水資源機関の報告によれば、1954年から2003年の間に決壊したダムは3484基、年平均71基に及ぶ。
実に5日に1基のペースだ。冒頭で触れた六藍ダムの決壊は、その一事例にすぎない。
実際、現在も、築66年の老朽ダムが豪雨で崩れ、村を飲み込んでいる。維持管理能力の欠如という中国の「宿痾(しゅくあ)」はいまだ克服されていないのに、専門家の警告を無視して長江の断層帯近くに建てた巨大ダムが、この三峡ダムである。
■上流を襲う「逆流水害」が起きる理由
黄万里の予言のなかで、専門家の関心を最も呼んだのが「上流で深刻な洪水が発生する」だったという。
ダムが決壊すれば下流が水浸しになるのは当然である。ただし、黄が指摘したのは、ダムを造っただけで上流が水害に見舞われるという点である。
その理由は堆砂の規模にある。
三峡ダム上流には脆い地質の峡谷が連なり、崖崩れや地滑りによって大量の土砂が長江に流れ込む。その結果、全長660キロメートルに及ぶダム湖に土砂が累積し続け、河床が上昇していく。
とりわけ深刻なのが、ダム湖の先端に位置する重慶市だ。人口3000万人を抱えるこの巨大工業都市では、河床上昇によって水位が上がり、水害が頻発するようになった。
世界のどのダムを見渡しても、下流にこれほど巨大な都市を抱える例はない。
黄の予言は的中した。
■最大の経済都市・上海に危機が迫る
巨大ダム建設に伴う被害は、生態系にも及ぶ。回遊ルートを遮断され、水温・水流・水質が激変した長江の漁業は壊滅的な打撃を受けた。
1954年に年間約43万トンあった漁獲量は近年10万トン未満に激減し、2021年には全面禁漁が決定されて、約30万人の漁師が生計の基盤を失った。長江固有のカワイルカ「バイジ」は事実上の絶滅が宣言され(機能的絶滅)、チョウザメ類も壊滅状態にある。

※『中国新聞週刊
さらに深刻なのは、経済の心臓部への影響だ。堆積物が下流に届かなくなったことで、長江デルタの地盤を支えてきた土砂の供給が途絶え、中国最大の経済都市・上海の海岸線までもが侵食の危機にさらされている。
「国家の誇り」として建てられた構造物が、皮肉にも中国経済の中枢を静かに削り取っている。
また、移住者問題も未解決のままだ。建設によって127万人以上が強制移住を強いられ、移住先で約束された農地が地元住民に占有されるなどして、多くの「三峡移民」がいまなお展望のない異郷に放置されている。
■もし三峡ダムが敵に狙われたら…
ここまでは、黄万里が予見した「自壊」の側面である。

だが三峡ダムには、彼の予言リストにはない、もうひとつの巨大なリスクがある。軍事的標的としての脆弱性だ。
アメリカ国防総省は2004年の議会報告書で、台湾が三峡ダムのような「高価値標的」への信頼できる脅威を提示することで中国の軍事的威圧を抑止しようとしている、と明示的に記述した。
中国外務省は「冷戦的思考」と激しく反発したが、戦略的論点としての有効性まで否定することはできなかった。台湾では1990年代からこの選択肢が軍事戦略として議論され、淡江大学の戦略研究者は「ミサイル2発で破壊できる」とまで公言しているという。
崩壊シミュレーションの試算は壮絶だ。
ダムが破壊すれば、393億立方メートルの水が一気に解放される。専門家の非公式の試算では、洪水波がダム直下の宜昌市(人口400万人超)に約1時間、武漢(1000万人)に約10時間で到達するとされる。下流の長江流域には4億人以上が居住しており、被害規模は核攻撃に匹敵すると表現する分析者もいる。
平たく言えば、三峡ダムが崩壊させられれば、数億人の生活と、中国経済を支える無数の産業拠点が一挙に破壊される。万年渇水に苦しむ中国北部への影響と合わせれば、まさに「ダム1つの崩壊で、国家が崩壊する」といっても過言ではない。
■ミサイルで対抗しようとする人民解放軍
注目すべきは、中国自身がこのリスクを痛切に認識している点だ。
中国の一部の安全保障専門家は、三峡ダムへの攻撃を「核に準じる行為」と位置づけ、核兵器不使用(NFU)政策の例外適用を検討すべきだと主張している。
これは、中国政府がこの巨大ダムの脆弱性の深刻さを理解していることを示している。人民解放軍はダム周辺にミサイル防衛システムと対空ミサイル網を配備し、飛行制限区域を設けているとされる。「国家の誇り」として建設された構造物が、その巨大さゆえに、守るために莫大なコストを要する「国家最大の弱点」になってしまった。
習近平が武力による台湾併合に踏み出そうとするとき、この脆弱性は彼の頭にあるだろうか。もしないとすれば、国家のトップとして失格である。
■簡単に崩壊した「百年の大計」
三峡ダムには「百年に一度の大洪水をも防ぐ」という太鼓判が押されていた。ところが現実は逆で、水害はむしろ増加した。
2020年夏、長江流域は記録的な豪雨に見舞われた。上流から流入する洪水のピーク流量は運用開始以来最大となり、8月20日には毎秒約7万5000立方メートルという史上最高の流入量を記録した。当局は史上最大規模の放流を繰り返す綱渡りの操作で対応したが、この放流が下流に新たな水害を引き起こしたという批判が中国国内からも噴出した。

※Newsweek「中国・三峡ダムに過去最大の水量流入、いまダムはどうなっている?」(2020年8月24日)
構造上、三峡ダムが制御できるのは上流域からの流量だけであり、漢江など下流の大支流から流れ込む水量にはなす術がない。
ところが2022年には一転して、長江流域が記録的な渇水に見舞われる。四川省では水力発電量が激減し、テスラやトヨタといった主要自動車メーカーの工場が操業を止め、半導体サプライチェーンにも影響が波及した。洪水と渇水という両極端が交互に襲うようになったこと自体が、設計思想の前提が崩れたことを意味する。
「百年の大計」だったはずの巨大ダムは、わずか数年の変化にすら対応できなくなったのである。
■「対症療法」に1.7兆円を投入
2026年6月8日、湖北省宜昌市で、三峡ダムの新たな水運ルート建設プロジェクトの起工式が行われた。総投資額は約1兆7758億円。三峡閘門の北側に約6680メートルの新たな閘門を設けるという壮大な計画である。

※JETRO「三峡ダムの新たな水運ルートプロジェクトが着工」(2026年6月15日)
なぜ、これほどの巨費が投じられるのか。三峡ダムの通航能力が、当初想定を大幅に超える貨物量にとうに追いつかなくなり、慢性的な渋滞が発生しているからだ。つまり、ひとつの巨大インフラが生んだ問題を、また別の巨大インフラで糊塗する「自転車操業」に陥っているのだ。
中国政府は「誤りを認められない体制のまま、対症療法を無限に繰り返す」という構造上の「先送り体質」を抱えている。
南水北調という究極の対症療法が三峡ダムを産み落とし、その三峡ダムがまた新たな巨大工事を呼ぶ。この連鎖こそ、刊行直後に着工された新プロジェクトが、期せずして証明してみせた中国の病理である。
批判的な声は遮断され、成功物語だけが語られ、問題は先送りされ続けている。
■黄が残した「最後の予言」はどうなる?
老朽ダムが各地で決壊し、当局が最高レベルの緊急対応を発動せざるをえない現実は、黄万里が描いた未来がいよいよ現実味を帯びていることを示している。
黄が予言した12項目のうち、まだ実現していないものが一つだけある。それは「最終的にはダムを爆破せざるをえなくなる」である。
三峡ダムは、外敵のミサイルによって破壊されるより先に、堆砂と老朽化と設計思想の破綻の果てに、中国自身の手で解体を迫られるのかもしれない。
「国家の誇り」として建てられた巨大構造物が、いまや国家存亡を左右する「最大の弱点」となっている。これこそが、誤りを認められない中国という国家が抱える構造的矛盾の、最も雄弁な象徴なのである。

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白川 司(しらかわ・つかさ)

評論家・千代田区議会議員

国際政治や日本論など幅広いフィールドで活躍。YouTubeチャンネル「デイリーWiLL」コメンテーターを経て、文化人放送局コメンテーター。メルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評。新刊に『習近平は何を恐れているのか?』(ビジネス社)。既刊書に『14歳からのアイドル論』(青林堂)、『日本学術会議の研究』『議論の掟』(ワック)、翻訳書に『クリエイティブ・シンキング入門』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。

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(評論家・千代田区議会議員 白川 司)

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