※本稿は、鈴木祐『社会は、静かにあなたを「呪う」 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体』(小学館クリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■「目標」には副作用がある
現代において、目標の重要性を疑うのは難しい。
「目標を持たないと、人は変われない」
「目標に向かって努力することで、生が意味あるものとなる」
目標設定を勧める識者の多くは、明確なゴールを決めればモチベーションが上がり、仕事の生産性が高まると主張する。読者の中にも、職場で年間目標を定めたり、進捗を管理するツールを導入したり、プライベートでToDoリストを作ったりといった手法を実践している人も多いだろう。
たしかに、目標設定にはメリットがある。この分野には長い研究の歴史があり、1987年の時点ですでに400以上もの研究を統合したメタ分析が行われ、目標設定の効果を次のように結論づけている(※)。
※ Burns, T. (2025). An examination of goal-setting theory research and performance. Wisconsin.edu. [online] doi:http://www.uwstout.edu/lib/thesis/2007/2007burnst.pdf.
● 高い目標を立てると、実際にゴールを達成する確率が上がる。
● 目標を達成した者は、自己効力感とモチベーションが高まる。
● 目標の達成で自信がつくと、さらに生産性が上がる好循環が生まれる。
分析に使われた研究はデータの質が高く、ゆえに結論の精度も高い。つまり、「目標を持て」という主張は、科学的にも支持された“正しい”アドバイスだと言える。
が、世に例外のないルールはない。これは“目標”についても同じで、2000年ごろから慎重な見方を示す研究者が増え続けている。なかでも厳しい批判は、ハーバード・ビジネス・スクールの経営学者マックス・ベイザーマンによるものだ(※)。
※ Ordonez, L.D., Schweitzer, M.E., Galinsky, A.D. and Bazerman, M.H. (2009). Goals Gone Wild: The Systematic Side Effects of Overprescribing Goal Setting. Academy of Management Perspectives, 23(1), pp.6-16.
「多くの場合、目標はよいことよりも悪いことのほうが多い。さらに悪いことに、目標はそれを使う組織や個人に実害をもたらす可能性がある」
従来言われるほど“目標”の効果はなく、それどころかゴールを決めたせいで深刻な問題が起きることも珍しくないのだという。実際、これまでも“目標”のせいで不正や不祥事に手を染めたり、逆に意欲を失ってしまった企業や個人の例が数多く報告されており、これらの背景を踏まえたうえで、本稿では目標の副作用を三つ挙げておこう。
■高い目標を立てたグループは成果のばらつきが大きかった
【“目標”の副作用1】高い目標は、一部の強者しか幸せにしない
いくつか事例を挙げよう。マサチューセッツ工科大学の研究チームは、MBAの受講生を集め、経営シミュレーションゲームをプレイするように指示。すべてのプレイヤーにCEO役を担当させ、コストの設定、従業員の雇用、マーケティング費用の決定などの経営判断を繰り返させた(※)。その際、半数の参加者には、「38%の平均成長」という高い目標を達成するように求めている。
※ Gary, M.S., Yang, M.M., Yetton, P.W. and Sterman, J.D. (2017). Stretch Goals and the Distribution of Organizational Performance. Organization Science, 28(3), pp.395-410. doi:https://doi.org/10.1287/orsc.2017.1131.
シミュレーションは3回繰り返され、“目標設定”には以下の副作用が確認された。
● 高い目標を立てたグループは成果のばらつきが大きく、大成功を収めたのはほんの一部だけで、ほとんどは目標を達成することができず、平均を下回るパフォーマンスしか上げられない者も多かった。
● 高い目標を立てたグループとそれ以外で、中央値の利益に差はなかった。さらに、高い目標を立てたグループは、リスクの高い行動を取る確率も高かった。
■少数の「勝ち組」と大量の「負け組」が生まれた
まず重要なのは、高い目標を立てたことにより、少数の「勝ち組」と大量の「負け組」が生まれたところだ。大きな成功を収めた者はごくわずかで、多くは目標の達成に失敗するか、目標そのものを諦めて終わった。参加者のなかで成績がよかったのは全体の20%ほどで、残りの80%にとっては、目標設定がむしろ悪影響を及ぼしたというから、その悪影響は意外なほど大きい。
成功者の数にここまでの差が出たのは、目標設定のメリットを得るためには、豊富なリソースを持つ必要があるからだ。最初から豊富な資金や人材を惜しみなく投入できる人は、もし1回目のチャレンジに失敗した場合でも、すぐに方針を切り替えて次の一手を打つことができる。そのため、難しいゴールを目指すときにも、勝つまで再挑戦を繰り返せる。
しかし、リソースが少ない組織にはそのような余裕がないため、一度つまずいただけでもプロジェクト全体が頓挫しかねない。そんな失敗が許されない状況では、焦りとプレッシャーが高まるばかりで、モチベーションの低下が起きるほうが自然だろう。その結果、最初の失敗が挫折に直結してしまう。
言ってみれば、“目標”とは基本的に強者のものだ。
■モチベーションへの悪影響も指摘されている
【“目標”の副作用2】目標のせいでモチベーションが下がる
「目標を設定するとやる気が出る」とよく言われるが、実際にはモチベーションへの悪影響も示されている。たとえば、シカゴ大学の実験では、参加者を二つのグループに分け、以下の条件でランニングをさせた(※)。
※ Fishbach, A. and Choi, J. (2012). When thinking about goals undermines goal pursuit. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 118(2), pp.99-107. doi:https://doi.org/10.1016/j.obhdp.2012.02.003.
1 目標グループ:「体重を5kg減らす」や「1日1km走る」といった目標を立て、それらを達成するために走る。
2 体験グループ:「呼吸が速くなってきた」「筋肉が温まってきた」といったように、運動そのものの感覚に注意を向けながら走る。
そして、ランニングの後に参加者の運動時間を確かめたところ、結果は「体験グループ」のほうがよかった。なんのゴールも決めずに走ったにもかかわらず、体験グループの運動時間は「目標グループ」より21%も長かったという。ここで面白いのは、事前に目標を立てたグループは、運動をする前までは「体験グループよりも長く走れるはずだ」と考えていたところだ。つまり、たいていの参加者は「目標を決めたほうが頑張れる」と思い込んでいたものの、実際には体験に集中したほうがパフォーマンスが高かったわけだ。
■モチベーションが上がるのは最初だけ
どうやら目標によってモチベーションが上がるのは最初だけで、その気持ちを維持する能力はすぐに低下するものらしい。目標のせいでモチベーションが下がるのは、ゴール設定したことにより意識が“未来”に飛んでしまうのが原因だ。
しかし、このときに“体験”にフォーカスしていれば、「この学習を通してどんな発見をできるだろう?」と考えることができ、意識は自然と目の前の作業に向かう。おかげで余計な不安やプレッシャーに振り回されず、知識を吸収する喜びを味わえるようになる。
さらにもうひとつ、“目標”は私たちに罪悪感を与える副作用も持っている。たとえば、ロンドン大学の実験では、200人の参加者にフィットビット(腕時計型の活動量計)で毎日の歩数や運動量の目標を設定させ、これが全員にどのような影響を与えるのかを調べた。
当然、目標を立てたほうが運動量が増えるかと思いきや、その結果は大きく異なった。数週間後に全員の感想を訊ねたところ、全体の90%が「運動の目標を達成できなかった日に罪悪感を抱いた」と答え、79%は日々の目標へのプレッシャーを訴え、59%は「無力な気分になった」と感じ、30%がフィットビットを「敵」と呼んだというのだ(※)。
※ Scott, J. (2016). Transdiscourse 2. Walter de Gruyter GmbH & Co KG.
■真面目で向上心がある人ほど「副作用」が起きやすい
これもまた、“目標”がもたらす副作用のひとつだ。運動の成果を数値化するのはよいことのようだが、歩数やカロリー消費量といった情報を常に突きつけられれば、それだけ目標を達成できなかった日の敗北感が際立ってしまう。そんな小さな失敗が積み重なり、やがて「私はまだ努力が足りない」「自分は駄目な人間だ」といった感覚を生み出すのだ。「目標を数値化せよ」といったアドバイスもまたビジネス書でよく聞くものだが、このデータを見る限りは安易に推奨しづらい。
また、この副作用は、真面目で向上心がある人にほど起きやすいので、その点も注意が必要だ。プラスティシティー研究所が3715人のビジネスパーソンに行った調査によれば、目標を立てて熱心に仕事に取り組む人ほど、普段からストレスを感じやすく、幸福度や自己効力感のスコアも低かった(※)。仕事で目標を持つのが悪いわけではないが、向上心がある人ほどゴールの達成に固執しやすく、長期的に燃え尽き症候群の原因になりやすいようだ。
※ Whiteside, D. (2018). Dave Whiteside Ph.D. [online] Dave Whiteside Ph.D. Available at: https://www.davewhiteside.com/anatomyofapurposedrivenemployee [Accessed 8 Jun. 2025].
■普段は不正など働かないような人が悪事に手を染める
【“目標”の副作用3】目標のせいで危険な行動が増える
“目標”を立てて行動する人ほど、よからぬ行為に手を染めやすいというデータもある。営業のノルマに追われた社員が顧客に過剰な約束をしたり、成績評価のためにデータを都合よく書き換えたりと、目標の達成に意識が集中しすぎたせいで、つい倫理観が緩んでしまうようなパターンが典型だ。心理学の世界では、昔から「限定倫理性」と呼ばれる現象が知られてきた。普段は不正など働かないような人が、過度なノルマや社会的なプレッシャーにより、本人も自覚しないまま悪事に手を染めてしまう心理のことだ。別名「無自覚な不正」とも呼ばれる。
その代表例として、マンチェスター大学の研究を見てみよう(※)。研究チームは106名の社会人に架空のセールスマネジャーを演じさせ、「商品に欠陥があったときに隠すか、それとも伝えるか?」「利益を優先するか、それとも倫理を優先するか?」などの選択肢から、自分が正しいと思うほうを選ぶように求めた。このとき、半分の参加者には「売り上げ目標を達成せよ」と具体的な目標を示し、残りの参加者には「ベストを尽くせ」とだけ指示している。
※ Ordonez, D., Schweitzer, M., Galinsky, A., Bazerman, M. and Ordonez, L. (2009). Goals Gone Wild: The Systematic Side Effects of Over-Prescribing Goal Setting. [online] Available at: https://www.hbs.edu/ris/Publication%20Files/09-083.pdf.
■どんなに誠実で正直な性格の人でも不正に手を染めた
実験は3回繰り返され、結果はいつも同じだった。
さらに、この研究で面白いのが、実験の前に参加者の倫理レベルも調べたところだ。具体的には、「会社を守るためには真実を曲げてもよい」や「ビジネスには多少の嘘が必要だ」などの文章にどこまで賛成できるかを質問し、倫理性が高い人と低い人を選り分けている。
当然、倫理的な人ほど不正などしないはずだと思いたくなるが、実際の結果は違った。どんなに誠実で正直な性格の人でも、いざ高い目標を与えられた後は「こんなことは大した違反ではない」と解釈し、不道徳な人と同じように悪事に手を染めるようになったというのだ。目標のプレッシャーが強い場面では、聖人のような性格の持ち主でない限り、不正になびきやすくなるらしい。“無自覚な不正”の実例は、過去に企業が起こした不祥事を振り返れば、いくらでも見つけられる。
■全米売り上げ7位の企業が起こしたスキャンダル
一番わかりやすいのは、大手エネルギー会社のエンロンが、不正会計により2兆円もの債務超過で破綻した事件だろう。全米売り上げ7位の企業が起こしたスキャンダルは世界に衝撃を与え、なかでも話題を呼んだのは、本来は中立的であるはずの監査法人や法律事務所までが不正に協力していた事実だ。しかも、関係者の大半は「自分の行為は合法の範囲」や「会社の成長のためなら許される」と言い切り、自らの悪事を矮小化し続けたというから驚かされる。
このような反応を、保身のための嘘だと断じるのは簡単だ。しかし、事件の後で行われた複数のインタビューによれば、ほとんどの関係者は決して言い逃れをする風でもなく、「あれは合法だった」と心から信じている様子を見せたという。
ジャーナリストのマルコム・グラッドウェルは、関係者を調べた際の感想をこう述べている(※)。
「彼らはもとから人をだます性質だったわけではない。(中略)『能力の高さ』ばかりが称賛される環境にいすぎたせいで、それにふさわしい行動をとったにすぎない」
※ マルコム・グラッドウェル.(2010).採用は2秒で決まる!.講談社
■厳しいプレッシャーのなかで認知が歪んでいく
エンロンには『成果』をことさらに重視する風土があり、従業員には常に高い目標が与えられた。
もし目標を達成できなかったときは、成績が下位15%の者から解雇されるのが慣例で、全員が厳しいプレッシャーのなかで働いていたという。
そんな環境で過ごせば、認知が歪むのも当然だろう。目標による圧力は少しずつ従業員の倫理を削り、これが前代未聞の不祥事にまで発展したらしい。まさに“無自覚な不正”だ。同じような例は多く、2015年に東芝が2200億円の不正会計を行った事件では、上層部が「利益3000億円達成」といった目標を掲げたのをプレッシャーに感じた社員が、“無自覚な不正”に手を染めたのが原因とされる。また、同年に三菱自動車が起こした燃費データの改ざん問題も、軽自動車部門に「燃費30km/L達成」という高い目標が課されたことにより、不正への圧力が生まれたと見る専門家が大半だ。
■組織がゴールの達成を重視するほど従業員は悪い方向に進む
これらの事例をもとに、ハーバード・ビジネススクールの研究チームは、「目標の副作用」を五つにまとめている(※)。
1 不正の増加:目標に近づくために手段を選ばなくなり、無意識のうちに道徳的ではない行動を正当化する心理が働く。
2 視野狭窄:目標の達成にしか意識が向かなくなり、それ以外の大事な業務がおろそかになる。
3 リスクテイクの増大:目標を達成しようと焦るあまり、リスクの高い選択へ手を出しがちになり、そのせいで失敗の確率が上がる。
4 組織文化の腐敗:目標を設定することで短期的なゴールへのモチベーションだけが上がり、長期的な利益が損なわれる。
5 やりがいの低下:目標の達成に気持ちが集中した結果、経験から学ぶ気持ちが消え、本来の「仕事のやりがい」が失われる。
※ Niven, K. and Healy, C. (2015). Susceptibility to the ‘Dark Side’ of Goal-Setting: Does Moral Justification Influence the Effect of Goals on Unethical Behavior?. Journal of Business Ethics, 137(1), pp.115-127. doi:https://doi.org/10.1007/s10551-015-2545-0.
これらの副作用は、目標の達成に夢中になるあまり、「これは間違った行為だ」と感じる能力が麻痺するせいで起きる。組織がゴールの達成を重視するほど、従業員は知らずのうちに悪い方向に引っ張られてしまうものなのだ。
このような心理は、個人のレベルでもおなじみだろう。「1カ月で体重を3kg減らす」と目標を立てた後で体重を測る前日の食事を抜いて帳尻を合わせたり、上司から「必ず今月中に資料を提出して」と言われたためリサーチや検証を飛ばして見た目だけよい資料を作ったりと、ついこうした小さな不正を重ねてしまう場面はいくらでもある。すべては、「ゴールを達成せねば」という圧力がリスクの判断を歪め、短期の成果しか目に入らなくなるのが原因だ。
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鈴木 祐(すずき・ゆう)
サイエンスジャーナリスト
1976年生まれ、慶應義塾大学SFC卒。16歳のころから年間5000本の科学論文を読み続け、「日本一の文献オタク」とも呼ばれる。大学卒業後は出版社に勤務し、その後独立。雑誌などへの執筆を行う一方で、海外の学者や専門医を中心に約600人にインタビューを重ね、月に1冊のペースでブックライティングを手がけている。これまでに関わった書籍は100冊を超える。自身のブログ「パレオな男」では、健康・心理・科学に関する最新知見を紹介し続け、現在は月間250万PVを記録。近年はヘルスケア企業を中心に、科学的なエビデンスの見極め方などを伝える講演活動も行っている。近著に『社会は、静かにあなたを「呪う」』(小学館クリエイティブ)、『最強のコミュ力のつくりかた』(扶桑社)、『才能の地図』(きずな出版)などがある。『最高の体調』(クロスメディア・パブリッシング)は20万部を突破。
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(サイエンスジャーナリスト 鈴木 祐)