中国メディアの新週刊は25日、「映画館で怒ったのは私一人だけではない」との論評記事を掲載した。
記事は冒頭、「暗い中で一人の観客がスマホの画面を点灯させている。
また、「他者を人間扱いしない方法は他にもいろいろある」とし、「盗撮、貧乏ゆすり、セリフや先の展開を口に出して言う、座席を蹴る、電話に出る、物を食べる……。これらの行為は極めて深刻であり、白い目で見たり、批判したり、警告したりしたところで、彼ら(迷惑行為をする人)の自我を揺さぶることはできない」と論じた。
記事によると、今年3月に中国の大手レビューサイト「豆瓣(douban)」に投稿された「私は立ったまま1本の映画を観終えた」とのスレッドが多くの共感を呼んだ。投稿主は後列の2人の女性が大声でずっとおしゃべりしているのに耐えられず、後列にその女性らしかいないことを確認した上で、女性らの視線を遮るように立ったまま2時間半鑑賞した。
記事は、かつて中国人が芝居や映画を観る時は確かににぎやかだったとし、ヒマワリの種や落花生をむいて食べたり、たばこを吸ったりすることが当たり前だったと説明。演劇が行われる会場は、拍手をする人、字幕を読み上げる人、銅鑼や太鼓を鳴らす人がいるなど、いつも騒がしかったとし、1900年頃の様子をつづった過去の文献にもそのような描写が出てくるとした。
一方で、当時の映画は現在ほど長いものではなく、スライドショーのようにわずか数分で終わるもので、観客らも物語の中に入り込むでもなく、おしゃべりしたり飲み食いしたりしており、片手間で観る単なる気晴らしだったと指摘。そして、学者の戴錦華(ダイ・ジンホア)氏の言葉として「“映画を観る”とは、後天的に身に付けた能力である」とし、「中国人は1913年に最初の短編映画『難夫難妻』を撮った時、人々は初めてストーリーに浸ることを知り、そしてそれを認識した」と解説した。
さらに、「1923年に『孤児救祖記』が驚異的なヒットを飛ばし、中国で映画が存在感を持つようになったが、咳をしたり、サトウキビをかじったり、水たばこを吸ったり、家のことを話したり、けんかをしたり、押し合ったり……といった声(音)はあちこちから聞こえてきた」と紹介。
記事は、1910~20年代に新聞や雑誌などを通じて人々の映画・劇の鑑賞マナー育成に力が入れられてきたとする一方、「しかし100年以上経っても映画館や劇場でスマートフォンをいじっている人はいるもので、これらの言いつけはまるで無駄になったようだ」と嘆息。「フラッシュ、咳払い、シャッター音、レーザーポインター、貧乏ゆすり、盗撮。(映画の)演出家が仕組んだものは一つもないが、これは映画館や劇場で実際に起こることなのである」と結んだ。(翻訳・編集/北田)