中国で「人生を決める」最も重要な試験とも言われる全国統一大学入試「高考」が7日から9日まで実施されました。一方、今からおよそ1600年前、大学入試よりも重要な官吏登用試験がありました。

中国北西部の新疆博物館に陳列されている「秀才対策文」は、1600年前の西涼王朝(400~421年、五胡十六国の一つ)の察挙制の試験の内容を再現しています。察挙制とは、漢武帝元光元年(紀元前134年)に確立された古代中国の官吏登用制度の一つで、その主な特徴は地方長官が管轄区内で人材を抜てきし、上級機関や中央に推薦し、見習いを経て官職が任命されるシステムです。

「秀才対策文」と名付けられたこの文書は、1975年に新疆のトルファンで出土したものです。文書は長さ65センチ、幅24センチ、上下左右にいずれも欠損があり、70行計870以上の墨で書かれた文字が保存されています。この文書には西暦408年に西涼の役所が秀才を対象に実施した「論策」(論文)試験の問題と、張弘ら三人の秀才が回答した内容が記載されています。文書によると、その年の論策試験は厳寒の冬、しかも旧正月の元日に実施されたとのことです。

論策の問題は今昔の民心、国の統治、文字の変遷、天文暦法、歴史の成敗などの内容に関するものです。書き方や出題数は中原地区(中華文化の発祥地である黄河中下流域)のものと一致しているものの、その内容は経史諸子の典籍に対する暗記と理解の審査をより重んじており、漢(紀元前202~西暦220年)・晋(266~420年)以降の中原の察挙制度と伝統文化の涼州(甘粛省武威市付近の古名)と新疆での浸透、および北朝(439~581年)ないし隋・唐の政治制度への影響を表しています。

専門家の分析によると、この涼州の論策の試験文書がトルファンで出土したことは、当時、役所が保存していた試験の「サンプル」として新疆に伝わり、現地の受験生の参考資料として使われていた可能性があるとのことです。(提供/CRI)

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