広島、長崎に原子爆弾が投下されてから間もなく80年。それに先立つ7月下旬、東京・千代田区の上智大学でノルウェー・ノーベル委員会のフリードネス委員長、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中煕巳代表委員らが参加したシンポジウム「ノーベル平和賞カンファレンスin Tokyo『核兵器の脅威への対応』」が開催された。

登壇者からは、いわゆる「核のタブー」が危うくなっている現状への危機感とともに、核廃絶に向けた若者への期待感が表明された。

大国間の対話はマヒ状態

シンポジウムの冒頭に基調講演を行ったフリードネス委員長は、核兵器は二度と使われてはいけないという核のタブーが「崩壊の危機に瀕している」と沈痛な面持ちで語った。昨年のノーベル平和賞が日本被団協に授与された最大の理由が、国内外での活動を通じて核のタブーを広め、定着させたことだったのだが、ここにきてタブーが破られかねないという懸念が強まっているというのだ。

その最大の要因が、ここ数年のロシアの振る舞いにあることは間違いない。同国は2022年のウクライナ侵攻開始後、核の使用を示唆する発言を繰り返している。昨年11月には、核兵器の使用基準を定めた「核ドクトリン」の改定をプーチン大統領が承認した。核使用の基準を従来よりも引き下げる内容で、国際社会の懸念を深めるには十分だ。

核使用に対する不安をかき立てているのはロシアだけではない。シンポジウムのパネルディスカッションで、秋山信将一橋大学教授は北朝鮮やイランの動向に懸念を示すとともに、「米中ロの三大国の間で核のリスクを低減するための対話の場が現在は存在しない。それどころか中国は年間100発のペースで核兵器を増やしているし、ロシアは新しい核兵器を開発しようとしている。アメリカはそれに対応して核戦力を充実させようかと考えている」と、大国間の対話がストップしている現状に強い危機感を示した。

日本の核武装は安上がり?

しかし、核のタブーが揺らぎ始めているのは国際社会だけではない。日本国内にも同様の傾向がみられる。先の参議院選挙で、ある候補者(後に当選)が「(自国の防衛には)核武装が最も安上がり」と発言したことが話題を呼んだ。

しかも、インターネット空間ではこの発言を支持する声が少なくなかった。ネットの意見が必ずしも国民全体の意向を反映しているわけではないが、唯一の被爆国である日本でも核兵器に対する見方に変化が生じていると感じさせる出来事だった。

では、日本の防衛と国際的地位の向上のために、核兵器は本当に安上がりなのか。軍事アナリストの小川和久氏は、著書「日米同盟のリアリズム」(文春新書)で、「核兵器を敵国の攻撃や破壊活動から守ることができなければ、抑止効果は生まれない。核兵器を守るには高度の通常戦力が必要で、決して安上がりにはならないのだ」と指摘する。確かに、先のいわゆる「12日間戦争」で、イスラエルと米国による核関連施設への攻撃をイランが防げなかった事実を見ても、核を開発・保有する場合、より高度の通常・防空戦力が求められることは明らかだ。

さらに小川氏は、核開発に踏み切れば核拡散防止条約(NPT)から離脱することになり、永年軍縮分野で培ってきた信用を失うほか、1.米国から敵性国家とみなされる可能性がある 2.NPT違反で経済制裁を受け、経済・食料安全保障に大きな打撃を被る 3.北東アジアで新たな軍拡競争を引き起こす―との防衛大学校教授の見解を紹介。「日本の核武装に関する議論はリアリズムとは対極にある妄想のようなもの」と断じている。

以上を踏まえると、核武装論を唱えるのであれば、防衛費の大幅な増額と外交的・経済的な孤立を覚悟しなければならない。米国に日本の核武装を積極的に後押しする政権ができれば話は変わってくるかもしれないが、現時点では現実的な選択肢にはならないだろう。

「平和教育に軍縮の視点を」

シンポジウムでは、核のタブーに関する危機感が示された一方で、フリードネス委員長、田中代表委員らが異口同音に若い世代の活動に期待を表明した。原爆を直接体験した世代が急速に少なくなりつつある現在、核の廃絶・縮小に向けた運動の担い手は若い世代に移らざるを得ないからだ。

そうした中、パネルディスカッションに登壇した中村桂子長崎大学准教授は、平和教育を受けている被爆地長崎の若者からも「核廃絶なんて無理」「核兵器が無くなれば世界は不安定になる」といった声が多く聞かれると指摘。「これは(従来の平和教育が)情緒的なアプローチに偏ってきたことの限界。どうすれば戦争のない世界を作れるか、核兵器をなくすことができるかというHowの部分を学ぶことができておらず、それがあきらめにつながっている。行動を起こす力となる教育をしたい。一つのカギが、平和教育に軍縮の視点を加えることだ」と語り、注目された。

最後に発言した児玉三智子日本被団協事務局長は、若者に対して「第二次世界大戦で日本は加害国でもあったことを忘れないでほしい」と要望。そのうえで「世界に1万2000発の核兵器があるが、これは地球が死の星になることを意味する。次はあなたたちの番。核の被害者にならないために、核廃絶を一人ひとりが自分事として捉えてほしい」と呼び掛け、大きな拍手を浴びていた。

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