中国のSNS・小紅書(RED)に20日、「人生の節目で、いつも日本人の善意に支えられてきた」との投稿があった。以下はその概要。

最初は(日本で)語学学校に通っていた頃。黒いボブカットの女の先生がいて、毎日授業の後に私をつかまえては日経新聞を読ませ、面接の原稿を書かせてくれた。オンライン授業の時、ビデオ通話で面接練習まで付き合ってくれた。彼女の性格は本当に母に似ていて、強くてさっぱりした女性だった。

学生に対してとても真剣で責任感が強く、まったくやる気のなかった私も彼女に促されて日本語能力試験1級(N1)に合格し、進学も決まった。合格したことを伝えに行った時、強く抱きしめてくれたのを覚えている。残念ながら体調があまり良くなく、私たちの学年を送り出したあと休養に入られた。

進学した後、家の近くのコンビニでアルバイトをした。お店は夫婦で経営していて、お2人とも本当に人柄が良く、どこから話せばいいのか分からないくらい。いつもとても親しげに話しかけてくれて、一緒に映画を見に行ったり、おすしを食べに行ったりもした。私はアニメ好きなので、新しいアニメが始まるたびに店長とマネージャー(奥さん)は「これ(関連商品)仕入れようか?」と必ず私に聞いてくれた。

卒業まであと1年という頃には、店長とマネージャーが「早く就活を始めなさいよ」と何度もせかしてくれて、履歴書の添削までしてくれた。

けれど私は本当にダメな人間で、バイトが終わると毎回、家に帰ってスマホをいじりながら寝転んでばかりいた。結局、追い立てられるようにして中国人経営の会社に就職し、ひとまずの繋ぎとした。店長たちにそのことを話した時、彼らはとても喜んでくれた。私が日本に残りたいと思っていることを知っていたから。

ある日、仕事を終えてボロボロの姿で店に寄った時、マネージャーが私を見るなりすぐに抱きしめてくれて「久しぶりだね」と言ってくれた。不器用で愛情表現が得意ではない私だったけど、いつも温かい抱擁で包み込まれていた。

その後、適当に探して入った会社はやはりひどいところで、資格を取ってすぐに退職した。やっと一息つけると思って少し休みたかったが、次の仕事を探さなければビザが危ういかもしれないという状況で迷い、結局は踏ん張り切れずに、また数カ月も空白期間ができてしまった。そんな中、去年の年末に子ブタを飼い始め、この子たちを養うためにも就職活動を始めようと決心した。

就活では、各社にエントリーしても私は書類を出すのに1週間もかかり、送った頃には先方はほとんど採用を決めてしまっていた。そんな時、今の会社の人事が面接を承諾してくれた。1次面接はほとんど人事担当の方が話していて、「仕事は簡単だから、あなたなら大丈夫」と言ってくれた。

私は「はあ」「はあ」と答えるだけで、ほとんど話す隙もなかった。そのまま2次面接に進み、よく分からないうちにこの会社でまた仕事に就けることになった。

人事の方はもう70歳を超えているのに、気力も体力も常人離れしていた。とても優しく、自腹で私のために印鑑を作ってくれたりもした。私が最年少だったからか、いつもたくさんのお菓子や果物を分けてくれた。先日、在留資格が下りたという通知を受け取り、そのことを伝えると、彼女の目はぱっと輝き、口が閉じられないほど笑って、心の底から喜んでくれた。その表情は、きっと20年経っても忘れられないと思う。

この数年を振り返ると、本当に何度も脱線しそうになったが、そのたびに必ず誰かが強く手を差し伸べてくれて、決して離さなかった。彼らは世間でよく言われる日本人のイメージとはまったく違っていて、静かでも内気でもなく、むしろ火のように情熱的で、にぎやかで、遠回しのない優しさで、見返りを求めずによくしてくれた。そのことが、異国にいる私にとって大きな救いになった。

新しい在留カードを手に入れて、ようやく生活が少しずつ軌道に乗り始めた。たくさんの人から「ちゃんと幸せに生きなさい」と言われている。

こうした善意は、私にとって何よりも大切な宝物だ。(翻訳・編集/北田)

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