ロックバンドの可能性を大きく更新した『ANTI ANTI GENERATION』が完成した今だからこそ聞きたい、野田洋次郎という並びないアーティストを形成しているルーツについて。
※この記事は2018年12月25日に発売されたRolling Stone Japan vol.05に掲載されたものです。
音楽の原風景は父親が愛好するジャズ
ー今日はルーツを探るようなインタビューをしたいなと思ってるんですけど、そう言えば洋次郎くんのそういう企画ってあまり読んだことないなと思ったんです。
野田:言われてみればそうかもしれない。
ーいろんなカルチャーに触れてきたと思うんですけど、まず洋次郎くんが初めて音楽に触れた記憶として残っているものってなんですか?
野田:小さい頃……幼稚園とかかな? 4歳からバイオリンを習っていたので。親がずっと音楽好きで。うちの親父はプロのジャズミュージシャンを目指していたんですけど、最終的にはサラリーマンになって。
ーそうだったんですね。
野田:家の地下にはドラムセットとピアノが置いてあって、3カ月に1回くらい親父のアマチュアジャズ仲間が家に来て、夜中に爆音でひたすら演奏してるっていう(笑)。
ーちなみにお父さんのパートはなんだったんですか?
野田:ピアノです。
ーでも、最初に触れた楽器はバイオリンだったんですね。
野田:そう。でも、バイオリンはちょっとやらされていた感もあって。全然上達しなかったし、途中で辞めちゃいましたね。音楽を聴く側としては、ジャズという音楽を認識する前からジャズの生演奏をずっと聴いていて。あと親父はサザンオールスターズ、ユーミン(松任谷由実)、サイモン&ガーファンクルとか王道のポップスやフォークっぽい音楽も好きだったから車の中でよく聴いてました。それか、マイルス・デイヴィスとかオスカー・ピーターソンとかチック・コリアみたいな。
ージャズか日本のポップスだったんだ。
野田:そう。オカンはオカンでクラシックがずっと好きだったんですよ。でも、そんなに家でクラシックを聴いていた記憶はないんですけど。
ーじゃあバイオリンはお母さんからの導きで始めたんですか?
野田:そう。オカンは俺が自分からやりたいって言ったって言い張ってるんだけど、俺は全然やりたくなかった(笑)。
ーバイオリンを自分から習いたいって言う4歳はあんまりいないよね(笑)。
野田:いないよね。聞いたことない(笑)。
アメリカにいるときのカルチャー体験
ーでも、ジャズは物心つく前から聴いてたから、自然と耳に入っていたし、吸収したんでしょうね。RADの音楽性にとってもジャズのエッセンスはいろんな曲に垣間見れるし。
野田:そう思います。カッコよさそうだからジャズを聴いてみようという感じでは全然なくて、家で常にBGMとしてジャズが流れてるという。うちのスタッフとかも実家で親父と食事したことがあるんだけど、たぶんそのときもずっとジャズを流してたと思う(笑)。そういう人なんですよね。
ーお父さんは今も仲間とたまにライブをしたりしてるんですか?
野田:いや、人前では全然。
ーバイオリンを経て、洋次郎くんが最初に自分から能動的に楽器を弾いたのはいつ頃だったんですか?
野田:小5のときですね。家にあったギターを弾くようになって。幼稚園の卒園直前にアメリカに行って、ちょうど小5のときにアメリカから帰国したんですけど。
ーじゃあアメリカにいるときのカルチャー体験ってどんな感じだったんですか? テネシー州のナッシュビルですよね。カントリーの街でもあると思うんですけど。
野田:そうですね。でも、カントリーとかウエスタンの雰囲気は少し感じていたけど、当時は小学生だったしアメリカの音楽のルーツに関してはあとで知った感じなんですよね。当時はマイケル・ジャクソン全盛の時代だから。自分の周りでもテネシー感はあんまりなくて。
ーMTV全盛の時代でもありますよね。
野田:そうそう。

ー音楽とは距離があったんだ。
野田:そうかも。でも、向こうで初めて観たライブは親が連れていってくれたレイ・チャールズだったんだけど。
ーええっ、最高じゃないですか。
野田:でも、子どもだったからよくわからなくて途中で寝てた気がする(笑)。
ーもったいない(笑)。今思えば超贅沢な体験をしてたっていう。
野田:そう、ありがたいですよね。あとはジャズのライブもけっこう連れていってもらってたな。いわゆるジャズ箱みたいなところに。
ーでも、本格的に音楽に興味を持ち始めたのは帰国してからなんですね。
野田:そうなんですよ。小5で帰国してから初めてリアルに日本のバンドの音楽を聴くようになって。ギターを弾いてスピッツの曲をコピーしたり。当時の俺としては日本語で歌ってる曲がある時点でうれしくてしょうがなかった。アメリカにいたときは何を歌ってるのかあんまりわからない状態で音楽を耳にしていたから。
ーそれはもう、うれしいですよね。
野田:だから、帰国して日本の音楽を聴くようになってからは毎晩のように家でギターを弾いてましたね。そこから音楽にハマっていく感じでした。
レディオヘッドとレッチリに教えてもらったこと
ー2015年にMr.Childrenと対バンしたときのMCだったと記憶してるんですけど、「アメリカにいたときは日本から届けられたミスチルの音源が入ったカセットテープを擦り切れるまで聴いていた」と言ってましたよね。だから、ミスチルと対バンできるのは自分にとって夢のようなことだと。
野田:ああ、そうそう! それはナッシュビルにいたときですね。従兄弟が遊びに来たときにそのカセットテープをもらって。その従兄弟はミスチルが大好きで自分で編集したミックステープをくれたんですよ。ナッシュビルにいる4年間ずっとそれを聴き続けてましたね。
ーもしかしたら、当時のナッシュビルでミスチルを聴いてた唯一の小学生だったかもしれないですよね(笑)。
野田:ほんとにそう(笑)。
ーで、小5のときに日本でスピッツを聴くようになって。
野田:そこから中学生になるとオアシスやブラーとかUKのロックバンドを聴くようになるという流れでしたね。
ー洋次郎くんにとってブリットポップはどんなところが魅力的でしたか?
野田:もしかしたら俺の中ではビートルズを聴くような感覚で聴いてたのかもしれない。なんて言うかな? 教科書になり得るロックというか。メロディとかコード感も覚えやすいし。
ーコピーしやすかった。
野田:そう。たぶん人生で一番歌ったのはオアシスとハナレグミの曲じゃないかな(笑)。
ーでも、ハナレグミはだいぶ大人になってからでしょ?(笑)。
野田:うん。でも、通算でカウントするとハナレグミの曲もかなり歌ってるから(笑)。
ーちなみにオアシスだとどんな曲をコピーしてたんですか?
野田:ありとあらゆる時代の曲をコピーしてましたよ。たぶんほとんどの曲を弾けると思います。代表的なところでは「シャンペン・スーパーノヴァ」、「ワンダーウォール」、「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」、「ドント・ゴー・アウェイ」、「ホワットエヴァー」、「リヴ・フォーエヴァー」、「スーパーソニック」とか。当時は次から次へとコピーしてましたね。
ーそこで聞きたいのは、今日はルーツから派生して「野田洋次郎にとってのヒーローはいたのか?」という質問もしたかったんですけど、洋次郎くんにとってギャラガー兄弟はそういう対象だったんですかね?
野田:ギャラガー兄弟はね……ああ、でも、ヒーローではあるな。サマソニで初めてオアシスのライブを観たときに泣けたもんな。無条件に泣けた。でも、俺にとってギャラガー兄弟は”カッコいいヒーロー”という感じではなくて、”憧れのあんちゃん”的な感じというか。ステージで神々しいというタイプでもないじゃないですか。
ーそうですね(笑)。やさぐれた兄ちゃんって感じですよね。
野田:まさに。英語のイントネーションもやたら田舎っぽい感じがあって(笑)。そういう意味ではレディオヘッドのトム・ヨークのほうが俺にとってはヒーローかな。
ーレディオヘッドもブリットポップからの流れで聴くようになったんですか?
野田:その流れで当然のようにレディオヘッドの音楽とも出合うんだけど、アルバムで言うとちょうど『OK コンピューター』(1997年)あたりだったんですよ。「あれ? なんだ、この難しい音楽は!?」というのが最初の印象でしたね。
ー出会いがその前の『ザ・ベンズ』(1995年)だったらそうは思わなかったかもしれないね。
野田:そうそう。高校に入ってから『ザ・ベンズ』あたりも遡って聴くようになってどんどんハマっていったんだよね。中学時代はずっと弾き語りをやっていたから、『OK コンピューター』はあまり弾き語りには適さないっていう。
トム・ヨークの存在
ー間違いない(笑)。じゃあレディオヘッドの音楽性のすごみというのは徐々に理解していったと。
野田:そうなんですよ。やっぱりバンドを始めて、音楽を自分で構築するようになってからそのすごさに気づくというか。
ーレディオヘッドでありトム・ヨークの存在というのは、RADのみならずillionの音楽性やアティテュードも込みで今の洋次郎くんにもすごく大きな影響を及ぼしていると思うんですけど。やっぱりトム・ヨークはパーソナリティも含めて惹かれるものがありますか?
野田:ありますね。最近のトムはちょっとお腹も出てきてかわいいおじちゃんって感じもあるんですけど(笑)、パーソナリティも含めて魅力的だと思います。親近感も湧くし、アーティストとしていかに音楽と自分を一体化するか。その感覚にすごく影響を受けました。「そうか! 自分もこんなに音楽と一体になれるんだ!」という感覚を教わった気がしますね。
ーたとえばラブソングのあり方はどうですか? レディオヘッドの「クリープ」という初期の名曲は危ういほど親密なラブソングでもあるじゃないですか。それってRADWIMPSのラブソングに通じる部分もあるんじゃないかと思うんですけど。
野田:なるほどね(笑)。そこはあんまり自覚してないかな。歌詞の内容というよりは、やっぱりアーティストと音の結びつき方においてですね。あと、音楽性のフォーマットがどんどん変化していくあの自由さですよね。
ーアルバムごとに音楽性が劇的に変化するというね。それがロックシーンのモードを形成したり。
野田:そうそう。水のように柔らかくもあるし、固くもなれるし。その自由さに影響を受けていて。でも、歌詞も……何か近いものもあるんだろうな。だから俺はこんなに好きなんだろうし。トムにはこれまで3、4回会わせてもらってるんですけど。
ーあ、そうなんだ。
野田:トムはジョニオ(高橋盾)さんと仲がいいから、その繋がりもあって。
ートムとはどんな話をしたんですか?
野田:「ライブはどうだった?」とかそういう話ですね。そういうこともちゃんと気にする人で。「ってか、前回会ったのいつか覚えてる?」って聞くと「もちろん覚えてるよ」とか。
ー「最近はどんな音楽を聴いてる?」とか、そういう話は?
野田:それはしない。向こうも俺が憧れてるのを知ってるだろうし。
ーRADもそうだけど、illionのライブもぜひ観てもらいたいですよね。
野田:ね。盤は渡したけど。やっぱり俺の中でレディオヘッドはデカいですね。あと、すごく影響されたのはやっぱりレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)ですよね。
ーレディオヘッドとレッチリは洋次郎くんの中で双璧という感じ?
野田:そうですね。だから、アトムス・フォー・ピースが結成されたときにトムとフリーが一緒にバンドをやることを知って「おおっ、マジか!?」ってなったもん(笑)。新木場STUDIO COASTであったアトムスの来日公演(2013年11月)も観に行ったけど、最高だった。
ー僕も観ましたけど、あのライブはほんとにエポックメイキングな内容でしたよね。徹頭徹尾、素晴らしかった。
野田:めっちゃよかったよね! あのライブはいまだに忘れられないですね。
ーレッチリのアルバムで言うと、リアルタイムで聴き始めたのは『カリフォルニケイション』(1999年)とかですか?
野田:高校のときにドンピシャだったのは『カリフォルニケイション』の次の『バイ・ザ・ウェイ』(2002年)かな? レッチリはどちらかと言うとフィジカルな面で影響されましたね。もちろん、楽曲にもすごく影響を受けたし。
ーたしかにサウンドプロダクションの構造的には影響を感じる面がけっこうありますね。
野田:ファンクの活かし方とか、一癖も二癖もあるあの感じね。
ーロックバンドとして肉体的にファンクやヒップホップを昇華するという。
野田:でも、レッチリってちょっと小難しそうに聴こえても音楽的には実はどこかでシンプルだったりもして。そういう落とし込み方も学んだかな。俺にとってのレッチリは最終的にポップソングに聴こえるんですね。
ー洋次郎くんらしい捉え方ですね。
野田:それはたぶん(ジョン・)フルシアンテのどうしてもにじみ出るポップセンスだったり、メランコリックさに由来してると思うんだけど。絶対に難しい音楽にならないそのバランスがいいと思うし、あとはやっぱりメンバー全員メロディメイカーなところも好き。フリーもそうだし、チャド(・スミス)もアンソニー(・キーディス)もメロディアスなセンスを持っていて。大好きですね。
ーさっきのメンバー全員インタビューでも「メンバー全員が超人みたいなバンドになりたかった」というようなことを言ってたけど、レッチリはそういうバンドですよね。
野田:まさに。だからけっこうレッチリの呪縛はデカかった(笑)。だって俺、レッチリは正直アンソニーがヴォーカルじゃなくても好きだもん。そういう感じがいいなって。それぞれのソロがめっちゃよかったり。
ハリウッド映画から日本映画へ
ー音楽以外のカルチャーについても聞きたいんですけど、洋次郎くんが自分のルーツだと思う映画はありますか?
野田:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。これはダントツですね。最初は日本で観たのかな? アメリカで観たのかな? ちょっと忘れちゃったんだけど、公開された年と映画の舞台が1985年で、俺の生まれ年なんですよ。そういうのもあってワクワクしたなぁ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はいつ観ても面白い映画ですね。それこそ俺が好きなアメリカ感が詰まってるかも。アメリカ的な無敵感というか。
ーその洋次郎くんが好きなアメリカ感、無敵感についてもうちょっと詳しく聞きたいですね。
野田:なんて言ったらいいかな。アメリカって上だけを目指して伸び続けていく、その幻想の中にいる国のような気がしていて。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にある近未来感とか、過去にも戻ったりするその自由な発想もアメリカを象徴するような無敵感がある気がするんですね。今振り返ればね。デロリアンが飛んじゃう感じとか、ホバーボードに乗ったりとかもそう。その発想の奇想天外さと、ストーリーに夢中にさせるあの威力こそハリウッドって感じ。ボックスセットも持ってるから今でもたまに観ますね。
ー映画のジャンルで言うと洋次郎くんはSFが好きなんですか?
野田:いや、本来はそっち寄りじゃないんですけど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は別格です。アメリカにいたときはけっこういろんな映画を観てましたね。(シルベスター・)スタローンとかシュワちゃん(シュワルツェネッガー)、マコーレー・カルキンが出てるような作品とか。
ーハリウッドの黄金期だったし。
野田:そうなんですよ。なので、アメリカにいたときはかなり映画館に行ってました。仲のいい家族同士で出かけるってなるとアメリカは映画館かボウリングだから。あと、ローラースケート場ね(笑)。ほとんどその3つのどれかになるので。友達の誕生日のときもそう。俺はそのなかでも映画館は好きでしたね。映画を観ながらちょっとずつ英語を学んでた気がするし。もちろん日本語の字幕はないから、映画の内容を理解したいと思って英語を自然と学んだという感じ。
ーもちろん、当時の洋次郎少年はまさか大人になって自分が映画の主演(『トイレのピエタ』)を務めるとは思ってもみなかっただろうし(笑)。
野田:ほんとですね(笑)。
ーちなみに日本映画で印象深い作品は何かありますか?
野田:いっぱいありますよ。18、19歳の頃、一人暮らしするようになったくらいかな? 一時期日本映画をバーッと観まくっていて。TSUTAYAに行って常に3、4本レンタルして観るということを日常的にやっていて。それから不思議とプライベートで日本のいろんな映画監督と知り合いになっていったんですけど──岩井(俊二)さんとか行定(勲)さんとか、最近だと豊田(利晃)さんとか、大根(仁)さんとか。役者の人たちよりも先に監督と仲よくなることが多くて。そういう人たちが監督する映画がやっぱり好きで。「トラディショナルな日本映画ってどういうものだろう?」って思いながらいろんな作品を観ましたね。それは俺にとってすごくいい時間でした。

Photo by OGATA
ー日本映画の叙情的な表現性に惹かれるものがあった?
野田:惹かれましたね。それこそ日本映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とは全く違う惹かれ方をして(笑)。
ー真逆だからね(笑)。
野田:「日本映画だな」っていう空気感がすごく好きになりました。そのなかでもあえて一本挙げるとすれば、矢崎仁司さんが90年代初めに監督した『三月のライオン』は自分の中で第2のエポックメイキングな映画でしたね。映像作家の島田大介さんに教えてもらったんですけど。ストーリーの進み方がスローで、それがまた素晴らしいんですよ。メジャーな作品ではないし、低予算映画なんだけど、すさまじい威力を持っている作品だと思います。俺は自分が好きな人とは友達になりやすくて、矢崎さんにも『三月のライオン』を観た数年後に知り合っていまだに会ったりします。
ー『トイレのピエタ』で役者デビューにして主演を務めるという決意ができたのは周りのそういうコミュニティがあったからこそなんですかね?
野田:でも、不思議なのは『トイレのピエタ』の監督の松永(大司)さんは全く面識のない状態で声をかけてくれたんですよ。それがまた面白いなって。
ーでも、いつかは芝居をする機会があるかもしれないとは思ってた?
野田:いや、全然想像もしてなかったです。だから松永さんがほんとにすごいなと思った。だってリスクしかないでしょ(笑)。
ーでもライブを観たりMVを観たりする中で、「この人は芝居ができる人だ」ってわかるんじゃないですかね。
野田:あ、それは言われました。「映像を観たりしていてこの人はできると思ったんだよね」って。だから、俺の新しい扉を松永さんは開けてくれたんだよね。ほんとに感謝してます。
手塚治虫作品から得た絶望感と輪廻感
ー決しておべっかなどではなく魅力的な芝居をしていたと思います。
野田:ほんとですか? ありがたいです。でも、最初だからというのもあるんだろうね。何もわからずに芝居してる人ならではの感じというか。
ーリリー(・フランキー)さんの存在も大きかったんだろうなって。
野田:ほんとにデカかった。リリーさんがいなかったら全く違ってたと思いますね。あの人はそこにいるだけでメッセージを伝えてくれる人なんです。リリーさんと一緒に芝居をすることで「これもセッションだな」って思えたし。特に2人のシーンが多かったから。
ーラストシーンもまさにセッション性を感じられるシーンですよね。
野田:そうそう、あのシーンはほんとに2人だけの芝居だったから。俺が緊張しているのをリリーさんもわかってるから、どこまでも柔らかい空気で包んでくれたし。助けてもらいましたね。
ー今後も役者のオファーがあったら応えたいと思いますか?
野田:そうですね。でも、しばらくは音楽の宿題がたんまり溜まってるから。まずはそっちかなって感じですけど(笑)。
ーでも、音楽以外のアウトプットができたのは洋次郎くんにとってすごくポジティヴに作用しているんだろうなと思いますね。
野田:そう思います。違うフィールドの人たちと接しているだけで自分の中の空気が相当入れ替わるから。バンドだけでやってた10年間は、仕事に行ってもバンドのメンバーとしか会わないし、空気の入れ替えがなかなかできなかったんですよ。もちろん、それがいいときもあるんですけどね。それでもやっぱり1回自分の中の空気をごっそり入れ替えることができるのはすごくありがたいと思います。
ー漫画もけっこう読みますか?
野田:最近は全然読まなくなっちゃったけど、昔は漫画を読むのが大好きだった。小学校のときに帰国して住んでた家は本屋が目の前にあって。そこで漫画をよく買ってました。でも、今は全然読まなくなっちゃいましたね。スマホとかで漫画を読む習慣もなくて。そういう習慣があれば違うんでしょうけど。
ー最初にどハマリした漫画はなんでしたか?
野田:小学校でいろんな漫画を読むようになったんだけど、その前に親父が『火の鳥』とか『AKIRA』が大好きで。ずっと自分の部屋の本棚にあるから、4、5歳くらいから意味もわからず読んでました。それはルーツとして大きいと思う。
ー内容は咀嚼できないけど。
野田:そう。でも、すごく衝撃的だったのは覚えていて。特に手塚治虫さんの影響はデカいですね。
ーそれこそ『トイレのピエタ』は手塚さんが亡くなる前につけていた日記の最後のページに書かれていた構想が原案になってるわけで。それを思うとすごい話ですよね。
野田:ほんとに不思議な感じ。手塚さんの作品はほとんど読んでると思う。なんだろう? 手塚さんの作品には絶望感を教えてもらったという感覚があるんですよね。あとは、輪廻感とかね。『火の鳥・未来編』では一生死ねない身体になってしまった主人公が出てくるじゃないですか。あの絶望感、孤独を生々しく教えてもらった。
ー間違いなくそれは歌詞の筆致にも反映されてますよね。
野田:すげぇあると思う。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のレベルではないくらい、『火の鳥』はすべての時代を網羅してるじゃん?(笑)。ウルトラ未来もあるし、縄文や弥生時代の話もあって。宇宙もあるし。そういう世界を誰よりも先に描いてるからちょっとすごすぎますよね。
ーあらためて、洋次郎くんにとってお父さんの存在ってすごく大きいですね。
野田:親父からすごく影響を受けてますね。たまたまとは言いつつ、俺の部屋の本棚に『火の鳥』とかを入れておくセンスがね(笑)。
ーそれは「読めよ」っていうメッセージだったのかもしれないよね。
野田:どうなんだろうね。やっぱりそうだったのかな?(笑)。でも、トイレにはなぜか『ぼのぼの』とか『Whats Michael!?』を置いてくれてた(笑)。ああいうのもありがたかったな。
ー前作『人間開花』には「週刊少年ジャンプ」という曲もありましたけど。
野田:それはもう、俺らは『ドラゴンボール』世代なので。『幽☆遊☆白書』とかもそうだし。あらゆるジャンプ作品を読んでました。
ージャンプの黄金期でもあったし。
野田:ロスに住んでいたときは日本人スーパーマーケットみたいなところがあって、そこに一応『ドラゴンボール』の単行本とかも売ってるんだけど、1200円くらいするから。
ー小学生にとっては高額だよね。
野田:当然買ってもらえないよね(笑)。だから帰国したときに『ドラゴンボール』を読めたのはうれしかったですね。あとは『キャプテン翼』とか『BECK』とか、『るろうに剣心』とか。いっつも漫画を読んでましたね。でも、高校生になってバンドを始めたりする中でちょっとずつ漫画から離れていったんだけど。そんな中でも、作品性が多様化していく日本の漫画って面白いなと思ってましたね。浅野いにおくんの独特な作家性とかもいいなと思って。今もそうだと思うけど、作品の幅が広がっていくのはジャンルとして面白いなと思いますね。
ーファッションについても聞きたくて。洋服も好きですよね?
野田:好きなほうだとは思いますね。
ーさっき話しに出たジョニオさんしかり、ファッション関係の繋がりもけっこうあるだろうし。
野田:ああ、そうですね。でも、ちゃんとファッションとして服をいいなと思い始めたのは、自分のお金で好きなブランドの服をある程度買えるようになってからで。それまでは古着とか、いつも同じ服を着てた気がする。
ーライブで着る服も?
野田:そう。ライブがあると新しいTシャツを買うくらいで。なんとか音楽でお金をもらえるようになった19歳、ハタチくらいから服を買うことにのめり込んでいきましたね。
ースタイリストさんがリースしてくれた服をいいなと思ったり?
野田:そうね。でも、最初の頃はスタイリストさんに服を着せられるのが苦手で。デビューしてから7、8年は私服が多かったんですよ。
セルフスタイリングで被っていたハット
ーああ、そうなんだ。トレードマークだったとも言えるハットとかも自分で用意してたんですか?
野田:そう。そういう意味ではこだわりがあったんだろうね(笑)。自分に似合う服は少ない気がしていて。だから、スタイリストに服を持ってこられるとほんとに”着せられてる感”があって。せめて自分に似合う服をと思って探してたら、「面白い服の着方をするね」って言ってもらえるようになって。たとえば「おしゃかしゃま」のMVでCOMME des GARCONSのスカートとかNUMBER(N)INEのニットとかを着てるんだけど。そういう服のチョイスを面白がってもらえたり。
ーさっきも言いましたけど、ハットが洋次郎くんのトレードマークになっていたところがあるじゃないですか。
野田:そうそう。俺の真似をする人もだいたいハットを被っておけばなんとかなると思ってる感じがちょっとある(笑)。でも、俺自身はハットを被らなくなってからけっこう時間が経つんですけどね。最近は撮影のときもだいたい帽子はかぶらないようになりましたね。プライベートではキャップを被ることが多くて。
ーでも、なんでハットをチョイスしたんですかね?
野田:なんか恥ずかしかったんじゃないかな? 素顔をさらけ出すのが。内気な性格だったし、あんまり人と目を合わせて話すことができなかったから。それもあって。だから期せずしてハットが自分のアイコンになったのが面白いなと思って。当時は意外とハットキャラがいなかったと思うし。
ーたしかに。そこから自分のマインドがどんどん開かれていった結果、ハットを脱いだところもあると思いますか?
野田:ああ、そうかもしれない。
ープライベートで付き合いのあるファッション関係の友人は人が人を呼んでいくように繋がっていったんですか?
野田:自然とかな。ただ、俺はアートワークにも自分で積極的に関わってるじゃないですか。そういうのもあって、アートディレクターの永戸鉄也さんとか、いろんな写真家の方とか、MV監督とか、俺にとってすごく影響を受ける世代があって。今の年齢で言うと、なぜか43、44歳くらいの人たちとすごく仲よくなる傾向があるんですよ。そのちょっと上の先輩が盾さんの世代で。で、盾さんのさらに上の世代にHYSTERIC GLAMOURのノブ(北村信彦)さんとか、スタイリストの馬場(圭介)さんとかがいて。その人たちとご飯を食べたり遊んだりしていると、俺が一番後輩になるじゃないですか。その後輩感によって好き勝手やれるという居心地のよさがあるんですよ。自分が若造でいられるというか(笑)。
ー安心感がある。
野田:ある。やっぱり俺は末っ子気質なんだなって思いますね。だからバンドにいるときはちゃんとしないといけないから大変(笑)。
ー先輩たちといると背負ってるものを一回おろせるような感覚があるんですかね?
野田:そう。すごくかわいがってもらえるから楽しいし、知らないことをいっぱい知ってるから勉強にもなるし。
ークリエイティヴにおいて刺激を受けることもたくさんあるだろうし。
野田:めっちゃありますね。不思議なのはどのジャンルでどんなことをやってる人でもみんな音楽に対する特別な思いがそれぞれにあるんですよ。音楽へのリスペクトと、音楽への憧れをクリエイティヴのモチベーションにして表現している。音楽の影響力って大きいんだなと思います。
ーたとえばファッションブランドのコレクションのテーマがグランジだったり、そういうことは往々にしてあって。
野田:そうそう。盾さんも絶対に音楽にインスパイアされてるって言うし、HYSTERIC GLAMOURなんてまさにブランドのテーマがずっと音楽そのものというか。他の友達のファッションブランドも基本的にはやっぱり音楽からの影響があって。そうやってファッションを通して音楽を知るというのも面白いなと思いますね。
ーあとは、コレクションで流れてる音楽が気になったりもするだろうし。
野田:うん。sulvamという友達のブランドは今年のパリコリでillionの曲を使いたいって言うから「いいよ」って言って使ってもらったんです。俺も会場にいたんだけど、ずっと俺の曲が流れてるから不思議だなって思いながら(笑)。「ほんとにこれでいいのかな?」って。
ーillionはそうやって実際にファッションのフィールドとナチュラルにリンクしてるじゃないですか。そこでちょうど洋次郎くんに聞きたいことがあって。とにかく日本のバンド音楽、それを取り巻くシーンってファッションやその他のカルチャーと断絶してるじゃないですか。ガラパゴスの中のさらにガラパゴスみたいな。
野田:うん、そうだよね。
ー洋次郎くんはそのあたりをどう思ってるのかなって気になる。
野田:それはけっこう根深い問題ではあるよね。まずファッションとリンクしていく音楽というのは日本語に対する抵抗感がすごくあると思うんですよ。
ー間違いないと思います。
野田:そこは難しい問題だと思う。海外でも”J-ROCK”という括られ方をしているし、実際にアジアに行くと”J-ROCKバンド、RADWIMPS”って紹介されたりするのは不思議な感覚で。でも、俺はその暗黙の空気感をどう突破して崩していこうかなという面白さを今は感じでいるんですね。
境界線を崩すバンドでありたい
ー『ANTI ANTI GENERATION』にもその気概を強く感じるんですね。現行のビートミュージックに意識的なアプローチも含めて。それをいかにロックバンドとして昇華できるかという。そういうこととしっかり向き合ってるじゃないですか。
野田:そうそう。このアルバムがどこで流れてもやっぱりカッコよくありたいし、その境界線を突破できる何かにしたいと思うんだよね。そこはすごく意識しましたね。
ーすごくわかる。
野田:逆にたとえばファッションに特化しようとしてそこで受け入れられる音楽を作るのはそんなに難しくもない気がしていて。
ーそうですね。洋次郎くんはそこにもアジャストできると思う。
野田:俺だけじゃなくて、たぶん日本人はその器用さを持ってると思うんだよね。ファッションのコレクションで流れるような音楽を作る器用さを。今、DJシーンにもいろんな人たちがいて、かっこいい人もいれば真似事っぽい人もいるし、こう言うと安っぽくなっちゃうかもしれないけど、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドのクロスオーバーはこれから新しい次元で生まれると思う。
ーそこに期待したいです。
野田:アンダーグラウンドの広がり方がすごいから、こっちが影響されざるを得ないというか。バンドでも、世界標準をめがけていわゆるJ-ROCKとはあきらかに違いますよというスタンスで音を鳴らしてるバンドもいっぱいいるじゃないですか。yahyelとかD.A.N.とか。ああいうバンドはすごく面白いと思うし、yahyelはillionにも「何か一緒にやれたらいいですね」って言ってきてくれたり、「なるほど、ぜひ」と思いましたね。そうやって日本にある不思議な境界線はカタチを変えたり、取っ払われていくんじゃないかと思います。その中でもまたマジョリティができて、新たな境界線も生まれるんだろうけど。
ーRADはずっと境界線の狭間の真ん中に立ち続けようとするバンドだと思うんですよね。
野田:そう。自分もその境界線を変えていく役割でありたいし、でも、その一方で自分もメジャーにいるバンドの一翼を担ってるわけじゃないですか。メジャーの、ど真ん中の音楽の。
ー超担ってるよね。
野田:その面白さの中にもいるから。だけど、「俺はそこにいないよ」って言ってその中で変わり続けたいし、同じところに留まりたくない。
ーillionのサウンドプロダクションの方法論もこのアルバムにナチュラルに吸収されてるのもすごく象徴的だと思うんですよね。
野田:そうそう。そこも今、すごくしっくりきていて。もともとillionは実験の場で始めたけど、ことごとくRADにも反映させていってるから。そこでRADが持ってるポテンシャルがまたとてつもなく広がるんですよ。それはすごくいい流れだと思うし、RADでできることはもっともっと増えていくのかなと思ってる。
バンドという”音楽集団”になる
ー今は世界的にもラップが主流だし、それこそファッションブランドもスターのラッパーに自分たちの服を着させてナンボみたいなところがあるじゃないですか。
野田:そうだよね。
ーでも、思い出すのは、『人間開花』のインタビューのときに洋次郎くんはこう言っていたんです。「今、時代的にロックバンドの音楽のあり方が過渡期を迎えてるような気がしていて。ロックバンドのカッコよさをどう伝えていけるか。そこに対してRADWIMPSが担うべき役割がきっとあると思うから。それを次のアルバムで表現したいです」と。それがすごく印象的に残ってるし、RADはこのアルバムで一つそれを具現化したと思うんですよ。
野田:そうですね。今までと同じスタイルという意味でのバンドとは絶対違うものになるだろうなとは思うけど。
ーバンドという概念が確実に変容していく。
野田:というか変容していかないと。そうじゃなければ過去の遺物としてカッコいいみたいなことになっちゃう。この感覚、わかります?
ーわかるよ。懐古主義的なままで終わっちゃうんじゃないかという。
野田:そうそう。懐古主義的な意味でのカッコいいってなったらいよいよ終わりだと思うから。でも、今のヒップホップもけっこうロックのエッセンスを入れてたりするじゃないですか。
ー最近だとエイサップ・ロッキーがテーム・インパラの曲をサンプリングした新曲(「Sundress」)を出したのも象徴的だと思うし。
野田:ね。グランジとかの匂いを引用してるラッパーもいるし。そういうことを交互にこっちもやっていかないと懐古主義的になっちゃうから。ヒップホップの人たちも最終的にはめちゃめちゃ音楽センスのある人たちが残っていくと思うんですけど。音楽的な知識だったり、基礎的な技術はバンドマンのほうがあると思うから。
ー「だってこっちは楽器弾けるもん」っていうね(笑)。当然だけど、それはめちゃめちゃアドバンテージですよね。
野田:そうそう(笑)。まず、楽器が弾けるから。で、俺は楽器がめちゃめちゃ弾けるヒップホップのアーティストがここからめちゃめちゃ増えていくと思うんですよ。
ーたとえばアンダーソン・パーク然りね。
野田:まさに。ああいうアーティストがアメリカではどんどん出てきていて。そうなると「このジャンルの違いって何になるの?」って曖昧になっていくと思うし、それがいいと思う。
ーすごく希望を持てますよね。
野田:うん。「それってロックじゃん」って言われるヒップホップが増えていくと思うし、それこそポスト・マローンはジャンルのカテゴリーにおいてヒップホップから外されたらしいけど、「そこで怒ってもしょうがなくない?」って思うんですよ。だって、ジャンルってただの器でしかないから。アンダーソン・パークなんてドラム叩きながらあんなにラップしてるけど、それでもやっぱりヒップホップだと思うし。
ー受け手の捉え方次第だよね。
野田:そう思う。で、バンドというキーワードが”音楽集団”という意味を持ち続ければどこにだって行けるはず。
ーすごくいい話が聞けました。
野田:うん、俺もこんな話になるとは思わなかった(笑)。RADはそうやって音楽集団としてどんどん変化して、進化していける気がする。ストリングスを入れたオーケストラのアレンジもするし、全く生ドラムが入ってない曲も作るし、それをヒップホップと呼ばれてもべつにいいですよっていう。俺らはバンドという音楽集団だから。そうやって他のジャンルの人たちとクロスオーバーしていく。そのうえで自分が生まれたオリジナリティがどこかという根っこさえしっかりしていれば、どこに行ってもブレることはないんじゃないかって思います。
ーこのインタビューとして完璧な着地をしてくれました(笑)。
野田:いや、自分でも話しながらいろんなことがクリアになりました。
ーこのアルバムはその始まりの1枚という感じがしますよね。
野田:そうだね。このアルバムを作れたことでやたら大きな自信を持って次に向かえると思うし、そういうアルバムをできたことがうれしいです。
ー最後に今の洋次郎くんが最も影響を受けている人や物、なんでもいいので聞かせてもらえたらと思うんですけど。
野田:なんだろうな……でも、やっぱり友達なのかな。今はだいたい友達に会って酒を飲んだりするか、曲を作るかのどっちかだから。みんなそれぞれにとってのカッコいいを追求して表現していて。俺ら世代でやっとパリコレに進出し始めたデザイナーとかもいて。俺は自分の同世代感を意識してなかったけど、だんだん見えてきて、みんなけっこう大きな仕事をやり始めてる。スタイリストもディストリビューターもミュージシャンも。そういう意味では俺らの先輩たちの中にあるカルチャーが作ってきた世代感を、俺たちの世代でも作れるといいなという雰囲気が出てきた。みんなでスタートラインに立ってるなって。だから俺はみんなに影響を与え続けたいし、受け続けたいです。
衣装クレジット:
ジャケット ¥180,000 ベスト、¥80,000 オーバーオール、¥146,000 シューズ 参考商品(すべてヨウジヤマモト/ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500) 中に着たタンクトップ/スタイリスト私物 ※すべて税抜価格となります。
<INFORMATION>
映画『天気の子』
7月19日(金)全国東宝系全国ロードショー
原作・脚本・監督:新海誠
音楽:RADWIMPS
声の出演:醍醐虎汰朗 森七菜
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:田村篤
美術監督:滝口比呂志
製作:「天気の子」製作委員会
制作プロデュース:STORY inc.
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
配給:東宝
©️2019「天気の子」製作委員会
https://www.tenkinoko.com/
「ANTI ANTI GENERATION TOUR 2019」
6月8日(土)長野ビッグハット
6月9日(日) 長野ビッグハット
6月14日(金)アスティとくしま
6月22日(土)千葉 ZOZOマリンスタジアム
6月23日(日)千葉 ZOZOマリンスタジアム
6月29日(土)沖縄コンベンションセンター展示棟
6月30日(日)沖縄コンベンションセンター展示棟
7月5日(金)和歌山ビッグホエール
7月9日(火)大阪城ホール
7月10日(水)大阪城ホール
7月20日(土)北海道 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
7月27日(土)宮城 セキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)
7月28日(日)宮城 セキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)
8月2日(金)CONVEX岡山
8月3日(土)CONVEX岡山
8月13日(火)マリンメッセ福岡
8月14日(水)マリンメッセ福岡
https://radwimps-ticket.jp/