DJ和によるMIX CDシリーズ最新作『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』が2024年2月31日に発売される。今作は、80年代~90年代に社会現象となった”バンドブーム”にスポットを当てた作品となっており、この時代ならではの個性派揃いのロックバンドによる名曲が33曲収録されている。
革ジャン、レスポールでジャケットに登場しているのは、ロックファンとして知られ、自らも音楽活動を行っているフットボールアワーの後藤輝基だ。1974年生まれで、まさにバンドブームの渦中で多感な10代を過ごし、日本のロックが成熟していく過程を体感してきた世代である後藤に、音楽との出会い、バンドブーム期、そして最近の音楽シーンについて思うこと等、今作を巡る様々な話題について語ってもらった。
関連記事:フットボールアワー後藤が語る、本気の「ギター愛」
―『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』には80年代~90年代に発表されたバンドの楽曲が33曲収録されていますが、聴いてみていかがでしたか?
『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』のジャケットに登場している後藤輝基
後藤:いやもう、いわゆるドンピシャ世代というか、こういう曲を聴いて育ってきましたね。もちろん、高校生の頃とかはこういうメジャーシーンのロックとは違うものを聴くようになったりしますけど、やっぱり街に溢れているのはこういうロックですから。どのバンドも聴いてましたし、このCDにも特に好きなものもあります。
―以前のローリングストーンジャパンの取材で、ギターを始めたきっかけはお父さまの影響とおっしゃっていましたが、音楽自体を聴くようになったきっかけは何だったんですか。
後藤:やっぱり、親父、お母さん、姉ちゃん(2人)といった家族の影響で、音楽を聴くというか強制的に聴かされる、見せられるっていう感じでした。親父が常に機嫌が悪い人で、機嫌の良い日だけクラシックギターを弾いてるギターの音が親父の部屋から流れてきたという影響もありましたし、当時の家って1人1台テレビがあるわけじゃなくて、所謂お茶の間、リビングにテレビが置いてあってそれのチャンネルの取り合いなんです。親父は親父用のテレビがありましたけど、残りの家族は4人で、その1台のテレビでやりくりするんですけど、うちの姉ちゃんは歌番組か漫才番組しか見なかったんですよ。僕は「アニメが見たいな」と思ってても、姉ちゃんが夕方になると漫才を見て、夜になると歌番組を見る。当時、音楽番組ってすごく多かったから、この時間帯はこっちのチャンネル、この時間帯はこっちみたいな感じで、それを姉ちゃんの横で見てたっていうのは、だいぶ影響はあると思います。うちは姉が2人いるんですけど、上の姉ちゃんは歌が好きで、浜田麻里さんとかオフコースとか松任谷由実さんの曲を歌ってる姉ちゃんの声が部屋からよく聴こえてきたんです。
―ハードロック、ジャパメタブームの時期ですね。
後藤:そう、ハードロック。そこからPVがブームになって、80年代のアメリカやイギリスのミュージック・シーンがそのままお茶の間に流れてくる時代になって、姉ちゃんがよく洋楽を聴いていたんですよ。ボン・ジョヴィ、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、シンディ・ローパー、マイケル・ジャクソンとか、あの時代ですよね。その影響はだいぶデカいですよ。
―今回の選曲ラインナップの中にも、お姉さんの影響で聴いた覚えがある曲もあります?
後藤:いや、この頃はもっと大人になってます。僕がもう個人的に音楽を聴き出している時代、あるいはお笑いの世界に入るまでのちょうど間ぐらいのラインナップですね。
―この中で一番好きなバンドは、やはりBLANKEY JET CITY(以下・ブランキー)だと思いますが、他に思い入れのあるのはどんなバンドでしょうか。
後藤:バンドブームっていうところで言うと、ジュンスカ(JUN SKY WALKER(S))、BUCK-TICKとか、ここには入ってないですけどBOØWYとかはみんなが聴いてましたからね。そういうバンドブームの人たちをワーッと聴いている中で、尾崎(豊)派がいたりして、「じゃあ俺は長渕剛を聴こう」ってなったりとか、そんな感じでした。でもやっぱり、こういうバンドの曲は普通に聴こえてきて耳に入ってくる時代でしたから、どれも聴いてましたね。
―当時、バンドブームの影響ってどんなところにありましたか?
後藤:「おまえ、ちょっと前まで超合金のおもちゃ欲しい言うてたんちゃうんか!?」いうやつが、急にエレキギターを買ったりして、なんやそれ?みたいな。みんなバイトを始めて何を買うんだっていったらギターやったんですよね、あの時代。何かを自分の趣味にしたいっていう域は超えてましたよね。それで特に目立つでもない普通のやつが文化祭を機にヒーローになれるみたいな、そういう不思議な道具でしたね。僕は、家に親父のクラシックギターと親戚のおっちゃんの東海のチェリーサンバーストのレスポールがあったので、それを両方弾いてました。でもアンプがないから結局小さい音でエレキギターをべろんべろん鳴らすみたいな感じでしたけどね。
―バンドを組んで文化祭に出たりはしなかったですか。
後藤:ちょっとバンドブームとは時系列が離れてるかもしれないですけど、高校のときにはそれこそ軽音楽部が視聴覚室でライブを開催して、女の子はみんなバーッと観に行くんですよ。自分もギターが弾けるけど、バンドを組んでなくて聴いてるのは長渕剛。「なんや、あっちばっかり目立ちやがって。よし、わかった」と思って、高2のときに1カ月半バイトしてヤマハAPX-10Sっていうエレアコを買って、文化祭のときにかたや視聴覚室では軽音楽部がキャーキャー言われている中、僕は廊下でギターとハーモニカで弾き語りをしたのを覚えてます。
―バンドブームというと、必ず話題に出るのが「イカ天」(三宅裕司のいかすバンド天国)ですが、後藤さんはご覧になったことありましたか?
後藤:僕の記憶では、「いか天」って関西ではやってなかったんですよ。
―そういったバンドを掘り下げて聴くことで、より音楽の世界が広がったというか。
後藤:例えばSCANCHがグラムロックであるっていうこと自体、14歳の頃には最初はわからないんです。でも、『ダウンタウンのごっつええ感じ』の主題歌「恋のマジックポーション」を歌っているSCANCHというバンドがカッコイイらしい、なんだあの見た目は?っていうところから、グラムロックというジャンルがあってデヴィッド・ボウイがいてT-REXがいて……とか、そうやって音楽をぐっと遡って知っていくことになった覚えはすごくありますね。
―SCANCHをはじめ、本当に個性的なバンドばかり並んでますけど、中盤の、シャ乱Qからモダンチョキチョキズ、BAKU、LÄ-PPISCH、GO-BANG'S、爆風スランプあたりはより個性が際立ったバンドのコーナーになっています。
後藤:こうして見てみると、所謂Jロックって呼ばれていても、後にメジャーシーンのヒットチャートにグーンと入っていくシャ乱Qみたいな人たちと、自分たちの音楽により傾いて活動を続けていく人たちに分かれていくような気がしますね。ジッタリン・ジンも数年前にライブをやってる動画を観ましたし、THE MODSなんかはこの中ではだいぶ先輩バンドだと思うんですけど、活動してますし。曲順も時系列もごちゃごちゃになってるから面白いですよね。
―バンド解散後に別の活動をしている人も多いですもんね。この中だとBAKUの車谷浩司さんがAIR名義でソロデビューしたり。
後藤:AIRさんは確か岩尾(望)が仲良かったですよ。あいつね、僕より全然ミュージシャンの知り合い多いんですよ。アーティストの結婚式で歌ってくれって言われて、ACIDMANの演奏で何かを歌うみたいな。「どんなんやねんそれ!」って。
―ええ~! すごいことやってますね。
後藤:そうなんですよ。だから、このジャケット岩尾でもよかったんちゃうかなって(笑)。
―いやいやいや(笑)。岩尾さんとは音楽の話もしますか?
後藤:そうですね、相方も音楽はすごく好きなので。ジャンルは自分と重なる部分がブランキーぐらいですけど、このアルバムの曲は同時期に通ってきてますね。
―80年代から90年代って、音楽にしても漫才にしても、すごくテンポが速くなったり言葉選びが鋭くなっていった時代の変革期だと思うんです。そういう時代から受けた影響ってあると思いますか。
後藤:当時の音楽の歌詞とか歌い方が、僕の芸人としてのところに影響として出ているかはわからないです。ただ、僕が子どもの頃に見ていた歌番組のそれとはまったく違って、今思えば時代が変わっていくところに追いついたり、追い越したり、追い越されたりとかっていう感覚はあったかもしれないです。それが今、我々もある程度の年齢になっていろんなものが流行ったりいろんなものがなくなっていったり、いろんな後輩が出てきたりとかっていうところと似ているかもしれないですね。でもやっぱり一番の影響っていうのはメジャーシーンにあらゆるジャンルの音楽が出てきたっていうことじゃないですかね。「音楽ってロックとかフォークだけちゃうの?」「ロックってそんなに細分化されてんの?」みたいなことを教えてくれた時代かなと思います。
―歌番組でも80年代頭ぐらいまでは、演歌、歌謡曲、アイドルっていう感じだったのが、こういうバンドのいろんな音楽が混ざってきたことで、変わりましたよね。
後藤:そうなんですよね。それこそC-C-Bの「Romanticが止まらない」みたいなポップスもそうですよね。今まで見てた「夜のヒットスタジオ」で後ろのおっちゃんが弾いてるドラムと明らかに違う、薄っぺらい板を叩いてポンポン鳴ってて、「なんやあれ」みたいな。そういう文化が入ってきたり、一方でこのアルバムに入ってるようなロックバンドがごっついドラムをバーン!と派手に叩いてかっこいいみたいな、シンプルでわかりやすい衝撃っていうのはありましたね。
―歌謡曲のバックって、指揮者がいるオーケストラが演奏していましたからね。
後藤:そうそう。白いスーツを着たおじさんが自分の出番を待ってるみたいな。なんか、”音楽って勝手に流れてくるもん”だと思ってたんですよ。アイドルの子が、「はいどうぞ」って言われて、スモークがバーンって出て音楽が始まって、ステップを踏んで歌い出すみたいな、勝手に流れてくるもんやっていうね。でも、バンドの人たちを見ていたら、”自分で自分の好きな音を鳴らす”っていうイメージを持ったんですよね。そういうバンドを見て、「この人はどんな音楽が好きなんだろう」って掘り下げて聴いたりとか。聖飢魔Ⅱを聴いてたら、姉ちゃんに「この人たちはキッスというバンドをモチーフにしてるんだよ」って教えてもらって、「そうなんや!?」と思って雑誌でキッスのジャケットを見たりレコードを聴いたり。でも、我々の時代はそこで終わっていたんですよ。今はそこからYouTubeでキッスの70年代のライブの模様とか見れるわけでしょ? うらやましいですよ。僕らはそうはいかなくて、どこかで止まっていたから、マジでうらやましい。
―インターネットが最初からある世代とは全然違いますよね。実際、当時はどうやって音楽を掘り下げていたんですか。
後藤:ほんまに、近所の阪急淡路駅の横にあったレンタルCDショップだけです。もうそこだけが僕のアーカイブというか(笑)。そこにあるものが全てですから、そこに目当てのものがなかったら、僕の耳にはもう入ることがないっていう、すごく狭い中で音楽を聴いてたんですよ。ほんまに音楽好きな人は、繁華街の路地にあるレコードショップに行って、海外のどんなジャンルかわからんレコードをジャケ買いして掘り下げていくと思うんですけど、僕はそこまで行ってなかったので、阪急淡路駅横のレンタルCDショップが僕の音源のすべてでした。今はYouTubeでめちゃくちゃ見てますけど。
―今はどんな音楽嗜好になってるんですか?
後藤:僕はほんまに好きなジャンルが狭いんですよ。70年代~80年代の音楽に詳しいんですよねってよく言われるんですけど、全然詳しくないんです。ただ、この人とこの人とこの人は聴きまくったっていうのがあるだけで。今はうちの子どもが「うっせぇわ」とか言ってて「何それ?」「えっ知らんの?」って教えてもらってAdoを聴いてみたり、「アーニャって何?」って聞いて『SPY×FAMILY』を知って「ミックスナッツ」(Official髭男dism)を聴いたりとか。あとはApple Musicで東京のTOPランキングとかをかけるようにしています。そうすると「かっこいいな」っていうアーティストはいっぱいますね。
―最近注目してる人とかいますか?
後藤:いやもう、ベタですけど、それこそ髭男もすげえなと思うし、藤井風君とか、「かっこええなあ」と思いますね。80年代90年代のロックバンドとだいぶ違いますけど、「そんな声張らへんの?」みたいなね。ささやいてささやいて、1曲終わっていくでみたいな。僕らなんかほんまにもう、コード6つあったら曲できるやんみたいな世界ですから。エレキギターもパワーコードでええやんけみたいな。でも今、普通のメジャーコードで、「俺はお前のことが~」とか歌ってる奴の方が少ないでしょう?最近はジャズコードが普通に使われてて、コード進行も複雑な構成ですごいなって。でも他を聴いてみると、「あ、これが流行りなんや」みたいな、ちょっと残念な気がしたりもします。
―残念というのは?
後藤:「すげえ! こんな音楽やってる人おんねや!」と思って、他の人を聴いてみたら、結構みんながやってるみたいな。「流行りやったんかい!」みたいなのはちょっとありますけどね。
―そこはこのアルバムとは対極な感じですね。同じ時代のバンドでも、みんな音楽性はバラバラですもんね。
後藤:対極かもしれないですね。ジャンルの幅広さというのはすごくあると思います。
―このアルバムには、大人になってあまり音楽を聴かなくなった40~60代の世代と同時に、10~30代の若い世代にも届けたいというコンセプトがあるそうですが、後藤さんはどんな人たちに聴いてもらいたいですか。
後藤:やっぱり、若い人に聴いてほしいなというのはありますね。「懐かしいなあ」で終わらせるには、もったいない曲が多いというか。最近の曲は、極力イントロが少なくて、いきなりサビから入る曲の方がキャッチーやからみんな聴くっていいますけど、良い曲やったらそれもいいと思うんですよ。なんや、「俺らのときはイントロ聴いただけで、”あの名曲や”ってわかったもんやで」っていうおっさんの話、うるさいじゃないすか? 「おまえ、それしか知らんやんけ」っていう(笑)。当時の音楽も今の音楽も両方ある程度聴いた人間からすると、「いやこっちはこっちでええで」って思いますし、今は曲を飛ばして聴いていくような時代ではありますけど、このアルバムは曲がぜんぶ繋がってるから、若い人には「じっとしててもちゃんと次の曲に入れ替わるから聴いといたら」って思います。今もミュージシャンっていろんなジャンルの人がいっぱいいて、表現場所もYouTubeとか多岐にわたると思いますけど、当時はライブハウスでライブをやるか、大きい会場でコンサートをやるか、音楽番組もメジャーどころかU局でやってるマイナーな音楽番組かぐらいしか表現する場がなかったと思うんです。その中で、これだけたくさんのバンドがしのぎを削っていたわけですよね。そこで頭を使って何とかみんなと同じじゃない表現方法で音楽をやりたい、ただただ俺らが作る音楽を聴いて欲しいっていう熱い思いが、この作品には入っていると思います。だから若い人にも、是非聴いてみてもらいたいですね。
<リリース情報>
『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』
2024年1月31日(水)発売
CD通常盤 / AICL-4500 / 定価2200円(税込)
全33曲収録
購入はコチラ:https://smar.lnk.to/ixcYSB
=収録曲=
1. ZIGGY「GLORIA」(1988年)
2. LINDBERG「今すぐKiss Me」(1990年)
3. PERSONZ「Dear Friends」(1989年)
4. JUN SKY WALKER(S)「歩いていこう」(1989年)
5. BUCK-TICK「惡の華」(1990年)
6. JUDY AND MARY「Over Drive」(1995年)
7. SIAM SHADE「1/3の純情な感情」(1997年)
8. THE YELLOW MONKEY「LOVE LOVE SHOW」(1997年)
9. L'Arc~en~Ciel「HEAVEN'S DRIVE - Remastered 2022」(1999年)
10. TRICERATOPS「GOING TO THE MOON」(1999年)
11. 真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」(1996年)
12. COMPLEX「BE MY BABY」(1989年)
13. シャ乱Q「ズルい女」(1995年)
14. モダンチョキチョキズ「ジャングル日和」(1993年)
15. BAKU「ぞうきん」(1991年)
16. LÄ-PPISCH「パヤパヤ」(1987年)
17. GO-BANG'S「あいにきてI・NEED・YOU!」(1989年)
18. 爆風スランプ「リゾ・ラバ -resort lovers-」(1989年)
19. SHOW-YA「限界LOVERS」(1989年)
20. 聖飢魔Ⅱ「FIRE AFTER FIRE」(1986年)
21. 筋肉少女帯「踊るダメ人間」(1991年)
22. THE MODS「激しい雨が」(1983年)
23. REBECCA「フレンズ」(1985年)
24. PINK SAPPHIRE「P.S. I LOVE YOU」(1990年)
25. FLYING KIDS「幸せであるように」(1990年)
26. ECHOES「ZOO (Single Version)」(1989年)
27. SCANCH「恋のマジックポーション」(1991年)
28. カステラ「ビデオ買ってよ」(1989年)
29. ジッタリン・ジン「プレゼント (Album Version)」(1990年)
30. アンジー「天井裏から愛を込めて (シングルバージョン)」(1988年)
31. BLANKEY JET CITY「赤いタンバリン」(1998年)
32. UNICORN「大迷惑 (シングル・ヴァージョン)」(1989年)
33. X「紅」(1989年)
official HP https://www.j-popper.jp/
革ジャン、レスポールでジャケットに登場しているのは、ロックファンとして知られ、自らも音楽活動を行っているフットボールアワーの後藤輝基だ。1974年生まれで、まさにバンドブームの渦中で多感な10代を過ごし、日本のロックが成熟していく過程を体感してきた世代である後藤に、音楽との出会い、バンドブーム期、そして最近の音楽シーンについて思うこと等、今作を巡る様々な話題について語ってもらった。
関連記事:フットボールアワー後藤が語る、本気の「ギター愛」
―『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』には80年代~90年代に発表されたバンドの楽曲が33曲収録されていますが、聴いてみていかがでしたか?
『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』のジャケットに登場している後藤輝基
後藤:いやもう、いわゆるドンピシャ世代というか、こういう曲を聴いて育ってきましたね。もちろん、高校生の頃とかはこういうメジャーシーンのロックとは違うものを聴くようになったりしますけど、やっぱり街に溢れているのはこういうロックですから。どのバンドも聴いてましたし、このCDにも特に好きなものもあります。
―以前のローリングストーンジャパンの取材で、ギターを始めたきっかけはお父さまの影響とおっしゃっていましたが、音楽自体を聴くようになったきっかけは何だったんですか。
後藤:やっぱり、親父、お母さん、姉ちゃん(2人)といった家族の影響で、音楽を聴くというか強制的に聴かされる、見せられるっていう感じでした。親父が常に機嫌が悪い人で、機嫌の良い日だけクラシックギターを弾いてるギターの音が親父の部屋から流れてきたという影響もありましたし、当時の家って1人1台テレビがあるわけじゃなくて、所謂お茶の間、リビングにテレビが置いてあってそれのチャンネルの取り合いなんです。親父は親父用のテレビがありましたけど、残りの家族は4人で、その1台のテレビでやりくりするんですけど、うちの姉ちゃんは歌番組か漫才番組しか見なかったんですよ。僕は「アニメが見たいな」と思ってても、姉ちゃんが夕方になると漫才を見て、夜になると歌番組を見る。当時、音楽番組ってすごく多かったから、この時間帯はこっちのチャンネル、この時間帯はこっちみたいな感じで、それを姉ちゃんの横で見てたっていうのは、だいぶ影響はあると思います。うちは姉が2人いるんですけど、上の姉ちゃんは歌が好きで、浜田麻里さんとかオフコースとか松任谷由実さんの曲を歌ってる姉ちゃんの声が部屋からよく聴こえてきたんです。
そこからちょっと年齢が上がると、この間までオフコースが流れていたのに、急にラウドネスが流れてくるようになって(笑)。
―ハードロック、ジャパメタブームの時期ですね。
後藤:そう、ハードロック。そこからPVがブームになって、80年代のアメリカやイギリスのミュージック・シーンがそのままお茶の間に流れてくる時代になって、姉ちゃんがよく洋楽を聴いていたんですよ。ボン・ジョヴィ、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、シンディ・ローパー、マイケル・ジャクソンとか、あの時代ですよね。その影響はだいぶデカいですよ。
―今回の選曲ラインナップの中にも、お姉さんの影響で聴いた覚えがある曲もあります?
後藤:いや、この頃はもっと大人になってます。僕がもう個人的に音楽を聴き出している時代、あるいはお笑いの世界に入るまでのちょうど間ぐらいのラインナップですね。
―この中で一番好きなバンドは、やはりBLANKEY JET CITY(以下・ブランキー)だと思いますが、他に思い入れのあるのはどんなバンドでしょうか。
後藤:バンドブームっていうところで言うと、ジュンスカ(JUN SKY WALKER(S))、BUCK-TICKとか、ここには入ってないですけどBOØWYとかはみんなが聴いてましたからね。そういうバンドブームの人たちをワーッと聴いている中で、尾崎(豊)派がいたりして、「じゃあ俺は長渕剛を聴こう」ってなったりとか、そんな感じでした。でもやっぱり、こういうバンドの曲は普通に聴こえてきて耳に入ってくる時代でしたから、どれも聴いてましたね。
―当時、バンドブームの影響ってどんなところにありましたか?
後藤:「おまえ、ちょっと前まで超合金のおもちゃ欲しい言うてたんちゃうんか!?」いうやつが、急にエレキギターを買ったりして、なんやそれ?みたいな。みんなバイトを始めて何を買うんだっていったらギターやったんですよね、あの時代。何かを自分の趣味にしたいっていう域は超えてましたよね。それで特に目立つでもない普通のやつが文化祭を機にヒーローになれるみたいな、そういう不思議な道具でしたね。僕は、家に親父のクラシックギターと親戚のおっちゃんの東海のチェリーサンバーストのレスポールがあったので、それを両方弾いてました。でもアンプがないから結局小さい音でエレキギターをべろんべろん鳴らすみたいな感じでしたけどね。
―バンドを組んで文化祭に出たりはしなかったですか。
後藤:ちょっとバンドブームとは時系列が離れてるかもしれないですけど、高校のときにはそれこそ軽音楽部が視聴覚室でライブを開催して、女の子はみんなバーッと観に行くんですよ。自分もギターが弾けるけど、バンドを組んでなくて聴いてるのは長渕剛。「なんや、あっちばっかり目立ちやがって。よし、わかった」と思って、高2のときに1カ月半バイトしてヤマハAPX-10Sっていうエレアコを買って、文化祭のときにかたや視聴覚室では軽音楽部がキャーキャー言われている中、僕は廊下でギターとハーモニカで弾き語りをしたのを覚えてます。
―バンドブームというと、必ず話題に出るのが「イカ天」(三宅裕司のいかすバンド天国)ですが、後藤さんはご覧になったことありましたか?
後藤:僕の記憶では、「いか天」って関西ではやってなかったんですよ。
あるいはU局(サンテレビなど)で無茶苦茶夜中に、何週も遅れて流れるとかそんなレベルで、あんまり届いてなかったです。要は、(イカ天出身バンドは)もういきなりメジャーシーンにいる人たちっていう感じのイメージでした。だからブランキーもスペースシャワーTVで初めて観ましたし、「イカ天」出身だったんだっていうのは後に知りました。でもこの時代ってメジャーシーンでありながら、それこそLÄ-PPISCHみたいな今まで聴いたことのなかったような音楽をやるバンドが出てきましたよね。それとかアンジーみたいな、ほんまにロック、パンク好きでピストルズとかUKの音楽から影響を受けてるバンドって、よっぽどの音楽好きじゃないですか? だからこういうバンドを聴くことで、みんないろんな音楽を知るようになっていったと思うんですよ。
―そういったバンドを掘り下げて聴くことで、より音楽の世界が広がったというか。
後藤:例えばSCANCHがグラムロックであるっていうこと自体、14歳の頃には最初はわからないんです。でも、『ダウンタウンのごっつええ感じ』の主題歌「恋のマジックポーション」を歌っているSCANCHというバンドがカッコイイらしい、なんだあの見た目は?っていうところから、グラムロックというジャンルがあってデヴィッド・ボウイがいてT-REXがいて……とか、そうやって音楽をぐっと遡って知っていくことになった覚えはすごくありますね。
―SCANCHをはじめ、本当に個性的なバンドばかり並んでますけど、中盤の、シャ乱Qからモダンチョキチョキズ、BAKU、LÄ-PPISCH、GO-BANG'S、爆風スランプあたりはより個性が際立ったバンドのコーナーになっています。
後藤:こうして見てみると、所謂Jロックって呼ばれていても、後にメジャーシーンのヒットチャートにグーンと入っていくシャ乱Qみたいな人たちと、自分たちの音楽により傾いて活動を続けていく人たちに分かれていくような気がしますね。ジッタリン・ジンも数年前にライブをやってる動画を観ましたし、THE MODSなんかはこの中ではだいぶ先輩バンドだと思うんですけど、活動してますし。曲順も時系列もごちゃごちゃになってるから面白いですよね。
僕が当時見てたスペースシャワーTVの申し子のようなTRICERATOPSの「GOING TO THE MOON」なんかは、当時流れまくってましたから、その辺の思い出もあります。真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」も歌というよりスペースシャワーTV で流れていたPVのイメージがすごくありますね。モダンチョキチョキズは、「なんやこのバンド!?」みたいな(笑)。僕らが大阪で仕事し出して、頑張らなあかん言うて一生懸命劇場からテレビにやっと出れた頃に、一緒に仕事してるディレクターさんと喋ってたら音楽の話になって、「いやじつは僕、モダンチョキチョキズにおったんですよ」って言われて。「何それ、どんな経歴やねん!?」みたいなこともありました(笑)。
―バンド解散後に別の活動をしている人も多いですもんね。この中だとBAKUの車谷浩司さんがAIR名義でソロデビューしたり。
後藤:AIRさんは確か岩尾(望)が仲良かったですよ。あいつね、僕より全然ミュージシャンの知り合い多いんですよ。アーティストの結婚式で歌ってくれって言われて、ACIDMANの演奏で何かを歌うみたいな。「どんなんやねんそれ!」って。
―ええ~! すごいことやってますね。
後藤:そうなんですよ。だから、このジャケット岩尾でもよかったんちゃうかなって(笑)。
―いやいやいや(笑)。岩尾さんとは音楽の話もしますか?
後藤:そうですね、相方も音楽はすごく好きなので。ジャンルは自分と重なる部分がブランキーぐらいですけど、このアルバムの曲は同時期に通ってきてますね。
―80年代から90年代って、音楽にしても漫才にしても、すごくテンポが速くなったり言葉選びが鋭くなっていった時代の変革期だと思うんです。そういう時代から受けた影響ってあると思いますか。
後藤:当時の音楽の歌詞とか歌い方が、僕の芸人としてのところに影響として出ているかはわからないです。ただ、僕が子どもの頃に見ていた歌番組のそれとはまったく違って、今思えば時代が変わっていくところに追いついたり、追い越したり、追い越されたりとかっていう感覚はあったかもしれないです。それが今、我々もある程度の年齢になっていろんなものが流行ったりいろんなものがなくなっていったり、いろんな後輩が出てきたりとかっていうところと似ているかもしれないですね。でもやっぱり一番の影響っていうのはメジャーシーンにあらゆるジャンルの音楽が出てきたっていうことじゃないですかね。「音楽ってロックとかフォークだけちゃうの?」「ロックってそんなに細分化されてんの?」みたいなことを教えてくれた時代かなと思います。
バンドって3ピースでも4人でも良いし、モダンチョキチョキズみたいにいっぱいいてもいいんだよみたいな。
―歌番組でも80年代頭ぐらいまでは、演歌、歌謡曲、アイドルっていう感じだったのが、こういうバンドのいろんな音楽が混ざってきたことで、変わりましたよね。
後藤:そうなんですよね。それこそC-C-Bの「Romanticが止まらない」みたいなポップスもそうですよね。今まで見てた「夜のヒットスタジオ」で後ろのおっちゃんが弾いてるドラムと明らかに違う、薄っぺらい板を叩いてポンポン鳴ってて、「なんやあれ」みたいな。そういう文化が入ってきたり、一方でこのアルバムに入ってるようなロックバンドがごっついドラムをバーン!と派手に叩いてかっこいいみたいな、シンプルでわかりやすい衝撃っていうのはありましたね。
―歌謡曲のバックって、指揮者がいるオーケストラが演奏していましたからね。
後藤:そうそう。白いスーツを着たおじさんが自分の出番を待ってるみたいな。なんか、”音楽って勝手に流れてくるもん”だと思ってたんですよ。アイドルの子が、「はいどうぞ」って言われて、スモークがバーンって出て音楽が始まって、ステップを踏んで歌い出すみたいな、勝手に流れてくるもんやっていうね。でも、バンドの人たちを見ていたら、”自分で自分の好きな音を鳴らす”っていうイメージを持ったんですよね。そういうバンドを見て、「この人はどんな音楽が好きなんだろう」って掘り下げて聴いたりとか。聖飢魔Ⅱを聴いてたら、姉ちゃんに「この人たちはキッスというバンドをモチーフにしてるんだよ」って教えてもらって、「そうなんや!?」と思って雑誌でキッスのジャケットを見たりレコードを聴いたり。でも、我々の時代はそこで終わっていたんですよ。今はそこからYouTubeでキッスの70年代のライブの模様とか見れるわけでしょ? うらやましいですよ。僕らはそうはいかなくて、どこかで止まっていたから、マジでうらやましい。
―インターネットが最初からある世代とは全然違いますよね。実際、当時はどうやって音楽を掘り下げていたんですか。
後藤:ほんまに、近所の阪急淡路駅の横にあったレンタルCDショップだけです。もうそこだけが僕のアーカイブというか(笑)。そこにあるものが全てですから、そこに目当てのものがなかったら、僕の耳にはもう入ることがないっていう、すごく狭い中で音楽を聴いてたんですよ。ほんまに音楽好きな人は、繁華街の路地にあるレコードショップに行って、海外のどんなジャンルかわからんレコードをジャケ買いして掘り下げていくと思うんですけど、僕はそこまで行ってなかったので、阪急淡路駅横のレンタルCDショップが僕の音源のすべてでした。今はYouTubeでめちゃくちゃ見てますけど。
―今はどんな音楽嗜好になってるんですか?
後藤:僕はほんまに好きなジャンルが狭いんですよ。70年代~80年代の音楽に詳しいんですよねってよく言われるんですけど、全然詳しくないんです。ただ、この人とこの人とこの人は聴きまくったっていうのがあるだけで。今はうちの子どもが「うっせぇわ」とか言ってて「何それ?」「えっ知らんの?」って教えてもらってAdoを聴いてみたり、「アーニャって何?」って聞いて『SPY×FAMILY』を知って「ミックスナッツ」(Official髭男dism)を聴いたりとか。あとはApple Musicで東京のTOPランキングとかをかけるようにしています。そうすると「かっこいいな」っていうアーティストはいっぱいますね。
―最近注目してる人とかいますか?
後藤:いやもう、ベタですけど、それこそ髭男もすげえなと思うし、藤井風君とか、「かっこええなあ」と思いますね。80年代90年代のロックバンドとだいぶ違いますけど、「そんな声張らへんの?」みたいなね。ささやいてささやいて、1曲終わっていくでみたいな。僕らなんかほんまにもう、コード6つあったら曲できるやんみたいな世界ですから。エレキギターもパワーコードでええやんけみたいな。でも今、普通のメジャーコードで、「俺はお前のことが~」とか歌ってる奴の方が少ないでしょう?最近はジャズコードが普通に使われてて、コード進行も複雑な構成ですごいなって。でも他を聴いてみると、「あ、これが流行りなんや」みたいな、ちょっと残念な気がしたりもします。
―残念というのは?
後藤:「すげえ! こんな音楽やってる人おんねや!」と思って、他の人を聴いてみたら、結構みんながやってるみたいな。「流行りやったんかい!」みたいなのはちょっとありますけどね。
―そこはこのアルバムとは対極な感じですね。同じ時代のバンドでも、みんな音楽性はバラバラですもんね。
後藤:対極かもしれないですね。ジャンルの幅広さというのはすごくあると思います。
―このアルバムには、大人になってあまり音楽を聴かなくなった40~60代の世代と同時に、10~30代の若い世代にも届けたいというコンセプトがあるそうですが、後藤さんはどんな人たちに聴いてもらいたいですか。
後藤:やっぱり、若い人に聴いてほしいなというのはありますね。「懐かしいなあ」で終わらせるには、もったいない曲が多いというか。最近の曲は、極力イントロが少なくて、いきなりサビから入る曲の方がキャッチーやからみんな聴くっていいますけど、良い曲やったらそれもいいと思うんですよ。なんや、「俺らのときはイントロ聴いただけで、”あの名曲や”ってわかったもんやで」っていうおっさんの話、うるさいじゃないすか? 「おまえ、それしか知らんやんけ」っていう(笑)。当時の音楽も今の音楽も両方ある程度聴いた人間からすると、「いやこっちはこっちでええで」って思いますし、今は曲を飛ばして聴いていくような時代ではありますけど、このアルバムは曲がぜんぶ繋がってるから、若い人には「じっとしててもちゃんと次の曲に入れ替わるから聴いといたら」って思います。今もミュージシャンっていろんなジャンルの人がいっぱいいて、表現場所もYouTubeとか多岐にわたると思いますけど、当時はライブハウスでライブをやるか、大きい会場でコンサートをやるか、音楽番組もメジャーどころかU局でやってるマイナーな音楽番組かぐらいしか表現する場がなかったと思うんです。その中で、これだけたくさんのバンドがしのぎを削っていたわけですよね。そこで頭を使って何とかみんなと同じじゃない表現方法で音楽をやりたい、ただただ俺らが作る音楽を聴いて欲しいっていう熱い思いが、この作品には入っていると思います。だから若い人にも、是非聴いてみてもらいたいですね。
<リリース情報>
『俺のロック -このバンドに出会えてよかった- mixed by DJ和』
2024年1月31日(水)発売
CD通常盤 / AICL-4500 / 定価2200円(税込)
全33曲収録
購入はコチラ:https://smar.lnk.to/ixcYSB
=収録曲=
1. ZIGGY「GLORIA」(1988年)
2. LINDBERG「今すぐKiss Me」(1990年)
3. PERSONZ「Dear Friends」(1989年)
4. JUN SKY WALKER(S)「歩いていこう」(1989年)
5. BUCK-TICK「惡の華」(1990年)
6. JUDY AND MARY「Over Drive」(1995年)
7. SIAM SHADE「1/3の純情な感情」(1997年)
8. THE YELLOW MONKEY「LOVE LOVE SHOW」(1997年)
9. L'Arc~en~Ciel「HEAVEN'S DRIVE - Remastered 2022」(1999年)
10. TRICERATOPS「GOING TO THE MOON」(1999年)
11. 真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」(1996年)
12. COMPLEX「BE MY BABY」(1989年)
13. シャ乱Q「ズルい女」(1995年)
14. モダンチョキチョキズ「ジャングル日和」(1993年)
15. BAKU「ぞうきん」(1991年)
16. LÄ-PPISCH「パヤパヤ」(1987年)
17. GO-BANG'S「あいにきてI・NEED・YOU!」(1989年)
18. 爆風スランプ「リゾ・ラバ -resort lovers-」(1989年)
19. SHOW-YA「限界LOVERS」(1989年)
20. 聖飢魔Ⅱ「FIRE AFTER FIRE」(1986年)
21. 筋肉少女帯「踊るダメ人間」(1991年)
22. THE MODS「激しい雨が」(1983年)
23. REBECCA「フレンズ」(1985年)
24. PINK SAPPHIRE「P.S. I LOVE YOU」(1990年)
25. FLYING KIDS「幸せであるように」(1990年)
26. ECHOES「ZOO (Single Version)」(1989年)
27. SCANCH「恋のマジックポーション」(1991年)
28. カステラ「ビデオ買ってよ」(1989年)
29. ジッタリン・ジン「プレゼント (Album Version)」(1990年)
30. アンジー「天井裏から愛を込めて (シングルバージョン)」(1988年)
31. BLANKEY JET CITY「赤いタンバリン」(1998年)
32. UNICORN「大迷惑 (シングル・ヴァージョン)」(1989年)
33. X「紅」(1989年)
official HP https://www.j-popper.jp/
編集部おすすめ