シンガー・ソングライターのキャット・パワー(Cat Power)が、ボブ・ディランの伝説的な作品『The Real Royal Albert Hall 1966 Concert』を丸ごとカヴァーしたライヴ・アルバム『Cat Power Sings Dylan』。昨年11月にDominoから海外発表されたこのアルバムに、リリース当初から大きな賛辞を送っていたのが、ブロードキャスターのピーター・バラカン氏だ。


幼少期から青年期にかけてロックの黎明に立ち会い、長らくボブ・ディランを特別な存在として慕ってきた彼が、キャット・パワーによるカヴァー・アルバムをなぜそれほどまでに高く評価するのか。ようやく叶った日本盤の発売を記念し、今作の魅力からディランへの尽きせぬ思いまで、じっくりと語ってもらった。

ピーター・バラカンに聞く、キャット・パワーのボブ・ディラン再解釈を大絶賛する理由

ピーター・バラカン(Photo by Mitsuru Nishimura)

―本作の日本盤CDリリースは、ピーターさんのプッシュが大きなきっかけになったと伺いました。

バラカン:どうやらそうらしいですね(笑)。BEATINK(日本盤リリース元)が毎年年末に出している冊子に、このアルバムのことを書いたんですよ。「キャット・パワーのディランは予想をはるかに超える傑作です」と。
けど、その時点で日本盤は出ていなかったんですよね。どこのレコード会社も最近は国内盤の発売が減っているし、しょうがないことでもあるんだけど、この作品はもっと広く聴かれるべきだと思ったんです。

現地では去年の11月に出ているんだけど、発売時期がもう少し早ければ、先日のグラミー賞のノミネーションの対象になってもおかしくないと思います。もう、聴いた瞬間に「これはすごい!」って感激しましたから。

―キャット・パワーの活動はこれまでも追ってらっしゃったんですか?

バラカン:もちろん昔から知ってはいたんですけど、アルバムを全てきちんと追っているわけではなくて。この一つ前の『Covers』(2022年)っていうアルバムが好きでよく聴いていたんですけど、この『Cat Power Sings Dylan』で本格的に魅力に開眼しました。


―彼女は1990年代以降のオルタナティヴ・ロック~インディー・フォークの流れの中で登場してきたアーティストですが、その中でも60年代~70年代の音楽からの影響を特に強く感じさせる存在ですよね。

バラカン:そうですね。カヴァーの選曲からしても、明らかに沢山の過去の音楽を聴いていることがわかりますね。研究熱心っていうのかな。アメリカでは過去の音楽が日常的にかかるラジオ局がまだまだたくさんありますし、子どもの頃から家族のレコード・コレクションに触れる機会が多かったという人も多いと思います。けど、今回のアルバムみたいに、まるまるカヴァーしちゃうっていうのはやっぱり相当特殊ですよ。


―並々ならぬ気概を感じますね。

バラカン:けれどこの企画自体、ある意味で、彼女自身の思いつきによるものだったらしいです。発売のちょうど1年前にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたコンサートを収録しているんですけど、ディランのカヴァーをやってほしいという話が先にあったわけじゃなくて、アルバート・ホールでやると決まってからディランをカヴァーすることを思いついたみたいです。彼女にとって、「ロイヤル・アルバート・ホール」という会場自体が、あのディランのライヴ盤の存在と強く結びついていたようなんです。

―今となってはロック黎明期の神話そのものであるディランの『The Real Royal Albert Hall 1966 Concert』をまるまるカヴァーするというのは、普通なら恐れ多さ勝ってしまうようにも思うんですけど、そこを押して実現してしまったのがスゴいですね。

バラカン:そうですね。
自分なりの解釈を加えるというより、かなりストレートなカヴァーになっているんですね。それがかえって面白い。こういう風にカヴァーするとなると、成功するかどうかは彼女の歌の力にかかっているといえるわけだけど、あの独特の声のお陰ですごく上手くいっている。僕にとって心に残る歌っていうのは、聴いていると「このアーティストは人の痛みを分かっているな」と感じるものなんですけど、間違いなく彼女はそういう声を持っていますよね。それは、彼女自身が過去に辛い体験を経てきたことも関係しているんだと思いますけど、深みというか、切なさをすごく感じさせるんですよね。

―声の説得力ゆえに成り立っているパフォーマンスである、と。


バラカン:そう。ディランの曲って、女性を題材にしたものが多いじゃないですか。ここで歌われている曲だと、「She Belongs to Me」、「It's All Over Now, Baby Blue」、「Just Like a Woman」とか。そういう曲を女性が歌うと印象が全く変わってくるし、普通ならあまり女性がカヴァーすることのない曲だと思うんですけど、僕には意外なほどしっくりきたんですよね。ディランの場合は、あくまで相手の女性について歌っていたわけだけど、彼女が歌うと、彼女自身のことのように聞こえちゃうんです。まさに、『The Real Royal Albert Hall 1966 Concert』のセットリストをそのままカヴァーしたからこその面白さですね。


『Cat Power Sings Dylan』はオリジナルのコンサートと同様、セットの前半はアクースティック仕様、後半はバンドの助けを借りたエレクトリック仕様となっている

―しかし、改めてこのアルバムの曲目は名曲だらけですね。

バラカン:ディランがデビューしてからまだ4年位しか経っていないし、『Blonde on Blonde』が出たばかりの頃ですからね。1960年代半ばの名曲中の名曲のオン・パレード。逆にいえば、こういう企画じゃなければ、普通はこういうような選曲にはならないはずですよ。ディランの曲をまるまるカヴァーしているアルバムっていうのは結構沢山あるけど、大体1970年代以降の渋い曲を織り交ぜることが多いですから。そこからすると、このアルバムの曲は全部超有名。彼女くらいの強烈な個性、力量を持っていないと難しい試みだと思います。

―バック・バンドの演奏もかなりの聴きものですよね。

バラカン:そうですね。オリジナルの荒々しさはあまりなくて、もっと丁寧に演奏している印象ですね。派手さはないけれど、とってもいい演奏ですよ。バックがこれくらいしっかりしていたら彼女も安心して歌えますよね。飛び抜けて有名なメンバーはいないんだけど、みんなすごく上手い。

―こういう作品を聴くと、アメリカというのは本当にミュージシャンの層が厚いんだなとつくづく思わされます。

バラカン:それは本当にそう。各地方に有名無名関係なく優れたミュージシャンが山ほどいますから。こういう風に「1966年のディランのカヴァーを当時の演奏の雰囲気でやろう」となった時に、実際に出来てしまうっていうのがスゴいところで。

1966年、生で目撃したディランの思い出

―以前ピーターさんがディランについて書かれている文章を読んで知ったんですが、ピーターさんご自身、ディランの1966年英国ツアーをご覧になっているらしいですね。

バラカン:はい。僕は本物の方のアルバート・ホール公演を観ています。「本物の方」というのには理由があって、実は、ブートレッグ時代から有名な『The Real Royal Albert Hall 1966 Concert』は、アルバート・ホールでの演奏じゃなくて、実際はマンチェスターのフリー・トレード・センターでの演奏が収められたものなんですよね。当時のブートレッグ業者が「ロイヤル・アルバート・ホール」の方が通りがいいから意図的にそうタイトルをつけたという話のようです(笑)。

―生でご覧になって、どう思われましたか? 現在では、のちのザ・バンドのメンバーを従えた伝説的なツアーと言われていますが。

バラカン:あくまでディランのコンサートを観に来たという認識だったので、バック・バンドが誰だとかは全然意識していなかったんですよ(笑)。事前にこういう人たちとツアー・バンドを組んだとかそういう情報が流れてきたわけでもなかったし、関心すらなかった(笑)。そもそもあの頃は、バック・ミュージシャンに光があたるなんていうことはまずなかったですから。

―ザ・バンドもレコードデビュー前で、まだホークスと名乗っている時代ですしね。

バラカン:そう。もちろん、演奏自体は強烈でしたけど、「後世の歴史に残るすごいステージを観ているんだ」っていう意識は全然ない(笑)。まあ、その頃のアルバート・ホールは今みたいなコンサート用の設備もなかったから、ガンガンに音が回っていて、そんなによくない音響だったのも確かです。元々アンプを通した音を鳴らすための会場ではないですからね。音響面に限らず、演奏面でも僕が観た公演よりもフリー・トレード・センター公演の方が断然いいと思います。2017年に出たツアーの完全版ボックス・セット『The 1966 Live Recordings』で聴き比べてみてそう思いました。

本当のロイヤル・アルバート・ホール公演を収めた『The Real Royal Albert Hall 1966』(2016年リリース)

フリー・トレード・センター公演を収めた『The Bootleg Series, Vol. 4: Bob Dylan Live, 1966: The "Royal Albert Hall Concert"』

―このツアーの話になると、「旧来のフォーク・ファンからのブーイングが凄かった」というエピソードが必ずセットで語られますが、実際のところいかがでしたか?

バラカン:僕の記憶だと、ブーイングの声はそこまで酷いものじゃなかった気がします。僕自身、『Bringing It All Back Home』や『Highway 61 Revisited』のレコードを買って聴いていたし、エレクトリック・ギターを持ってバンドを従えていることにも全然抵抗がなかったですから。おそらくツアーを観に行った人の大半がそういう感覚だったはずです。だから、バンドを従えたコンサート後半でブーイングを浴びせたり「ユダ!」って叫んだ人っていうのは、前半のアクースティック・セットにしか興味のない、当時の基準からいっても相当に保守的なファンだったんでしょうね。

―今の世の中でもそうですけど、一部の人が発する難癖というのは、往々にして悪目立ちして実際の数より多く感じられたりしますからね。

バラカン:その通りですね。けど、多分ディラン自身も、あのツアーでは多くの人に受け入れられなかったといまでも思っているんじゃないかな。あのツアー中、ディランとロビー(・ロバートソン)が車の後部座席で呆れ返っている映像が残っていますよね。いくら一部の人間達によるブーイングだったとはいえ、連日浴びせられたらそりゃあ神経参っちゃいますよね。

ディランと『Cat Power Sings Dylan』が特別である理由

―そもそもピーターさんはディラン作品とはどのように出会ったんですか?

バラカン:ビートルズがラジオでディランを熱心に薦めているのを聴いて興味を持ったのが最初です。双方が出会ったのは1964年のことなので、その頃の話だと思います。当時僕はまだ12歳だったんですけど、あまりにビートルズが褒めるものだから、父親にねだってアルバムを買ってもらったんです。最初に手に入れたのは2ndアルバムの『The Freewheelin' Bob Dylan』でした。

―初めて聴いてみて、どうでしたか?

バラカン:そりゃあもう驚きました。それまでイギリスのポップなグループばっかり聴いていたのに、いきなりアクースティック・ギター一本の渋い弾き語りでしょ。当時のポップ・ミュージックの世界であんな歌い方をする人は一人もいませんでしたから。ウディ・ガスリーの存在なんてまだ全然知らないし、本物のブルーズにも触れる前だったから、とにかく衝撃でした。父親は、「せっかく金を出してやったのに、何だこの妙な歌は!」って怒っていましたけどね(笑)。僕はすぐにハマってしまって、それ以来新しいアルバムが出るごとに必ず買うようになりました。他にそんな存在はビートルズとローリング・ストーンズだけです。

ディランの曲は、歌詞の素晴らしさが語られることが多いけど、もちろんメロディーも素晴らしいんですよね。フォーク・ソングから拝借したすごくいいメロディーにあの言葉が乗るからこそ魅力的。まだ子供だから一部の政治的な歌の内容もちゃんと理解できていたわけじゃないんだけど、ライナー・ノーツを何度も読み返して、取り憑かれたように繰り返し聴いていました。

ピーター・バラカンに聞く、キャット・パワーのボブ・ディラン再解釈を大絶賛する理由

Photo by Mitsuru Nishimura

―そう考えると、ご自身にとってそれほどまでに特別な存在であるボブ・ディランを丸々カヴァーした今作『キャット・パワー・シングス・ディラン』をピーターさんが大絶賛するというのは、改めて並々ならぬことですね。

バラカン:はっきり言って、『Cat Power Sings Dylan』は、オリジナルのディランのパフォーマンスに引けを取らないほどの力作だと感じるし、数十年経ってもこのアルバムの価値は薄れないと思います。繰り返しになりますけど、入念な意図のもとに企画されたものだったら、こんないい内容になっていないと思うし、そもそも、実現しようとも思わなかったはずですよね。やっぱり、たまたまアルバート・ホールでやることになったということが上手く作用しているように思います。その偶然もまた素晴らしいですね。

米人気TV番組『The Tonight Show with Jimmy Fallon』にて、『Cat Power Sings Dylan』収録の「Like A Rolling Stone」カバーを披露

ピーター・バラカンに聞く、キャット・パワーのボブ・ディラン再解釈を大絶賛する理由

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