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―初来日は1998年ですが、その時のことは覚えていますか?
チノ もちろん。僕らの人生で最高の経験の一つだからね。日本はいつ行っても素晴らしい。文化的にも、世界の中でも大好きな場所の一つだ。バケーションで行くのも素晴らしいけど、ライブをやる時はスゴく特別な場所になるんだ。
―実は初来日の時もインタビューをしているのですが、その時はサッポロビールのロング缶の話で盛り上がっていましたよ。
チノ そうだったね。実は自分たちでもビールの会社を手がけていて、もう10年になるんだ。日本のビールからのインスピレーションで、2種類ぐらいビールを作っているよ。
―98年のインタビューで、あなたはアルバム『Around the Fur』のレコーディングの時、緊張やプレッシャーを忘れて、完全にリラックスした状態で歌うことができたと話しています。スタジオでその場でリリックを考えたとも話していますが、この時からすでにフリースタイルで歌っていたんですね。
チノ あの時は僕たちにとってスゴく重要な時期だった。今も個人的にも大好きなアルバムだし、音楽の深いところにも入っていくことができた。プレッシャーもなかったし、自信もあったし、若かったから、今という瞬間を生きている感じがした。あのレコーディングでは何か特別なものを捉えることができたと思えたんだ。ただ、あれ以来ずっと、ある種のプレッシャーは常にあった気がするんだよね。それは何ていうか、こう、上に乗っかってくる感じで、当時と同じではないんだ。あの頃みたいな、抑えられない感覚というか、ただ若くて、その瞬間をそのまま捉えているような気持ちとは違うんだ。
―初期の3枚のアルバムにしても、アルバムを出すたびにいつも違うアプローチで、スゴくフレッシュだったし、同時代の多くのバンドとは一線を画してきましたよね。
チノ 必ずしもそういうものがあったわけではないね。一番大きいのは、常に自分たち全員が楽しめる音楽を作るというのにこだわってきたことだと思う。だから曲作りを始める時も、「こういうタイプのレコードを作ろう」とか、そういう先入観を持ってスタジオに入ることは一度もなかった。とにかくまず音を出し始める。そして同じ部屋の中で、お互いに反応し合っていく。何かをつかみかけている時ってすぐにわかるんだよ。みんなの空気が少し軽くなって、気持ちが上がってくるから。そこで誰かがギターを弾いたり、ビートを叩いたりすると、スタジオにいる全員がそれを感じる。みんながそこに引き込まれていって、そこから土台を築き上げていく。もちろん行き詰まることだってよくあるし、後回しにすることだってある。僕たちはとにかく直感を信じて、全員に共通の理解があった上で、同じ方向を見て気分がいいと感じていると、いい流れに乗っているという感覚になるんだ。そうなると、それ以外のことは特に話し合ったりはしないんだよね。
30年以上続く、”友達のバンド”という土台
―元々友達同士で始めたデフトーンズというバンドが、30年以上続いていることに対しては、どういう思いがありますか?
チノ 僕たちはみんな子供の頃に出会って、高校でも一緒だった。ギタリストのステファン(・カーペンター)とは近所で10歳の時からの知り合いで、エイブ(・カニンガム)とは12歳の時に出会っている。僕たちは本当に恵まれていると思うね。もちろんチ・チェンのことも忘れちゃいけない。彼は13年前に亡くなってしまったけど、それを除けば僕たちはずっと一緒にやってきた。元々友達だったのが、このバンドの土台になっていて、僕たちをしっかり結びつけている。それが30年以上経った今でも、こうして続いている理由の一つなんじゃないかな。僕たちは最初から計画的に集まったバンドじゃないし、ただ友達とハングアウトしていただけなんだよ。ただ、エクスペリメントを続けながら、自分たちには何ができるのかというのを追求してきただけなんだ。
Photo by Clemente Ruiz
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―アルバムを出すたびに、前作を超える新しいクリエイティビティを打ち出してきましたよね。最新アルバムの『Private Music』では、ある意味、また新たなフェーズにたどり着いたように感じました。このアルバムでのバンドのクリエイティビティはどのような状態でしたか?
チノ 僕たちのキャリアの中にはスゴく難しい時期もあった。
―『Private Music』は制作に3年かかりましたが、その間ずっと制作を詰めていたわけではないんですよね。
チノ 普通に生活を送っていたし、メンバーには家族がいるし、住んでいる街もバラバラだ。それで毎月、1週間くらいみんなで集まって少し制作をやることにした。制作の後はそれぞれが家に帰って、また自分の生活を送る。そして翌月になったらまた戻ってきて、再開する。
―セッションをジョシュア・トゥリーでやったと聞きましたが、それもいいアイデアでしたね。
チノ そうそう。アルバムの前半はそこで曲を書いた。それで残りの半分は、カリフォルニアのマリブで書いた。だから場所としてはとても対照的なんだけど、いい組み合わせになった。ジョシュア・トゥリーの砂漠には本当に特別な何かがあってね。そこで書いた4~5曲は、その場所のムードをよく反映していると思うし、マリブで書いた曲にも同じことが言える。そうやって場所を分けて制作できたのは、本当にクールな体験になったと思う。
―前作『Ohms』は、2020年のリリースで、コロナ禍と重なったため、ツアーができなかったんですよね。『Ohms』と『Private Music』では、制作とリリースの状況が本当に大きく変わったと思いますが。
チノ あの時期はかなりきつかったよ。僕たちはそういう時期にアルバムを作っていたし、誰にとっても楽しい時間じゃなかった。とにかくスゴく混乱していたし、そのエネルギーの多くが、あのアルバムの曲作りに沈み込んでしまった気がする。だから、あのアルバムは何年経っても聴くのが本当に難しいんだ。まさにあの時代を映したものだと思うし、もちろんいい部分だってあるとは思うよ。一方で、『Private Music』の制作は、僕にとってスゴく活力を与えてくれる体験になった。ある意味、”目が覚める”ような感覚もあったし、『Ohms』というチャプターを後ろに置いていくような感覚もあった。
―今はツアー中ですが、これまでの反応はどうですか?
チノ 今は世界中を回っているけど、最高だよ。それに、これから日本に行くのが本当に楽しみなんだ。さっきも言ったけど、日本は僕たちが旅する場所の中でも、一番好きな場所の一つだからね。だからこれからツアーを締めくくっていく中で、今のところ、今年やる最後の公演が日本の予定になっている。そういう意味でも、本当に楽しみなんだ。
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―日本で印象に残っているライブはあります?
チノ 全部だよ。日本って、いつ行っても最高なんだ。それでもやっぱり最初に行った時のことは一番覚えているね。「みんなどうして僕たちのような小さなバンドを観に来てくれるんだろう?」って不思議だった。でも、日本でみんなから愛情とか憧れの気持ちを感じた時は、本当に最高だと思えた。他の場所では感じられないものがあったから、とにかく素晴らしい体験になったんだ。
―最近のセットリストをチェックしたのですが、いろいろなアルバムから曲を選んでいますよね。セットリストはいつもどうやって決めていますか?
チノ セットリストはちょっと難しいよね。特に今は10枚もアルバムがあるし、すべての人を満足させたくても、どうしてもいくつかは外さなきゃいけない曲が出てくる。「あの曲をやってくれなかった」とか言われるけど、努力はしているんだよ。だから、できるだけ多くのアルバムから曲を選ぶようにはしている。ただ、さっきも話したみたいに、例えば『Ohms』みたいなアルバムは、今の僕にとっては少し入り込むのが難しいんだ。あのアルバムからは1曲しかやっていないと思うし、最初のアルバム『Adrenaline』からも、1曲くらいしかやっていない。それでも、全体としてはできるだけ、いろいろな作品から少しずつ楽しめるようにはしているつもりだ。
―あるセットリストでは、アンコールのラスト曲が1stアルバム『Adrenaline』の曲「7 Words」でしたね。
チノ 理由はわからないけど、若い世代が『Adrenaline』と『Around the Fur』を見つけてくれて。この2枚は若い世代にスゴく人気があるアルバムなんだ。実は「7 Words」って、僕とエイブが16歳の時に書いた曲で、本当に最初期に作った曲の一つなんだよ。考えてみるとスゴいことだよね。だって、僕たちがティーンエイジャーの時に書いた曲で、ライブが終わるんだ。しかもその曲は、当時聴いていた僕たちと同世代の人たちにも届いているし、今の16歳の子たちともちゃんとつながっているわけだから。
若い世代が、自然に見つけてくれた
―若い世代はコロナ禍の時期にデフトーンズを発見したというイメージがあります。
チノ そうだね。SNSとかいろいろな要素があると思うけど、スゴく自然な流れの中で広がっていった感じがする。というのも、バンドのSNSアカウントはあるものの、それを使って自分たちを大々的に宣伝しているわけではないから。若い世代が僕たちを見つけて、友達の間でシェアし始めたところから広がっていった感じなんだ。そういえば、昔僕たちが若い時に好きだった音楽にしても、自分から自然に見つけたものの方が特別な感じになったからね。アーティストの方から、「ほら、これを見てくれ」って無理に押し出すよりも、友達から聞いたり、いろんなところで偶然出会ったりして知った方が、より特別なものになるんじゃないかな。
―若いファンが増えたという感覚は、コロナ禍明けにライブが再開した時に、実感した感じですか?
チノ そうだね。ライブでは明らかに若いファンが増えた。それに、今のファンはいろいろな人たちがミックスしている。昔からのファンが今は親になって、子供がティーンエイジャーだったりすることが多い。だから会場には、父親と娘とか、親子の組み合わせがけっこういるんだ。それから逆に、ファンの若い子が自分の親を連れてくることもある。親の方は、僕たちの名前くらいは聞いたことがあるかもしれないけど、ライブを観るのは初めてだったりする。だから、スゴく面白い雰囲気になるんだよ。
―若いファンが増えた理由については、ミート&グリートなどを通じて、わかった部分はあります?
チノ なかなかそれを簡単に説明するのは難しいね。もちろん僕たちは本当に感謝しているよ。ただ、どうしてそうなったのかについては、はっきりした説明ができない。僕たちはただ友達と一緒に音楽を作っていただけなのに、この30年以上の間に作ってきた音楽を、人々が一緒に好きになってくれているんだ。父親と娘がライブにいるのを見ると、親子を結びつけているのはこの音楽なんだなって思わされるよ。それは会場だけでなく、ミート&グリートでもそうだ。家族で一緒に来ている人たちを見ると、本当に特別なことだと思うし、僕たちがその一部になれているなら、とても光栄なことだと思うね。
―日本では、若いバンドがハードコアとシューゲイズやデフトーンズからの影響を融合して、「デフコア」って呼んでいたりしますよ。
チノ (笑)クールだね! シューゲイズという言葉は、僕たちの音楽を説明するのに使われることが多いんだけど、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやコクトー・ツインズといったバンドは、僕個人に大きなインスピレーションを与えてくれたバンドなんだ。だから、長い年月の中で、曲作りの中に少しはそういう要素を忍ばせてきた気がするよ。でも、人々が僕たちをシューゲイズと関係づけて語るようになるとは、正直まったく想像していなかったね。それが最近では、そういう話をよく耳にするようになった。若いバンドの中にも、シューゲイズの要素を取り入れているバンドが増えている気がするけど、素晴らしいことだと思うね。
―デフトーンズは初期から、シューゲイズやトリップホップのような空気感を持っていたと思います。
チノ その二つのジャンルは大好きだからね。だから、僕たちの音楽の中にもそういう要素は入っていると思う。僕たちは音楽を作る時に、「ここから先はダメ」とか「俺たちはこれしかやらない」とか、そういう壁を作ったことは一度もないんだ。僕たちは本当にいろんな音楽を聴いているし、いろんな音楽からの影響を受けている。もし、それがオーガニックな形で出てくるなら、それでいいんじゃないかと思うんだ。さっきも言ったけど、最初から「こういう曲を作らなきゃいけない」と決めているわけじゃないから。
―98年のインタビューでは、音楽に対してオープンなのは、スケートボードからの影響も大きいと話していました。
チノ それはあるね。僕たちが育った環境の中には、そういうものがすべてあった。それが成長していく段階で、音楽の好みとか、付き合う友達とか、そういうものを通して、「自分がどんな人間なのか」が形作られていく。自分が好きなもの、惹かれるもの、自然に引き寄せられるもの、そういうのがあって、その人は形作られていくんだ。それがアーティストとして何かを作るようになると、そういうすべての要素を自分のやっていることの中に入れていくようになって。それが自分の表現になるんだ。
―カバーアルバム『Covers』の曲を見ると、デュラン・デュラン、ザ・キュアー、ザ・スミス、シャーデーといったアーティストの曲をカバーしていて、それについては今までも語ってきたと思いますが、気になったのが、Drive Like Jehuとジャパンのカバーなんですよね。
チノ どちらも素晴らしいバンドだし、自分が聴いて育ったバンドだからね。ジャパンというバンドについて言うと、僕がちゃんと聴くようになったのは2000年代になってからなんだ。その時に初めて、デュラン・デュランがどれだけジャパンから影響を受けていたのかに気づいたんだ。最初にジャパンを聴いた時は、「これって、聴いたことのないデュラン・デュランの曲かな?」って思ったくらいだよ。見た目もかなり似ているからね(笑)。それで、ジャパンのディスコグラフィをチェックして、ボーカルのデヴィッド・シルヴィアンのソロも聴いたんだけど、音楽が素晴らしいし、声がいいんだよね。
―バッド・ブレインズも好きで、影響を受けていますよね。前にどこかの記事で読んだのですが、バッド・ブレインズのアルバム『Quickness』よりも、ボーカルのH.R.のソロのレゲエ・アルバムの方からの影響が大きかったという話をしていたと思います。
チノ 『Quickness』も好きだけど、H.R.の『Charge』というアルバムがあってね。あれは彼のキャリアの中でも、最高に美しい瞬間を捉えていると思うんだ。声も本当に素晴らしいし、メロディもスゴくいい。僕は今でもあのアルバムが大好きだね。たぶん制作時期も、『Quickness』と同じ頃なんじゃないかな。僕にとっては、H.R.の一番良かったピークの時期だと思っている。
―若い世代の話に戻りますが、今の時代に人気があるのは、やはり当時からタイムレスなグッドミュージックを作ろうという思いがあったからじゃないですか。
チノ 常にそういうアイデアを持っていたよ。ただ、それをどうやってやるのかは、誰にもわからないんだ。結局のところ、未来になって人々が何を好きになるかなんて、わからないわけだから。でも結果としてそうなったのは、僕たちが何かの目的のために音楽を作っていたわけじゃなかったからだと思う。自分たちの直感に従っていただけだし、メンバー全員がワクワクしているかどうかが重要だったからだ。でも、それが一番正直なやり方だと思うし、「時代を超える音楽」を作ることには一番近い方法なんじゃないかな。僕たち全員がその音楽を強く感じていれば、それがいいものになる可能性は高いんだ。それに、時を超えられるかもしれない。でも、繰り返すけれど、未来のことは誰にもわからないんだよ。
ニューメタルの”壁”を壊して、時代を超えるバンドへ
―デフトーンズが登場した90年代は、いわゆるオルタナティブ・ロックの全盛時代で、バンドもたくさん出てきたし、ジャンルのカテゴリーもはっきりとありました。当時、デフトーンズは、パンテラのサウンドにも携わったプロデューサーのテリー・デイトを迎えて、アルバム『White Pony』を制作しましたが、他とは全く異なるサウンドを打ち出しましたよね。あれは、自分たちならではのオリジナルの音楽を作りたいという思いが強かったからですか?
チノ それは間違いないね。僕の中では、なるべく長く音楽を作り続けたいという思いは、どこかでずっとあったと思う。それが途中で、僕たちは「ニューメタル」というカテゴリーに入れられるようになった。その時、「自分たちはあのバンドたちより上だ」と思って距離を置こうとしたわけでもないし、そこにいるバンドが嫌いだったわけでもない。ただ、自分たちの道を切り開きたかったんだと思う。『White Pony』を制作した時は、音楽的にもっと広げていこうと努力していた。もちろん、最初にやっていた音楽のルーツは残っていたけど、同時に、僕たちを囲い込もうとする「壁」を壊そうとしていた。「お前たちはこういうバンドだ」って決めつけてくるような壁をね。僕たちはその壁を壊して、もっとクリエイティビティを広げようとしていたんだ。
―結果として、時代を超えて聴かれるバンドになりましたね。
チノ 本当にうまくやってこれたと思う。今でも、いわゆる90年代のノスタルジー系のフェスとか、そういうイベントに呼ばれることはあるよ。でも逆に今では、そういうフェスにも気楽に参加できるようになった。というのも、僕たちはすでにその枠から抜け出しているからだ。キャリアの中で時間をかけて、そういうカテゴリーから離れる努力をしてきたのが良かったんだと思う。
―最後に聞きたいのですが、クリエイティビティを保ち続ける秘訣は何でしょう?
チノ 楽しむことかな。音楽を作ることを楽しむこと。もし朝起きて、今日はクリエイティブな気分じゃないなと思っても、少しの間なら休んでも大丈夫なんだ。また戻ってくればいいんだから。
Photo by Clemente Ruiz
DEFTONES JAPAN TOUR 2026
5月18日(月)東京ガーデンシアター
OPEN 18:00 / START 19:00
5月19日(火)Zepp Osaka Bayside
OPEN 18:00 / START 19:00
5月20日(水)名古屋 COMTEC PORTBASE
OPEN 18:00 / START 19:00
https://www.creativeman.co.jp/artist/2026/05deftones/


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