海部:中国については、いろいろと思い出がありますが、まず最初は「対立」でした。
――総理在任時代に、なにか問題が出たのですか。
海部:いや、それよりずっと前。1970年代のことです。日中関係のために尽力されていた川崎秀二さんに、中国に行こうと、誘っていただいた。入国の手続きも仕事ぶりも、今とはずいぶん違いましてね。中国側は、ビザ発給にあたって、「原則」を認める署名をしてほしいと要求した。
「原則」と言われても分からないと返事したら、内容は川崎さんに聞けと言うんですよ。でも、直接言ってくれなければ困る。こちらも無責任に署名はできない。
後で聞いたら、平和や内政不干渉などで、そう問題ある内容ではない。言ってくれればよかったんだが、なぜか、教えてくれなかった。まあ、こちらもなまいきな若者だったんですな。まあ、僕だって、言うときには言うんですよ。
――その後は何度も訪中しているとのことですが、特に思い出に残っているのは?
1991年の訪中です。1989年の天安門事件、中国で言う「六・四政治風波」ですね。あの事件で、日本の公務員は、中国に渡航できないことになっていた。もちろん、首相も含めてです。それが解除になり、中国に出かけた。つまり、事件後に日本の首相として初めて訪中したわけです。
中国側とは、楊尚昆国家主席や李鵬首相とお話ししました。1989年の事件で、中国をいつまでも孤立させるのは、よくないとの考えだったのです。1990年に、テキサスのヒューストンで開催されたサミットでも、各国首脳に、そうお話ししました。
訪中した際には、天安門広場に足を運び、犠牲者のために花を捧げました。まあ、自民党内から「余計なことをするな」とのお叱りもありましたが、私としての考えを示す必要はあると思いました。
――中国側は、認めたのですか。
認めるもなにも、とにかく「行きたい」と言ったら、連れて行ってくれた。だから、まあ容認したんでしょうね。
中国とは、うまくつきあわねばならない。ただし、日本の外交の基軸は日米関係です。体制や考え方が近いこともあり、対米関係、対EUでは比較的にスムーズに解決できることでも、日中では、それほど楽にいかないことがあります。この点が、中国にとって、ややおもしろくないかも知れませんね。
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