湖北省武漢市にある中南民族大学の学生、余熙さんがこのほど、メディアに対して「自分はチンギス・ハンの子孫だ」と宣言した。戸籍上は漢族だが、先祖をたどるとチンギス・ハンにたどりつくという。
中国新聞社などが報じた。

 余さんは四川省自貢市の農村部出身で、村にある十数世帯はすべて「余」という姓。自分の父母も「漢族」と思い込んでいたが、古い系図などを調べたところ、祖先はモンゴル帝国6代皇帝の成宗テムル(鉄木耳)の弟で、フビライ・ハーンの孫にあたる「鉄木健(テムジェン)」であることが分かったという。フビライ・ハーンはチンギス・ハンの孫で、モンゴル帝国の皇帝(大ハーン)として5代目だ。

 余さんはテムジェンは紅巾の乱鎮圧のため四川省に派遣されたが敗北。その子らが奥地に逃げて土着したと説明した。余さんによると、「鉄」という姓を「余」に変えたのは、出自を知られると殺されたからだったという。

 余さんによると、四川省内では自分の出身地以外にも、「テムジェン」の子孫と称する人々が点在する。

 専門家からは「テムジェンなどにかんする史料は発見されていないが、四川省にモンゴル皇族の子孫が存在する可能性はある。今後の研究が待たれる」などの見方が出た。

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◆解説◆
 中国国内では、遠隔地では雲南省にもフビライの遠征時に現地にとどまった人々とされるモンゴル族の集落がある。河南省にも、モンゴル族を名乗る人々がいる。
つまり、余熙さんがモンゴル皇族の血筋を引くとしても、それほどおかしくはない。中国各地に散らばったモンゴル族は明朝になってから、「モンゴル」という民族名を隠すことが多かった。

 ただし、「本来の姓は『鉄』」としている点には疑問が残る。中国国内のモンゴル人は通常、姓を名乗らないが、自分たちの氏族は知っている場合が多い。チンギス・ハンの出身氏族は「ボルヂギン」であり、漢字で姓を名乗る場合いは包(バオ)などとすることが一般的だ。「鉄」は姓とはみなされず、子孫に伝えることは、あまり考えられない。

 なお、モンゴル国のモンゴル人は、自分の氏族を知らない人が多い。父親の名を所有格にして自分の名の前に置いて姓のかわりにする。目上の名を口にすることがタブーであるモンゴル人の伝統とは相反しており、革命政権の成立後に過去との絆(きずな)を断ち切るために導入された新たな習慣とみられる。

 なお、モンゴル語では、部族の支配者である「ハン(古い発音ではカン)」とモンゴルや周辺民族の支配者である「ハーン(同様にカーン、カガン)」を区別する。チンギス・ハンは自ら「ハーン」と名乗ることはなかったが、後世になりチンギス・ハーンとも呼ばれるようになった。(編集担当:如月隼人)

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