重慶市は2010年ごろから民生重視を強調。社会の和諧(=調和)を唱える胡錦濤政権の方針に沿ったものだが、農民や低収入層に特に手厚い「民生十条」政策などを始めた。同市は同時に、共産党をたたえる「革命歌」を歌うキャンペーンを展開した。
そのため、重慶市の政策は「かつての、極端な社会主義政策への回帰」であり、国の大方針である改革開放にも逆行しているとの批判が出た。
薄書記は、貧困層や農民に手厚い政策を「皆で共同に裕福になるため」であり、「大鍋飯(大鍋の飯)ではない」と説明した。「大鍋飯」は「努力してもしなくても、“飯”にありつける」、「お上(かみ)がなんとかしてくれる」との状態や意識を指す。日本で使われる「親方日の丸」と同様で、中国の国旗が「五星紅旗」と呼ばれることから「親方“五星紅旗”」方式と表現してもよい。
薄書記は、低所得層の優遇は◆大多数の人の生活によい影響を与える◆社会における消費を促進する◆社会発展に直接の影響を及ぼす収入格差の問題を低減――などと主張し、首相報告で何度も提示された民生の改善と収入の調整に沿ったものと説明した。
中国が進めてきた「改革開放」政策との関係についていは、同政策が完全に閉鎖され経済が立ち遅れていた中国を大きく変化させる重要な成果をあげたと述べ、「今後も堅持せねばならない」との考えを示した。
ただし、改革開放の過程を通じて「収入分配の問題が表面化し、極めて重視せねばならない事態になった」と説明。
薄書記は、現在の中国社会において「競争を奨励する。住民間に収入格差が生じることも認める。しかし同時に社会における公平さ、収入面で中流以下の人の生活も、しっかりと重視する」と述べた。
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◆解説◆
薄書記は、民衆にアピールする政策を打ち出すことで知られる。1990年代の大連市長時代には、全国に先駆ける環境重視政策で注目を集めた。重慶市の共産党委員会書記に就任してからは、犯罪組織の撲滅運動を強力に推進した。2010年ごろからは、民生重視の方針を打ち出した。
薄書記の政治手法については、「大衆に語りかけ、大衆にとって必要なことを果断に実行」という評価とともに「パフォーマンス政治」との批判もあった。中国では2012年秋に政権交代とそれに伴う人事異動が始まるが、薄書記については、中国指導部と言える中国共産党中央政治局常務委員会入りの可能性もあるとされた。
薄書記を取り巻く情勢が一転したきっかけが、腹心だった王立軍副市長の「米国総領事館駆け込み事件」だった。2月6日に四川省成都市にある米国総領事館で、保護を求めたとの見方がある。
王立軍副市長は内モンゴル自治区出身で、父親はモンゴル族、母親は漢族。「ウネン・バートル(真の勇者)」のモンゴル名がある。警察畑を歩み、重慶市副市長に就任してからは、犯罪組織の撲滅運動で辣腕(らつわん)を振るった。
薄書記は犯罪組織について「官界と癒着している。腐敗の一大要因」と説明した。重慶市幹部の逮捕が相次ぎ、2010年7月には、収賄(しゅうわい)罪や強姦罪で有罪になった元司法長官の文強死刑囚の刑が執行された。
王立軍副市長は現在、北京で「汚職」などに関連して取り調べを受けているとされる。さらに、王副市長は薄熙来書記について「各種の裏情報を握っている」との見方もある。(編集担当:如月隼人)