2011年3月の東日本大震災の影響で日本から引き上げた中国人もいたが、それでも中国と日本の人的交流は着実に進んでいる。中国経済の勃興に呼応するかのように、第2外国語として中国語を選択する日本人の数も伸びている。
ハオ中国語アカデミー(以下、「ハオ」)にご協力いただき、日本で教鞭をとる中国人教師の素顔に迫った。最終の第3回は、新宿校教務主任の陳郁青先生に話を聞いた。

**********

――先生は台湾南部にある高雄市のご出身ですね。日本で、台湾は親日的なことで知られています。先生が日本にやって来たきっかけは何ですか。

陳:台湾には、日本の高等学校と専門学校が1つになった5年制の専門学校があります。私は学校を卒業後、いったん社会人になりました。医療系事務の仕事です。ちょうどその頃、両親が仕事の都合で日本へ移住することになり、私も日本へやって来ました。

 2003年に高田馬場にあった日本語学校に通い始め、翌年には東京女学館大学国際教養学部に編入することができました。学生時代に住まいのあった地元の学習塾で、中国語教師のアルバイトを経験しました。

 生徒は地元の主婦やサラリーマンで、30-50代が中心。
台湾では文字に繁体字を用いますが、教えたのは簡体字です。実は、この時に習得したんです。生徒が楽しく中国語を学び、覚えていく姿を見て、中国語教師という仕事にとても魅力を感じました。

――学習塾でのアルバイトがきっかけで中国語教師の職についたのですね。

陳:いいえ……。実は大学を卒業後、2年間日本の民間企業でOLとして働きました。

 私は台湾で社会人経験がありましたから、日本の社会を知るには、まず一般企業のOLとして勤めるべきだろうって考えていたんです。周囲のアドバイスもありました。ただ、働いていくうちに、学生時代に経験した教職こそが私の天職では、と考えるようになり転職しました。

――在日9年目。台湾での生活を懐かしく思うことはありますか。

陳:幸い両親が日本に住んでいるので、今は日本が故郷です。
ただ、ちょっと寒いかな(笑)。それから、台湾と比較して日本人はいつも控えめだなって感じています。日本の料理も大好きですよ。スーパーに行くと癒(いや)される感じ。お刺身も納豆もいけます。

――念願の教職について印象に残った生徒は。

陳:出版社に勤める20代の女性がいたのですが、なんと彼女は、台湾に1人で渡って日本語教師になるというんです。私と逆のパターンですね。繁体字の基本を3カ間でマスターし、本当に台湾に行きました。1年経って会ったら、当時とは比較にならないほど流暢な中国語。今は現地の大学で語学コースに通っているそうです。

 私はいつも生徒の皆さんから、「勉強するぞっ」ていうパワーをもらっているんです。
(取材・構成:田中奈)
編集部おすすめ