記事は、ふぐには毒があるものの、それでも日本人が先を争うかのようにしてふぐを食べる習慣は有名であるとし、なぜ日本人はふぐを食べるために「全力を尽くす」のだろうかと問いを提起した。
続けて、日本人が古くからふぐを食べており、江戸時代などにおいても多くの武士がふぐ中毒で死亡する事故がしょっちゅう発生したと説明し、それゆえ当時の各藩は武士に対してふぐ食を禁ずる法令を施行し、もし、発覚した場合は家財はすべて没収されたと紹介した。またこうした法令が存在するにもかかわらず一般市民はふぐを好んで食べたために政府は逮捕拘留などさらに厳しい罰則を設けたと説明。しかし、その後「物事の転機が訪れた」とし、その転機とは「1888年に伊藤博文が偶然にふぐを食べたこと」だと指摘した。
記事は、「これは転換点となる一口」であり、伊藤博文はものすごく美味しいと感じたために、まず山口県がふぐ食の禁令を解除することとなったと説明。その後ふぐの毒性についての「真剣な」研究が各種のふぐについて行われ、ついに1892年から日本各地でふぐ食が広まっていったと紹介した。
ふぐに猛毒があることを知りつつも、ふぐの美味しさに魅了されてきた日本人の姿を記事は浮き彫りにしている。しかし、一部資料によれば、中国北宋時代の詩人である蘇軾(そしょく)も「一死にも値する」とふぐの味を称賛し、また、ふぐをモチーフとした詩も詠んでいる。古代中国の詩人もその美味を認めていたようだが、国民全体が魅了されたのは日本人だったということになるだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
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