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石破政権とトランプ政権の関税交渉は、引き下げの交換条件として約80兆円の投資などをすることになった
いや~、ひと安心!? トランプ関税の交渉が妥結し、日本には歓迎ムードが漂っている。でも、ちょっと待ってくれ! 関税率引き下げの交換条件は、アメリカに80兆円規模の投資を行なうこと。
ご参考までに、日本の国家予算は110兆円ちょっとです。......今回の合意、ホントに喜んでいいんだっけ?

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■関税交渉の舞台裏

7月22日(以下、現地時間)、日米関税交渉が妥結した。赤澤亮正(りょうせい)経済再生担当大臣はトランプによる4月2日の相互関税発表以降8回もの訪米を重ね、25%とされていた税率を15%に引き下げるという形で着地。これと併せて、日本が米国に5500億ドル、日本円にして約80兆円を投資するほか、航空機の購入などを行なうパッケージでの合意となった。

お家芸である自動車や半導体製造装置を筆頭に、対米輸出額が21兆円を超える日本にとって、関税率をいかに低く抑えるかは生命線と言える。

そのため国内には歓迎ムードが漂っているが、そもそも80兆円もの出資は関税率引き下げの対価として割に合うのか!? その真実を探るべく、まずは交渉の舞台裏を知り尽くす、ジャーナリストの鈴木哲夫氏に聞いてみよう。

「今回、赤澤大臣は日本の代表として、トランプという何を言い出すかわからない相手を納得させて、約束しなきゃいけなかったわけです。約4ヵ月の交渉期間中、実際に何度も膠着(こうちゃく)状態になっています。

そこで赤澤大臣はアポなし訪問を含め何度も何度も押しかけて、ある程度低い関税率で片をつけました。そのフットワークは評価したいですね」

トランプへの"手土産"「対米80兆円投資」って割に合ってんのか? 増税&デジタル赤字増大の未来がやってくる!?
関税交渉に当たった赤澤経済再生担当大臣。東京大学卒業後、運輸省(現国土交通省)に入省。その後米コーネル大学でMBA(経営学修士)を取得

関税交渉に当たった赤澤経済再生担当大臣。東京大学卒業後、運輸省(現国土交通省)に入省。その後米コーネル大学でMBA(経営学修士)を取得
赤澤大臣は経済再生以外にも賃金向上や社会保障改革、防災庁設置など、8つもの担当領域を兼務する身。その上、交渉期間中には参議院選挙も行なわれた。
想像を絶する多忙と重圧の中、よくやったんじゃないかと鈴木氏は言う。

「そしてもうひとつ、今回は官僚も評価するべきだと思います。というのも約4300品目にかかる関税とその他の条項を、トップ同士でいちいち議論したわけではありません。

交渉の方向性は政治が決めるものの、具体的な提案パッケージを作成し、米国と協議・調整しながら修正を繰り返して、トップ会談まで詰め切ったのは官僚の頑張りです」

石破政権は同時期に、対米関税交渉と参議院選挙という二正面作戦を余儀なくされたが、外務省や経済産業省と組んだ関税交渉では一定の成果を上げたわけだ。

「ただし、交渉担当者を評価はしましたが、もろ手を挙げて称賛できるわけではありません。

まずひとつが、自民党は対米関税交渉を選挙対策に利用しようとしたものの、失敗してしまった点。そしてもうひとつが、肝心の関税交渉の妥結内容がまったくの説明不足なんです」

■中身不明の80兆円投資

鈴木氏が続ける。

「石破茂総理は選挙期間中に、街頭演説で『舐められてたまるか』という言葉を使いました。この発言で総理は選挙の争点ずらしを狙ったんです」

消費減税で野党に押され、一律給付金では戦えないと踏んだ自民党の選挙対策本部は、窮余の打開策として、対米関税交渉で強い姿勢を打ち出すことにしたのだという。しかしその打算は有権者の心を打つに至らず、参院選は大敗を喫した。

「ただ、それ以上に問題なのが、本来関税には関係ない、防衛費の交渉もセットで行なわれたんじゃないかということです」

赤澤大臣はこれまで、防衛費はセットで話していないと明言してきた。しかし、鈴木氏が防衛省と自衛隊も取材した感触では、やはり防衛費も交渉カードとして使われているはずだという。

「そもそも防衛費は関税と全然別のことで、日本の防衛を今後どうするのかという大局観ありきの話。

それを米国との交渉材料にして水面下で決めたのだとしたら、大問題でしょう。

そして、肝心の80兆円投資の中身も国民に対して詳細な説明がない。米国側の言い方だと、丸々80兆円あげますよって話のように聞こえます。これでは誰も納得しません」

現時点でわかっている80兆円の立て付けについては後で触れるが、もちろん単なる米国へのプレゼントではない。とはいえ、日本政府と米国側の言い分が食い違っているのは事実だ。

「まずは相互関税が15%になる約4300品目について、その影響をひとつひとつ精査して、必要ならば早急に補助の手立てを打つ必要がある。今回の交渉の成否は、事後対応も含めて評価すべきです。防衛費の話もつまびらかにして当然。

とにかく交渉妥結の中身をはっきりさせて、対応も含めて国民にしっかり説明しないとダメでしょう。結局は国内の企業、ひいては労働者であり消費者であるわれわれにしわ寄せが来るのですから、政治の義務を果たしてほしいと思います」

■ラピダス&TSMCの工場が16セット建つ

ここからは、80兆円投資のスキームとその影響について、経済評論家の鈴木貴博氏に深掘りしてもらおう。

「最初に申し上げておくと、私は今回の関税交渉は大失敗だったと思っています」

なんと! それはどうして?

「税率を15%に抑え、自動車産業が守られた。これを成功だととらえる方が多いのですが、差し出した代償があまりに大きすぎます。

80兆円の対米投資が日本経済に与える巨大なマイナスを考えると、ひどい結果になってしまったというのが私の見立てです」

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関税率が15%に引き下げられたことで、引き続き米国での日本車の引き合いは続きそう。この経済効果で80兆円対米投資は相殺できるのか?

関税率が15%に引き下げられたことで、引き続き米国での日本車の引き合いは続きそう。この経済効果で80兆円対米投資は相殺できるのか?
具体的には何が問題なのか。

「まず立て付けからお話しすると、80兆円という金額の中で、日本政府が政府系金融機関を通じて、直接投資する分は1兆円程度です。残りの約79兆円は、日米の企業が米国内で行なう投資資金の融資、および融資の保証なので、これは出資ではありません。

つまり経産官僚のロジックはこうです。まず、79兆円はいずれ返済されるお金だから損をすることはない。そして報道で1対9といわれているように、1兆円投資から発生する利益の分け方が圧倒的な米国有利であったとしても、関税率を10%下げた利益のほうがはるかに大きい、と」

ここまで聞いた限りでは、うまく数字だけを膨らませて、実害の少ない形でトランプのご機嫌を取ったようにも感じられるが......。

「ところがここには抜け落ちている観点がいくつもあるのです。3つ数字を挙げましょう。

まず、日本国内の全企業が1年間に使う設備投資額の合計が、ざっくり100兆円です。次に、日本から海外への年間投資額が20兆円。そして、日本経済再生のカギを握る、北海道に製造拠点を持つ半導体メーカー・ラピダスと、世界一の半導体メーカー・TSMCの熊本工場への投資額を合計すると、約5兆円です」

この3つの数字と、今回の80兆円投資を突き合わせて考えてみよう。

まず単純に、80兆円という金額は、国内企業の1年間の設備投資に匹敵するほどの巨額である。そして、この80兆円をトランプの任期である4年間で割ると、1年当たり20兆円の投資になる。つまり、今後4年間で日本の海外投資は倍増することになる。

さらに、米国に投じられる80兆円を国内で使えば、ラピダスとTSMCの工場を16セット造ることができる計算だ。そう聞くと、たとえ80兆円の数分の1であっても、国内で使うことができたらと思わざるをえない。

トランプへの"手土産"「対米80兆円投資」って割に合ってんのか? 増税&デジタル赤字増大の未来がやってくる!?
北海道千歳市のラピダスの工場。政府は経済産業省を中心に2兆円弱を投資し、それに批判も集まってきたが、80兆円というスケールに比べればかわいいもの?

北海道千歳市のラピダスの工場。政府は経済産業省を中心に2兆円弱を投資し、それに批判も集まってきたが、80兆円というスケールに比べればかわいいもの?
「デメリットはまだまだあります。融資の金額はまだ明らかになっていませんが、今後4年間で数兆~数十兆円を、日本政府が資金調達をしなければいけなくなる可能性があります。

それを国債発行で賄うとなれば、金利が上がってむしろ国内への投資を冷やしかねず、将来の増税につながるかもしれません。そして、対米投資によって米国経済がより強くなれば、日本が苦しんでいる『デジタル赤字』のさらなる増大・固定化は避けられないでしょう」

デジタル赤字とは、言い換えると「GAFAM税」のようなもの。米国の巨大ハイテク企業が手がけるさまざまなサービスを日本の企業や個人が利用しており、その巨額の支払いは、国の貿易統計では赤字に計上されるのだ。

「われわれの生活はもはやアップルや、アマゾン、グーグル、マイクロソフトなどのサービス抜きでは成り立ちませんよね。

今回の80兆円投資が、米国でAIを開発する企業やそれを支えるデータセンター、次世代原発などの建設に使われた場合、米国のハイテク産業をさらに強くすることにつながります。

つまり日本は、自分たちのお金を払ってデジタル赤字を増やし、米国からAIを買い続ける未来に向かってしまっている。これは明らかに悪手です」

もちろん、日本経済にとって自動車産業が重要なのは間違いない。また米価が上がったことで増産の機運が高まる中、海外からのコメ受け入れ枠を増やすことは必ずしも得策とは言えない。

つまり、石破政権が関税率引き下げとコメの死守に邁進(まいしん)したことにも一定の合理性はある。とはいえ、80兆円投資の弊害と比べると暗澹(あんたん)たる思いにならざるをえない。

「今回の交渉は本来、米国は貿易赤字の縮小と、フェンタニルという麻薬取引の中継地に日本が利用されているため、その取り締まりをさせることが目的でした。

それなのに、日本政府は米国のニーズに応えず、『米国に最も投資してきたのは日本』という実績で一点突破して、自動車とコメを守ろうとした。それで足元を見られた結果が、80兆円の対米投資なのです」

交渉担当者の努力は評価したい。でも結局は、またトランプにしてやられたのか......。

取材・文/日野秀規 写真/時事通信社

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