板倉滉が語るアヤックス移籍の決め手とは
名だたる欧州のクラブ間での争奪戦を経て板倉 滉が選んだ所属先は、オランダが誇る創立125年の超名門アヤックス・アムステルダム。クラブ初の日本人選手として大いに期待がかかる板倉に、移籍までの経緯、決めた理由、今後の意気込みをすべて聞いた!!
■「コウ、とにかく君が必要なんだ!」
8月8日(以下、現地時間)、オランダ1部・エールディヴィジのアヤックス・アムステルダムが僕を完全移籍で獲得したことを発表した。
移籍の決め手となったのは、アヤックスの熱量だった。
ハイティンハ監督はオランダ代表の主力メンバーとして2010年W杯南アフリカ大会で準優勝。アヤックスはもちろん、スペインの強豪アトレティコ・マドリードや英国プレミアリーグのエヴァートンなどで長らく活躍してきたDFである。
その彼が「コウ、とにかく君が必要なんだ。君が入ってきた場合、このような形で戦いたい」と、具体的な戦略や構想をずいぶん話してくれた。
「アヤックスでプレーするのはすごく意味のあることなんだ」とも言ってくれた。特にその言葉が深く胸に突き刺さった。オファーの内容も、クラブからの期待とリスペクトを感じた。もう迷いはなかった。
決まった背番号は〝4〟。ほかにいくつか番号は空いていたけど、監督やスタッフが「コウはやっぱり4番でしょ」と提案してくれた。
代表でも4番をつけているので愛着はあって、できればこの番号がいいなぁぐらいに思っていたけど、実はアヤックスにとって4番というのは特別であることを後で知った。
FWファン・バステンやMFライカールト、DFクーマンといった往年の名選手たちがつけていた番号なのだ。今、その重みをじわじわと感じ始めている。
オランダに戻るのは、実に4年ぶり。19年、初めての海外移籍(マンチェスターCからのレンタル移籍)でやって来たのが、この国のFCフローニンゲンだった。言葉はまったくできず、右も左もわからなかったが、21年までの3シーズンを過ごす中で地位は獲得できた。
アヤックスは、僕にとってヨーロッパでの4クラブ目になるけども、移籍した際、これまでとは違う感覚だった。年齢と経験を重ねてきているからだろう、不安というのが一切ない。ありがたいことにチームメイトからのリスペクトも感じる。
今のところ、ベテランのFWスティーブン(・ベルフハイス)やMF(デイヴィ・)クラーセン、年下のDFオーウェン(・ワインダル)やMF(ケネト・)テイラーとコミュニケーションを取ることが多い。僕がフローニンゲンにいた時代に対決した選手もかなりいるので、「おお、アヤックスに来たのか!」といった感じで話しかけてくれる。
かといって、別にあぐらをかくつもりはない。
■勝つだけではダメ。アヤックスの勝利哲学
アヤックスでは常に勝利を求められる。しかも、よく言われるのは「ただ勝つだけではダメだ。〝ノット・イナフ〟(十分じゃない)」。つまり、勝ち方が大事だということ。いいサッカーをして勝たなければ、ファンは黙っていない。泥くさく勝利をつかんだとしてもブーイングを食らうだけだ。
19~21年の3シーズンをフローニンゲンでプレーしていた当時、アヤックス戦はビッグイベントだった。それはリーグの他チームにとっても同じだ。特別な試合だけに、アヤックス戦は気合いの入り方が違っていた。
ここから先は、逆に僕がアヤックスのメンバーとして、それを受けて立つことになる。
もちろん、アヤックスの攻撃的サッカーは魅力的だし、僕のスタイルはマッチしていると思う。当然ながら攻撃参加もしたいし、いいサッカーもしたい。が、僕はDFだ。まずはしっかりと若手の選手を束ね、守備を盤石にして、必死に向かってくる相手を封じ込めなければならない。きっと強靱なメンタリティを求められるだろう。
監督も、練習の段階から「守備面が緩くなったらダメだ」と指示しているし、走るとか基本的なところは絶対にサボらぬよう指導している。僕も、追う立場のチームから追われる立場のチームに入ったからこそ、いっそう気を引き締めていきたい。
移籍の決め手には、優勝タイトルが絶対に欲しいという思いもあった。それを獲るためにアヤックスにやって来た。
やっぱりタイトルは特別なもので、ドイツ2部のシャルケ04在籍時代(21~22年)に1部昇格を決める優勝を経験したけれど、頂点に立った瞬間の喜びは言葉に言い表せないほど格別だ。アヤックスは常に優勝を狙えるチーム。
CL(UEFAチャンピオンズリーグ)に出場できるチャンスを手にしたのも大きい。僕にとっては未経験。常にCLに出たいという気持ちは抱えていた。これでまた夢に近づくことができた。
■リーグ戦、CLで活躍。勢いに乗ってW杯へ
アヤックスに移籍したことは、僕にとってステップアップでしかない。
確かに、ドイツのブンデスリーガにはビッグクラブやいいクラブがたくさんある。でも、アヤックスはアヤックスだ。125年の歴史を持つ名門クラブに僕は必要とされて、クラブ初の日本人選手として加入した。
今後、リーグ戦と並行して、週の真ん中にはCLの試合が入ってくる。とにかく過密日程だ。
正直に話すと、ボルシアMGは居心地が良かった。試合には確実に出られていたし、監督からもチームからも認められて、信頼を得ていた。もちろん、残り1シーズンをボルシアMGで過ごして、移籍金なしのフリーで次のクラブを探すという選択肢もあった。
でも、僕は居心地がいいと感じてしまった時点で、そこに成長はないと考えてきた。そのタイミングでいつも移籍を決断してきたし、新天地でまたイチからスタートしてポジションを獲得していく道を選んできた。そのほうが、自分の成長につながるからだ。
ドイツでプレーしている間も常にリーグ戦に加えて、CLやEL(UEFAヨーロッパリーグ)を戦うような厳しい環境に身を置きたいと望み続けていた。そこに、アヤックスからのオファーが舞い込んできた。
結果的に、僕の移籍金によって3シーズンにわたってお世話になったボルシアMGにはお金を残すことができて良かったと思うし、僕を成長させてくれたメンヒェングラートバッハの皆さんには感謝しかない。
8月17日、エールディヴィジ第2節のゴーアヘッド・イーグルス戦で、早速僕はアヤックスでのデビューを飾ることができた。77分までプレー、結果は2-2の引き分けで初陣を飾れなかったのは悔しいけれど、まだまだこれからだ。
僕のイメージは、リーグ戦とCLの両方を戦い、連戦をものともせず、エールディヴィジの頂点に立つこと。CLでも決勝トーナメントに進出し、爪痕を残したい。その勢いをもって、いよいよ北中米W杯に臨みたい。アヤックスでも積極果敢にチャレンジして、最高の流れをつくっていきたい。

板倉 滉
構成・文/高橋史門 写真/アフロ