出張帰りの静かな車内に異変が起きた
昨年の秋、平日の夕方。山川さんは東海道新幹線に乗り、出張からの帰途についていた。指定席に腰を落ち着け、資料を整理しながら静かに過ごそうとしていた、その矢先のことである。発車して間もなく、通路を挟んだ隣の席に一人の男性が座った。30代後半ほど、黒いジャケット姿で、顔がやや赤らんでいた。座るなり缶チューハイを開け、「やっと終わったわ」と独り言のように声を漏らす。山川さんは最初、それほど気に留めていなかったという。
しかし彼の態度は次第にエスカレートしていった。
イヤホンなし、電話もそのまま。周囲に配慮ゼロの振る舞い
1本目の缶チューハイを飲み干すと、男性はスマートフォンで動画を再生し始めた。イヤホンは使わない。バラエティ番組らしき笑い声が車内に響き渡り、周囲の乗客がちらりと視線を送る。続いて電話がかかってくると、男性は座席に座ったままそれに出た。「今さ、新幹線なんだけどさ、マジで上司がさ」——大声の通話が始まる。静寂を好む新幹線の車内に、他人の職場事情が響き渡った。
山川さんが「極めつけ」と表現するのは、その後に起きたリクライニングの一幕である。後方確認をまったくせず、男性は勢いよくシートを倒した。後ろに座っていた年配の男性が「ちょっと、急に倒さないでください」と困惑した声を上げると、返ってきたのは「別に いいでしょ?」という不機嫌そうな一言だった。
「車内の空気が一気に張り詰め、私は思わず肩をすくめました」と山川さんは振り返る。
「相手にとってどうか」という視点が重要
しばらくして、車内を巡回していた車掌がその場に差し掛かった。後方の年配男性が事情を説明すると、車掌は静かに男性へ注意を促した。男性は舌打ちをしながらも、デッキへと移動していった。物語はそこで終わらなかった。
缶は周囲に転がり、男性は慌ててそれを拾う。その滑稽な姿に、周囲から冷ややかな視線が集まっていたという……。
山川さんは、その一連の光景をこう総括する。
「公共の場では、少しの配慮がどれほど大切かを改めて実感しました」
イヤホンを使わずに動画を再生すること、座席での通話、後方確認なしのリクライニング。いずれも「法律で禁止されているわけではない」行為かもしれない。しかし新幹線という空間では、それぞれの行為が積み重なることで、周囲の乗客の快適さを著しく損なう。法律やマナー、ルール違反かどうかではなく、「相手にとってどうか」という視点が重要なのだ。
<文/藤山ムツキ>
【藤山ムツキ】
編集者・ライター・旅行作家。取材や執筆、原稿整理、コンビニへの買い出しから芸能人のゴーストライターまで、メディアまわりの超“何でも屋”です。著書に『海外アングラ旅行』『実録!いかがわしい経験をしまくってみました』『10ドルの夜景』など。執筆協力に『旅の賢人たちがつくった海外旅行最強ナビ』シリーズほか多数。
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