“天才子役”の映画監督デビューに賛否

 9歳の天才子役、永尾柚乃が映画監督デビューを果たします。来年公開予定の『リタ』で主演、脚本、編集もあわせると計4役。撮影当時8歳だったのでギネス最年少記録も狙えるとのこと。
環境問題をモチーフにしたSFという大人顔負けのストーリーに衝撃を受けたという俳優の斎藤工もプロデューサーとして名を連ね、話題を呼んでいます。

 3歳からすでに脚本を書いていたという柚乃ちゃん。将来の目標は映画監督と公言し、その第一作が早くも実現する運びとなりました。

 ところが、ネットは複雑な反応を示しています。あからさまな批判ではないけれど、かといって両手を上げて賞賛する気分にもなれないといった雰囲気だからです。“無理に大人の真似事をしなくてもいいのに”とか、“演技を見ていても子役を演じる大人にしか見えない”といった意見から、「監督デビュー」への懐疑的な見方が根強いことがうかがえます。

子どもの鋭さが生む「大人の好む正解」

 では、「天才子役兼天才監督」のどこが引っ掛かるのでしょうか?

『リタ』のストーリーはこんな具合です。<地球の環境破壊の影響で滅亡危機にある惑星から調査員が派遣され、永尾演じる主人公が監視されるというSFファンタジー>(『スポニチアネックス』2026年5月16日)これを9歳が独自に考え出したとするならば、「天才」と呼ばれるのも頷ける話です。

 しかし、物心ついた頃から業界に身を置き、周りは自分より遥かに年上の大人たちばかりという環境を考えれば、自然とそういった類の年長者の喜ぶ傾向がわかってしまうのも、また子どもの持つ鋭さではあります。

 つまり、柚乃ちゃんが天才であるかどうかではなく、むしろどうしようもなくピュアな子どもであるからこそ、大人たちの好きな“社会派SF”という合理的な解答にたどり着いてしまった可能性もあるわけです。なぜなら、大人から「すごいね」とか「えらいね」とか言ってもらうためには、彼らの世界と一致してしまうことが一番の近道だからです。たとえ、それを心から理解したり納得したりしていなかったとしても、子どもは大人と対等に付き合えているかのような幻のほうを好むものです。

 それこそが、9歳にして業界で地位を確立する自らのアイデンティティを証明する一番の近道となるのです。


「天才」という形容詞について考える

 そこで、改めて「天才」という形容詞について考えたいと思います。少しでも物を知っている大人たちからすれば、環境破壊に監視社会という組み合わせは、手垢にまみれきったモチーフであるはずです。もしも40代や50代のキャリア十分の監督が同様のモチーフを使えば、間違いなく“安易すぎる”と酷評されるでしょう。

 にもかかわらず、同じ事を9歳の女の子が発しただけで「天才」の仕事にすり替わってしまう。あたかも、時代を揺るがす巨大な才能の誕生であるかのように喧伝される。しかし、実際は今も言ったようにそうではない。数ある既視感だらけの作品のひとつにすぎません。

 つまり、これは厳しい言い方をすれば、永尾柚乃という看板を利用したロンダリングに見えてしまうのですね。ここに、史上最年少監督、脚本、編集、主演という売り文句の欺瞞が集約されているのです。そもそも、編集のような地味な職人技を、果たして9歳でできるものなのかという疑問も残ります。

消費し尽くされた「若さの青田買い」の末路

 さて、この“9歳の天才監督誕生”が映し出すのは、若さの青田買いが極限にまで達してしまった状況です。若い才能と標榜できるほどのものは、もうあらかた収穫され尽くしてしまいました。

 しかし、何らかのインパクトや話題性を呼び起こすためには、このような救世主待望論を粘り強く繰り返していく以外にはない。


 立派に振る舞う永尾柚乃に私たちが感じる苦み。それは、環境破壊や監視社会よりも如実に軋みを映し出しているのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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