―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―

みなさんの周りには、やたらと自分の「努力量」をアピールしてくる人がいませんか?
「今日は○時間も残業した」「昨日は○時間しか寝ていない」など、成果ではなく過剰な労働時間を見せびらかしたがる人々は、昔から一定数存在します。

しかし、客観的に見れば、結果に対して過剰なプロセスを見せびらかすのは、単に要領の悪さを露呈させるだけの愚行にすぎません。


小さなころから「たくさん努力するほど偉い」と刷り込まれてきたのでしょうが、いい大人がそれをやっているのは滑稽としか言いようがない。

量を自慢するならともかく、これを他者に強要する人もいます。

「最近の若者は、定時になったらすぐに帰りたがる」と、若者の姿勢を嘆く年長者は後を絶ちません。

天然資源に乏しい日本では、人的資源が活躍せねば未来が拓けないというのに、そのやる気を削ぐような発言ばかりしても、寿命を縮めるばかりです。

公益財団法人「日本生産性本部」による「労働生産性の国際比較2025」によれば、日本の時間当たり生産性は60.1ドルで、OECD加盟国38か国中28位かつ、G7中最低。

一人当たりの労働生産性はニュージーランドやスロバキアと同水準で、米国の約54%と大きく水をあけられています。

最近では、IMFが日本の名目GDPを2027年に世界6位へ後退すると予測したニュースが、世間をざわつかせました。

個人的には、相当なブレイクスルーがない限り、もう落ちていくだけなのだと感じます。

「時間当たりの生産性」にこだわらない仕組みが、人々をそうさせてしまうからです。

日本のGDP、世界6位転落へ…“生産性の低い国”になったワケ...の画像はこちら >>

固定給だからこそ「定時即帰宅」

「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがあります。

「優れた人物は実力をひけらかさない」ことを意味する教えですが、納得できない部分も少なくありません。自己開示や能力開示を行わなければ、誰かに評価してもらえないまま、くすぶるしかないからです。

ただ、逆に言えば「評価を度外視するならば、爪を隠したほうが総合して得をする」とも言えます。


時間当たりの給与があらかじめ決まっており、歩合で追加されないなら、労働者にとっての最善策は「時間いっぱいまでダラダラ過ごすこと」に変わります。

効率よく捌くほど、時間当たりの仕事量は増えるのに、金銭報酬が変わらないからです。

「爪」を見せびらかすほどに、社内の期待値は高まり、「○○さんならスゴいアウトプットを出すだろう」とハードルが高まります。

もちろんそれに応えるためには、それなりの修業を積まねばならず、どんどん仕事はハードになっていく。でも、給与はそう簡単に上がりません。

「能ある鷹」側はリスクを冒して「爪」を出しても、見合った評価を得られず、報酬も得られない可能性が高いのです。

となれば、「爪」なんて見せず、60%くらいの力でダラダラ過ごす方が、よほど効率的かつ合理的な選択になります。

滅私奉公神話の崩壊

もちろん、給与だけがやりがいではありません。

ただ、近年の物価高の前では、「満足いく生活を送れる給与」の水準が急速に引き上げられています。相対的貧困の壁はすぐそこまで迫り、「武士は食わねど高楊枝」なんて言えなくなりました。

「金がないなら、なおさら働け」と思われるかもしれませんが、そうもいかない。未だに副業禁止の会社も珍しくありませんし、一社からもらえる給料は、特に20代から30代にかけてそう多くは増えない。

実際にお金が必要になるのは、ライフステージが急速に変化していく20代後半~40代であるのに、年収カーブが急上昇するのはそのあとです。


「後でリターンがある」ことは「今我慢すればいい」ことを正当化しません。

そうなると、「一社に時間をかけるだけ無駄」となるのも、無理はない。

それよりは、サクッと引き上げて趣味やプライベート、副業などに時間を割いたほうが、幸福の総量は増えるはずですから。

かつては働けば働いただけ歩合で給料がもらえる時代もあったそうですが、現在の固定給制度の下では、「最低限のペースで、時間までやり過ごす」のが最もリターンを最大化させる防衛策なのです。

情報爆発社会の中で頑張るのは損

一方で、現場の仕事量は減るどころか増え続けています。 メールやチャットもなかった時代に比べ、情報の伝達速度は何百倍にも跳ね上がりました。

「移動時間中は一切連絡を取らずに休憩する」「明日返事が返ってくるまでは別の仕事に取り掛かる」なんて悠長な態度は、現代のビジネス環境では許されません。

スマホやノートパソコンが普及した今、あらゆる場所が仕事場になりうる以上、実質的な休憩時間なんて消え去っています。

本来ならば、現場に求められるのは「タスクを次から次へとこなし、1時間当たりの作業密度を上げる」こと。

情報伝達速度の上昇は、確かに仕事量の増大をもたらした反面、「返事待ち」のボトルネックが解消されたともとれます。

しかし、実際には「タスクを次から次へとこなし」ても、給与は大して変わらない。

正直者がバカを見るなら、会社の未来より自分の未来を優先するのは明白。「売り手市場だから、転職先だって強気に選び放題」と考えているのかもしれません。


こうした「ダラダラ戦略」を取る社員が増えると、「本来終わらせるべきタスク」が時間内に消化しきれなくなります。増加量が消化量に勝てないなら、当たり前の結論です。

こうなると、さらに「ダラダラ戦略」は加速します。いくら速く作業を終わらせても、早く帰れるわけでもなく、むしろ「仕事が早いから」と、他人の分まで回されてしまう。それなら、ギリギリまで時間をかけてやり過ごす方がいい。

しかし、そのせいで結局タスクが終わらなければ残業が発生し、タイパは最悪に転落します。

みなし残業がついている職場であれば、なおさら悲惨です。

「残るだけ無駄」な環境に残らざるを得ず、愛社精神や帰属意識はさらに低下するでしょう。だからこそ「最近の若手はすぐに帰るし、すぐ辞める」のではないでしょうか。

合理的に「非合理的」な選択を

誰しも肌で感じていることでしょうが、この状況は「極端に歩合が低い固定給与制度」「情報伝達速度の倍化」「時間単位で管理される労働環境」の3つが重なり合って生み出されています。

どれほど速く仕事をしても見返りが少なく、むしろ面倒な仕事を押し付けられるだけなら、「時間いっぱいまでダラダラ過ごし、あぶれた仕事は一部の有能な人間に回して、会社全体で帳尻を合わせてもらおう」と考えるのは当たり前です。

これは人間の心理や感情の話であり、「我慢しろ」で収まるものではありません。


「我慢できないほうが悪い」と叩くのは簡単ですが、それで回っていない以上、「頑張れ」しか言えていない管理・統治者サイドに問題があると考えるのが自然ではないでしょうか? 

もちろん、ルール化した際の息苦しさや社内環境の悪化への懸念もあるでしょう。

ただ、「自由」とセットで考えるべき「高度な自己管理能力」を万人に求めるのは酷であることを踏まえれば、安易に首を切りにくい日本の労働環境においては、「自己管理の義務化」を組み込まざるを得ないように感じます。

もちろん、私自身もそれが幸せだとは全く考えません。

ただ、「自由」と「個人主義」について回る「自己責任」の影も無視できないはず。

仮に自己管理が義務化され、厳格なタスク単位での完全歩合制になったのだとしても、それは合理的に「ダラダラ戦略」を取る社員への、合理的な対処でしかない。

言ってしまえば、「ダラダラ社員が、招くべくして地獄を招いている」のです。

悪いことは言わないので、ダラダラ社員は、できる限りの努力をすべきだと考えます。

短期的には非合理的でも、長期的に見れば、合理的な選択に他ならないためです。

そして、会社の側も労働者の「意欲的」な姿勢に甘えず、「意欲」を可視化する仕組みが整えられるべきでしょう。

合理・非合理は尺度とタイムスパンによって変化します。お互い、もう少し長期的な視野から判断する必要があるのではないでしょうか。

<文・布施川天馬>

―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―

【布施川天馬】
著述家、教育ライター。
教育メディア「未来図」副編集長。一般財団法人「ドラゴン桜財団」評議員。 1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を編み出し、一浪の末東大合格を果たす。著書に最小コストで結果を出すノウハウを体系化した『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』など。株式会社カルペ・ディエムにて、お金と時間をかけない「省エネスタイルの勉強法」などを伝える。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
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