巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が、2013年に国民栄誉賞を受賞した際に、スポーツ報知紙面で特集した「私だけが知る長嶋茂雄」を再録。親交の深い中畑清監督氏から、ユーモアたっぷりの秘蔵エピソードが次々と飛び出した。
◆妥協、怠慢ボコボコに怒られた
―選手、コーチとして間近で見てきた。
「万人に対してって難しいけど、どんな相手に対しても接し方が同じ。しかも敬語なんだよ。なかなかできそうでできないよ。誰かしら悪口を言う人はいるけど、長嶋さんの悪口だけは聞いたことがない。野球界で敵味方、そういう領域を全部越えている。勝負の世界に生きていて、そんな人いないでしょ」
―野球人として、どんな人だったか。
「怒られることはしょっちゅうだったなあ。ボコボコですよ。全部を出し切ってミスする分には怒らないけど、妥協、怠慢プレーを許さなかった。見切りも早かった。そこは徹底していた」
―長嶋氏にはエピソードが多い。
「ジェントルマンに見せかけた『お笑い人』だね。そういう、ちゃめっ気は持って生まれてきたのだと思うよ。しゃべらなかったら、本当にかっこいいから」
―印象に残っている出来事は。
「今でも覚えていることがある。球場でフェンス沿いを並んで走っているときのこと。ツバを吐くなら普通は伴走してる人の逆側に吐くけど、長嶋さんは走っている人の方に『ペッ』とやるんだ。『うわっ、何でこっち側に?』と驚いて、よけながら走っていた。そうすると『何、止まってんだ!』って怒る。そりゃ止まるでしょ! でも『そっちにしてくださいよ』なんて文句も言えるわけない。あれはどう考えても、意識してやっていたとしか思えない、いまだに。笑いを取ることを絶対に意図的にやっている。普通、そんな大人いないよ。
◇長嶋氏との関係 中畑監督が1975年のドラフト3位で巨人に入団した当時の監督が長嶋氏だった。93年に監督復帰した際に1軍打撃コーチ、アテネ五輪日本代表では長嶋監督のもとでヘッド兼打撃コーチを務めた。本大会では病気のために出場できなかった長嶋氏に代わり、指揮を執った。