巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
東京六大学野球連盟の内藤雅之事務局長は、立大時代に当時の通算最多本塁打となる8本をマークするなど、リーグの隆盛に貢献した長嶋さんの死去に「プロ野球であれだけご活躍されて、東京六大学の出身者が『ミスタープロ野球』と呼ばれるようになったということは、非常に我々にとっては名誉であり、尊敬される方。数多い六大学のレジェンドたちの中でも、六大学の先輩として非常に尊敬できるし、六大学にとって大切な方だったと思ってます」と弔意を示した。
今年は東京六大学野球連盟が創設されて100周年。連盟50周年記念試合と70周年記念試合の両方で、ミスターは監督を務めた。90周年のパーティーにも参加し、インタビューに応えたという。「12月に100周年の記念パーティーを予定していますので、本当に1分でも5分でも、数分でもいいから参加して欲しかったと思っていました。非常にそこは残念です」と語った。
プロアマが一体となって、侍ジャパンとして同じユニホームでプレーする、そのきっかけを作ったのも2003年の「長嶋ジャパン」だった。「戦後の野球界の象徴のような方だった。六大学の出身者でそのような方がいたということは誇りに思うし、遺志や姿を連盟としても日本の野球界としても受け継いでいかないといけない」と話した。