元巨人の王貞治氏(85)=ソフトバンク球団会長=は「突然の訃報に大変驚いております。日本球史に燦然と輝く長嶋さんが闘病生活の末、旅立たれてしまったことを本当に残念に思います。
また巨人軍前監督で、オーナー付特別顧問の原辰徳氏は、勝負の厳しさをたたき込んでくれた恩師の突然の旅立ちに、一瞬、言葉を失った。1995年限りで現役を引退し、99年シーズンから長嶋監督率いる巨人に1軍野手総合コーチとして復帰。2000年からヘッドコーチに昇格し、ミスターに帝王学を学んだ。01年限りで監督を退任した長嶋さんの後継者として02年から指揮を執った。
「勝負に厳しく、人に優しく、誰からも愛される方でした。私にとって、長嶋さんは憧れで、野球というスポーツの象徴でもあり、神様のような存在でした。私の中で長嶋さんはいつも燦然と輝き、選手、コーチ、監督、全ての立場で最も影響を受けました。残念ですが、現実を受け止めるしかありません。
元巨人監督の高橋由伸氏も突然の訃報に「私が巨人の選手、監督として計21年間ユニホームを着て、今もこうして野球界に携わっていられるのは長嶋監督のおかげです。心からご冥福をお祈りいたします。勝負の厳しさはもちろんですが、それを超えたところに、見せる見られるといったファンあってのプロ野球を長嶋監督から教えていただきました。私が監督になる際には『巨人軍のためには、お前がなるべきだ、お前しかいない」と言っていただき、とても励みになったし、支えていただいた。監督の偉大さをずっと感じていましたし、『長嶋監督の教え子の一人」と言えるのは本当に誇らしいことです。感謝の思いはこれからも忘れません」と悼んだ。
プロ1年目の監督が長嶋さんだった巨人・阿部慎之助監督は「突然の訃報に驚くばかりです。入団時から私を導き、育てていただきました。監督になってからも温かく、厳しく、支えていただきました。私たちにできるのは勝利を届けることだけです。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントした。
また現役時代に長嶋さんに立ちはだかった元広島のエース・外木場義郎さんは、71年にV9巨人にもノーヒッターをやってのけ、75年の広島初優勝に貢献した剛腕。「長嶋さんは他の打者が打てないような球を打ってくる。意外性がありましたよ。いつだったか(1971年6月8日の)後楽園で7回2死までノーヒットノーランで、外角高めの球を大根切りの打ち方で本塁打にされたのが印象深いですね。対策は“打席に立った長嶋さんの顔を見るな”でした」と、当時を懐かしんだ。
“ミスター赤ヘル”こと元広島監督の山本浩二氏は、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の訃報に接し「もう何と言えばいいのか…言葉が出てこないよ」と、故人をしのんだ。
「ミスターはね、わしにとってはすごく身近な人で、若いときから『コーちゃん、コーちゃん』と呼んでくれてね。引退後も食事やゴルフを一緒にさせてもらった。すごく絵になる人。みんなを明るくして、笑顔にさせる。そのために(キャラクラーには)演技も入っていたと思っとるよ。(現役時代は)ずっとミスターのランクにいきたい思いがあった。
そして「ミスタータイガース」こと阪神OB会長の掛布雅之氏は、長嶋さんは同じ千葉出身。少年時代からの憧れ、野球にのめりこむきっかけとなった人だった。「今振り返ると、ルーキーイヤーと長嶋さんの現役最終年がかぶり、1年だけでも同じグラウンドに立てた経験は一生の宝物となりました。甲子園の最終戦で阪神ファンから「長嶋、ありがとう」と声をかけられ、手を振りながらベンチに下がる姿が目に焼き付いています。敵、味方関係なく、野球ファンから愛される選手。日本のプロ野球にとって太陽のような存在でした」と回想。「長嶋さん本人も、敵、味方に関係なく接する人でした。結婚式のスピーチで『巨人戦で数多くのホームランを打たれて悔しい思いもした。だが、郷土の後輩で、心の中では誰にも負けない大きな送っている掛布ファンの一人です』と語ってくれたときは涙が出ました。