1996年、当時の長嶋茂雄監督の下、最大11・5差を逆転してVを飾り「メークドラマ」と称された戦いの起点となった札幌市円山球場の関係者も3日、長嶋氏の死去を悼んだ。

 同年7月9日に同球場で行われた広島との直接対決で、9者連続安打を放つなどして10―8で勝利。

そこから伝説への道が始まったと言われている。当時、同球場を担当していた札幌市スポーツ協会・屋外施設グループの駒井広行統括課長(55)は「円山となじみのある、尊敬する長嶋さんがお亡くなりになって。大変残念に思っております」と沈痛な面持ちを見せた。

 駒井さんにとって、忘れられない出来事がある。広島戦当日、長嶋氏から「陸上競技場で走れないか」と打診された。球場に隣接する同競技場を、長嶋さんのために急きょ開放した。その際に「一緒に走らない?」と声をかけられ、トラックを数周した。駒井さんは「『ここは緑が豊かで気持ちいいね』と言っていたことや『札幌から頑張るんだ』と話していたことを覚えている」と思い返した。

 円山球場内にある「記念室」には長嶋さんのサイン色紙や写真などが並んでいる。2000年までは同球場で巨人戦が行われていたが、01年の札幌ドーム(現プレミストドーム)開業とともに、戦いの場は移った。同年、長嶋さんがふらっと円山を訪れたことがあったという。駒井さんは「外野を1人で走っている人がいて、職員が『誰だ?』となったら長嶋さんだったと。

連絡などはなかったのですが、札幌ドームでの試合の前に来て、走っていったそうです」と懐かしんだ。

 数々の思い出を振り返った駒井さんは「イチ地方球場の職員である私たちにも気さくに接してくれて。『いい球場だ』と評してくれて盛り立てていただいた。心よりご冥福(めいふく)をお祈りいたします」と感謝した。

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