戦後の日本を象徴するスーパースターで、「ミスタープロ野球」と称された巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さん=報知新聞社客員=が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
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夜が明けて、私は古い宿の最奥にある長嶋さんの部屋へ忍び込んだ。現役引退の直後に始まった1974年の日米野球、メッツ戦。取材なんて無理という熱狂の中で、この手を思いついたのだ。
ずいぶんして目を開けた長嶋さんは足先の私にキョトンとして「あれ~っ、来てたの?」。黙って寝室へ押し入られたって怒り出す人ではなかった。この日だって浴衣をはだけたまま質問以上に話が続いた。天与の朗らかさで周りを楽しませ、笑わせた。色紙にサインして「どこが長で、どこから嶋ですか」と子供に聞かれると「そんなの、ボクだって分からないよ」と言った。
こんなことがあった。酒席で歌が始まり「長嶋さんも!」と私がせがむと、パッと立ち上がり「は~るばるきたぜ函館へ~」と北島三郎の演歌で踊った。
長嶋さんが心を開く友は誰なのか。胸の底にある苦しさ、つらさを打ち明ける人はいないのか。郷里の幼なじみ、野球を通じた仲間たちを訪ね続けたが、私が知る限り親友と呼べる人はいなかった。「長嶋茂雄をずっと演じているのも大変なんだよ」とよく笑わせた。明るさの源泉は? 縁遠いと思える孤独感は? その大きさ、広さ、深さを私はつかみきれないままだった。(1973~76年、81~83年 巨人担当・玉木雅治)