元巨人の松井秀喜氏が4日早朝、ニューヨークから一時帰国。肺炎のため3日午前6時39分に89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さん=報知新聞社客員=の都内にある自宅を弔問した。

松井氏は米国時間3日午前2時前にニューヨーク発の航空機に搭乗。羽田空港に日本時間4日午前4時過ぎに到着すると、濃紺のスーツに紺のネクタイを締めた姿で長嶋さんの自宅に向かい、次女の長島三奈さんの出迎えを受けて、亡くなった恩師と対面をした。

 2時間を超える弔問後、再び三奈さんらと玄関に現れた松井氏は報道陣に気丈な様子で対応した。主な一問一答は以下の通り。

 

 ―長嶋さんとどのような時間を過ごされたのか。

 「三奈さんが『2人きりでお話してください』ということで、2人きりで、ずっといろんな思い出を呼び起こしなら、ずっと過ごしていました」

 ―長嶋さんの様子は。

 「なんか今にも、目を開けそうなぐらい意思のあるというか、そういうように感じました」

 ―松井さんからはどのような言葉をかけられたのか。

 「たくさんありすぎて、ちょっと。今、説明しきれないぐらい話させていただきました。一番はもう感謝だけです。監督との出会い、縁がなければ、松井秀喜という野球選手は全く違ったと思うんですよね。だからご縁もまた、あの時、ドラフトの時ですね。

私を引いてくださった。まずそのスタートのことを思い浮かべて、またその後の2人の時間。また私に授けてくださった、たくさんの全てに、ありがとうございましたとお伝えさせていただきました」

 ―長嶋さんは松井さんにとってどのような存在でしたか。

 「一言でこういう存在でしたと表すのはちょっと難しいかなと思いますね。長嶋さんは1人なんですけれども、私からしたら、たくさんの顔を持つ方だったので。一言では難しいです。そのぐらい、なんていうか、いろんな意味でたくさんのものを与えてくださった。そういう意味で、たくさんの顔を持つというとおかしいですが、なんかそういう存在だと思います」

 ―一番の思い出は。

 「一番は難しいですね。本当にいろんな長嶋さん、いろんな監督の場面。監督として、選手して、また監督をお辞めになった後、今度は私がまだ選手を続けていたときの関係性もありますし、また私が引退した後の関係性もありますし、その時、その時に、いろんな関係性もあったと思いますけど。何ですかね。

なんか難しいですね、言葉にするのは」

 ―普段なら素振りの時間が一番にきたと思うが、今日はいろいろな感情が。

 「そうですね。いろんな時間を過ごして、本当に私は幸せ者です。長嶋監督といろいろな時間を共有させてもらいましたので、その時、その時の思い出というのはありますけど。素振りで会話したといいますか、素振りを通じて、野球選手としての大事な部分を授けてくださったっていうのは、いち、松井秀喜という野球選手において最も大切なことを授けてくださいましたし、そのことが私の中では一番幸運でもある。また一番感謝している部分ではないですかね」

 ―これからどのような形で長嶋さんの思いを受け継いでいきたいか。

 「私にたくさんのことを、授けてくださいましたので。今後、どういう形で次の世代に継承していくかということは、はっきりとした形は見えませんけれども、長嶋監督と生前、約束したこともあります。ここでは今はお話しすることができませんが、その約束を果たしたいなと思っています」

 ―直近で会ったのは。

 「今年の1月上旬にちょっと帰国する機会がありましたので。その時にお会いしたのが最後ですかね」

 ―最初に訃報に接したときの気持ちは。

 「もうショックというか、ショックでしたね。

やっぱり」

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