スポーツ報知では、ゆかりの人物が語る思い出や秘蔵写真などから、みんなに愛された長嶋茂雄さんの足跡をたどります。第1回は巨人前監督でオーナー付特別顧問の原辰徳氏(66)。
憧れ続けた太陽が、星となった。長嶋さんの突然の訃(ふ)報に接し、原さんは故人をしのんだ。
「燦(さん)然と輝く野球界の象徴。私にとって神様みたいな存在だよね」
選手、コーチ、監督、全ての立場で最も影響を受けた恩師。中でも色濃い記憶が残るのはコーチとして長嶋監督を支えた3年間。99年は野手総合コーチ、00年から2年間はヘッドコーチとしてそばに立った。
「俺はいつもミスターの後ろにいたから、よく背中を見ていた。ミスターの背中にはいろんな“表情”があってね。勝つと、背中が揚々と躍動しているんだな。で、負けた時は何とも言えないさみしさがあってね。
後に監督となった時に重視したのは試合の「匂いを感じ取る」こと。勝負の分かれ目で思い切って動けるか。そんな観察眼は、何げないミスターとのやり取りでも磨かれた。
「チームのことで、例えば練習を『こうしようと思うのですが』と提案したとする。イエスの時は『グッドアイデアだ』と強く推してくれるけど、ノーとは言わない。それである時に『ん~』と言った時はノーなんだって気づいた。ミスターはノーは言いたくないんだな。そういうのをちゃんと読まないといけない」
極度の負けず嫌いがミスターの真骨頂。原さんが思い出したのは、2000年の日本シリーズだ。ON対決としても注目を集めたが、投打に精彩を欠いて2連敗スタートとなった。2戦目が終わった後のコーチミーティング。普段は加わらない長嶋監督が入ってきた。
「コーチ室に入ってくるなり帽子を机に叩きつけて『バッター、どうなってるんだ!? ピッチャーどうなってるんだ!?』ってね。私は主に打撃部門を見ていたから、『ヘッド、明日までに3通りのオーダーを考えてこい』って言われて。翌日、監督室に行って『3通り考えてきました』って伝えると、もう忘れてるかのように『ヘッドが一番いいと思うオーダーでスタートしなさい』と。責任の重さを勉強させていただいた」
ミスターがミーティングで怒りをあらわにしたのは初めてだったという。雰囲気が一変して、3戦目から4連勝して日本一に立った。勝利への執念を学んだ。
「ONの間には、親友ではあるが、互いに負けてなるものかという、何よりも強いライバル心が見えた。これが真のライバル関係だと思わされた。我々コーチ陣もミレニアム決戦という、お祭りムードじゃいないけど、どこか気の緩みのようなものが吹き飛んだ」
コーチとして3年間、そばで帝王学を学んだ。迎えた01年9月27日。広島との試合後に監督室に呼ばれた。
「ドアをノックすると、開けたすぐのところにミスターが直立されていて『おめでとう! 来年から原監督だ』といきなりね。
ミスターとともに戦った3年間が礎となり、原さんはその後、巨人軍最多となる1291勝を挙げた。
「勝負に厳しく、でも人に優しく。憧れであり、今の私があるのはミスターのおかげ。全ての野球ファンがさみしい思いをしているけど、私もその一人です」
ファンを愛し、最後まで勝利を追求する。自身もミスターから受け継いだ志が、後進に永久に継承され続けることを願っている。
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。66歳。東海大相模、東海大を経て、80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。通算1697試合、1675安打、382本塁打、1093打点、打率2割7分9厘。