スポーツ報知では、ゆかりの人物が語る思い出や秘蔵写真などから、みんなに愛された長嶋茂雄さんの足跡をたどります。第2回は元巨人監督の高橋由伸氏(50)=スポーツ報知評論家=。
会ったこともない長嶋監督から、強烈なメッセージが届いた。97年ドラフト会議の約1か月前。当時は逆指名制度の中、由伸は行き先を決められずにいた。
「君は何を迷っているんだ。巨人以外にないだろ」
突然、テレビでしか見たことがないスーパースターからの言葉だった。
「人を伝って『長嶋監督がこんな感じで言ってます』と耳に入ったんだけど、ビックリして『あ、まあ…』としか答えられなかった」
ただ、少し強引な誘い文句のインパクトは十分だった。ドラフト直前、巨人入りを決断した。
「長嶋監督の存在が大きな理由だし、長嶋監督じゃなかったら巨人を逆指名してなかったと思う。その後の仮契約かな。
二人三脚の日々が始まった。1年目。長嶋監督はコーチ陣に指導禁止を通達。ルーキーの好きにやらせた。その9月。由伸は疲労性腰痛で欠場した。コーチ陣は「登録を抹消しましょう」と話していたようだが、ミスターの考えは違った。
「監督が『絶対に抹消しない』と言ってくれて。でも、俺は痛くて出られない。大事な試合が続いていたし申し訳なさもあったけど、長嶋さんは『最後まで1軍で完走させないとダメなんだ』と。結局、1軍にいたまま9試合くらい欠場した。
3年目の2000年夏、人生初のスランプに陥った。遠征中に兵庫・芦屋にある宿舎「ホテル竹園芦屋」で監督の部屋に呼ばれ、約30分、全力で素振りした。「もっと音が『ピュッ』と鳴らないといかん」。その「ピュッ」がなかなか出ず、両手はボロボロ。激痛が走った。
部屋での素振りは何度かあった。そんな中、意外な提案もミスター流だった。
「『おまえは目が悪いんじゃないか?』と言われてね。神宮での試合前に青山の店を指定されて行ったんだ。実際、視力は1・5くらい余裕であった。なんで眼鏡?と思ったけど、ただ眼鏡屋さんも長嶋監督に頼まれてるから『あの…言われているので眼鏡作りますね』って。出来上がったのが形の違うおしゃれな2つ。
神宮に着いてから監督室をノックし、報告した。
「眼鏡作ってもらいました、とお礼に行ったら『おー、良かった良かった』とうれしそうだった。それ以上は突っ込めなかった。いったい何だったんだろう」
長嶋監督の狙いはどうあれ、由伸をスター選手に育てることが使命だった。00年8月2日の横浜戦。打撃不振から従来の「一本足打法」を「すり足」に変え、ホームランを打った。ベンチに戻ると鬼の形相。「なんでいつもみたいに足を上げて打たないんだ!」と怒られた。
「『なんで変えるんだ』と。あれから一度もすり足で打ったことはない。スイングの『ピュッ』って音。
心残りはゴルフ。監督を務めていた4年間で一度も同じ組で回れなかった。「おまえは若いんだから、この先いくらでも監督と回れるだろ」という先輩の言葉で遠慮したが、実現しなかった。
「結局、監督がゴルフをしている後ろ姿しか見てないんだよね。でも、優勝旅行で『暇な独身選手を集めろ』と言われて遊びのマージャンをしたんだけど、ずっと話しながらやってね、最高に面白かった。『おい由伸、もう役はできてるのか?』と、のぞかれそうになったり。いや言えませんって(笑)」
長嶋監督は01年限りで退任した。ともに戦った4年間を礎に、高橋由伸は同じスターの道を歩んだ。「長嶋さんがいなければ今の自分はないからね」。6月3日、恩師は天国へ旅立った。翌4日の午前中に麻衣夫人と自宅を弔問。
◆高橋 由伸(たかはし・よしのぶ)1975年4月3日、千葉市生まれ。50歳。桐蔭学園(神奈川)で1年夏、2年夏に甲子園出場。慶大ではリーグ戦通算102試合で打率3割2分5厘、23本塁打、62打点。ベストナイン3度。97年ドラフト1位で巨人入団。99、2007年ベストナイン。ゴールデン・グラブ賞7度。15年限りで現役引退。