長嶋茂雄さん(6月3日、89歳で他界)をプロ4年目の1961年から撮り続けたのが、スポーツ報知OBの中山広亮さん(85)。監督として巨人のユニホームを脱ぐまでミスターを追いかけたベテランカメラマンが、秘蔵写真の数々をエピソードとともに2回振り返る。
長嶋さんがつけた番号は現役時代の「3」、監督1期目の「90」、2期目の「33」、そして「3」。中山さんは4つの背番号全てをカメラマンとして撮り続けた。今回、自身のベストショットに挙げたのは、ファンを魅了した現役時代でも5度のリーグ優勝(日本一2度)を果たした監督時代でもない。2001年9月30日、東京ドーム。2期目の勇退セレモニーで、スピーチに向かう後ろ姿だという。
「最後だから、どうしても3番の背中が撮りたくてね。表情もいっぱい撮ったけど、雰囲気があるのが欲しかったんだ」。演出のため場内の照明が消えた。暗闇に乗じてカメラ席を出た。「バックネットの前に各社1人」という撮影ルールを忘れ、集団を離れた。息を潜め、何万回とシャッターを押してきた3番の最後を見届けた。
後日、報知新聞社へ退任のあいさつに訪れた長嶋さんに写真を見せ、サインを入れてもらった。
練習で、遠征先で、長嶋さんはカメラマンが紙面映えする写真を撮れるように、何も言わず気を使ってくれた。名古屋の公園ではソフトボールに飛び入り参加し、広島では子供と自転車で遊んだ。「やってくれ、なんて言っていないよ。俺の表情をじっと見ていて、いきなり一般の人に声をかけて始まるんだ」。ポーズを頼むこともあったが、しつこいのは好まなかった。「1~2枚撮ると『今のでいいよ』って。現像してみたら目を閉じているかもしれないし、不安だからもう少し撮りたいけど、『目はつむってない。大丈夫』って。たまに粘って撮らせてもらっても、決まって良いのはなかったね」。
撮りたくても撮れなかった場面もある。現役時代終盤の名古屋遠征。宿舎に出入りできるおおらかな時代だった。「試合前の昼過ぎに様子を見に行ったら、部屋からボールを打つ音が聞こえてね。ドアを開けたらパンツ一丁で、積み重ねた布団に向かってボールを打ち込んでいるんだ」。ただ、付きっきりで特訓している荒川博コーチは撮影を認めない。カメラを置いて正座して見た。師弟の真剣勝負。「ピーンと張り詰めた雰囲気で、もしシャッターを切ったら練習の緊張感が切れてしまうほどだった。ミスターの胸毛が汗に光ってきれいでね。
◆中山 広亮(なかやま・ひろすけ)1940年6月25日、東京都生まれ。85歳。61年に報知新聞社に入社し、写真一筋で巨人などを担当。定年後も月刊ジャイアンツで2004年まで現場に携わった。