現役時代から監督退任まで長嶋茂雄さん(6月3日、89歳で他界)を撮り続けたスポーツ報知OBの中山広亮さん(85)が、秘蔵写真と共に語るミスターの真実。後編はカメラマンとの“真剣勝負”や伊豆・大仁(おおひと)での自主トレの舞台裏を明かした。
600ミリ望遠レンズを「何? 見せて見せて」とのぞく長嶋さん。1972年に撮った写真を手に、中山さんは思い出を語り始めた。ティー打撃に励むONの表情を同じレンズで狙った時だ。普段は外野からの撮影で使う長い焦点距離。一本足打法の王(貞治)さんはきっちり撮れたのに、長嶋さんは顔が画面から外れてしまう。スイングの軸がぶれているのだろうか。「おかしいな。滑って(体が動いて)いる。もう一回やるから。今度はどうだ」。ミスターは何度も聞いてきたという。「調子が悪かったんだろう。
ONはしばしばカメラ席に来てバッティングの変化を確認した。「カメラマンが一番選手を見てくれている。いつもと変わっていたら教えてね」。センターから王さんが打つ瞬間の写真を撮れなくなり、本人に悩みを打ち明けた。すると「中山さん、大丈夫。今、タイミングが合っていないのは俺の方なんだ」と助言されたこともある。
一方、長嶋さんを撮る場合、好不調はあまり関係なかった。「多少タイミングが悪くても、ボールが高くても低くても、打っちゃうからね」。カメラマンだから分かる天才的な打撃だった。引退後にたまたま教えてもらった。「調子の良い時はインパクトの後に手首を返すと、バットが立っていたって。バットが立つと三塁ゴロでも三遊間を抜けていくって」。
フォトセッションがメインだった大仁の自主トレ。ある日、珍しく密室での練習を撮影できた。休みの日に先輩カメラマンとドライブがてら様子を見に行ったところ「旅館に着いたら、部屋からカーン!と音がするんだ」。長嶋さんは「いつものは撮影会。今日はいいよ」と自主トレ中、ほとんど見せたがらなかった練習を撮らせてくれた。
その後は長男の一茂を連れて山登り。撮影しながらでくたくたになった。「どうした中山さん、疲れたか。カメラ持とうか」とミスター。戻った旅館ではグレープフルーツを振る舞ってくれた。「当時はまだ珍しくて、生まれて初めて食べた。
旅館の近くにある大仁高校のバスケットボール部に飛び入り参加したことも。「ミスターがあそこに行ってみようと言って。いきなり、俺も入れて!って。30分くらいいたかな」。女子高生は大騒ぎ。予測できない“プレー”はグラウンド外でも健在だった。
訃報(ふほう)を聞き、中山さんは「とうとう来てしまったか…」と肩を落とした。撮り続けてきた40年超で最も好きな姿は、90番をつけていた第1期監督時代だという。「38歳で監督になって、まだまだ動けたから、はつらつとしていた。だからいろいろな写真が撮れた。報知にいたから『中山さん』って、たくさん話をしてくれた」。数々の思い出を懐かしみ、長嶋さんに感謝した。
◆中山 広亮(なかやま・ひろすけ)1940年6月25日、東京都生まれ。85歳。61年に報知新聞社に入社し、写真一筋で巨人などを担当。
細やか気遣い 〇…大仁では長嶋さんらしい“ファインプレー”もあった。取材後、先輩カメラマンが練習パートナーの淡河(おごう)弘捕手を交え、3人で月見酒を楽しんだ。気がつけば締め切り間近。ミスターは「今までいたので。帰らせます」と写真部に電話をかけ、怒られないよう配慮してくれた。「デスクも驚いていたよ。それくらい気を使ってくれた」。中山さんは細かいフォローに感謝していた。