◆米大リーグ ロイヤルズ9―5ドジャース(28日、米ミズーリ州カンザスシティー=カウフマンスタジアム)
ドジャース・大谷翔平投手(30)が28日(日本時間29日)、敵地のロイヤルズ戦に「1番・投手、DH」で先発し、メジャー公式戦では自己最速となる101・7マイル(約163・7キロ)をマークした。23年9月に受けた右肘手術後、3度目の登板ながら過去の自分を超え、進化を印象づけた。
無意識に力が入った。大谷の剛球がうなりを上げた。両軍無得点の初回1死一、二塁。パスクアンティノに対する2ストライクからの3球目、内角直球で詰まらせ、二ゴロ併殺打に仕留めた。この一球がメジャー公式戦で自己最速となる101・7マイル(約163・7キロ)をたたき出した。「自然に(球速が)上がってしまっているなという感じです」。ピンチを切り抜け、ホッとしたようにベンチに戻った。
日本ハム時代に165キロ、23年WBCで102・0マイル(約164・2キロ)をマークした経験はあるが、MLBの公式戦では最速。23年9月に受けた右肘手術からの復活へのリハビリ段階にありながら、復帰後3登板、計60球目で過去の自分を上回った。「まだ思い切り投げようとは思ってなかったけど、ランナーがたまってくると、どうしても打たれたくないという気持ちの方が先行して(球速が)上がってくる」。
医療が進歩しているとはいえ、18年10月に続く2度目の右肘手術では、元のパフォーマンスが出せる確率は1度目に比べて下がると言われている。それでも大谷は確信していた。「1回目より感覚は術後からすごいよかったので。ドクターとの話の中でも戻る確率は高いと。自信はありました」。リハビリをつきっきりで支えてきたT・アルバート・ヘッドトレーナーも「1度目の手術からあまり時間がたっていなかったので、何をすべきか分かっていた。自分でうまく向き合うすべを心得ていた」と振り返った。復帰した20年は2登板だけで右腕の痛みを訴えて再離脱となったが、全ての経験も生かしている。
復帰後3登板目で初めて2回のマウンドにも上がったが、リズムよく3者凡退。27球中ストライク20球と制球は安定し、これまであまり見せなかった縦のスライダーで空振り三振を奪うなど、先発投手としての幅も広げた。ノーワインドアップの新フォーム、プレートの踏む位置を投球中に微調整するなど試行錯誤は続いているが「積極的にゾーンを攻められたのはよかった」と手応えを口にした。
3戦連発30号の期待がかかった打撃では3三振を喫するなど4打数無安打で「単純に打撃はいい結果を生むアプローチではなかった」。チームも2番手以降の投手が失点を重ねて連勝が「5」で止まった。
取材の最後。球速はまだ上がる感覚はあるか。そう問われた大谷は事もなげに言った。「(まだ球速を)出しにはもちろんいっていないので」。投手としての完全復活への道半ば。まだまだ“余地”がある。(安藤 宏太)
◆大谷翔平に聞く
―100マイル(約161キロ)を投げられることはリハビリの過程で想像していたか。
「ライブBPで投げ続けていたら投げてはなかったのかなとは思う。実戦で早めに短いイニングでしたけど投げることによって、そういう球速帯に慣れていくというのはいいこと」
―プレートを踏む位置を分けていたことについては。
「その方が抑えられると思ったからです」
―直球の質は。
「回転効率も球速帯との比較が一番大事だと思うので。今日みたいに100マイル(約161キロ)近く出ている中でも浮力も悪くなかったですし、それなりのスピン効率はしていたと思う。進歩はしてるのかなとは思ってます」
―この2試合は縦のスライダーが有効。
「よかったかなとは思いますね。球速もよかったですし、自分の投げたいイメージで変化も含めて、ロケーションも含めて落とせているかなとは思う」
―球速はまだ出る感覚があるのか。
「ランナーがたまってきて、どうしても打たれたくないという気持ちになるとそれなりの球速帯で投げにいってしまっているという感じなので。今の段階でそこまで上げなくてもいいなと思う自分と、ゲームの中なので先制点をあげたくないなという自分とのバランスかなと思います」
◆大谷の球速 日本ハム時代の16年10月16日のCS最終S第5戦(札幌D)で計3球、自己最速の165キロを計測。渡米後最速はエンゼルス時代の21年3月21日にオープン戦の敵地・パドレス戦で投じた101・9マイル(約164・0キロ)。MLB公式戦では22年9月10日の敵地・アストロズ戦で計測した101・4マイル(約163・2キロ)だった。侍ジャパンでは23年3月16日のWBC準々決勝・イタリア戦で102・0マイル(約164・2キロ)をマーク。打者はこの日と同じパスクアンティノだった。